第61話 水滴

温かく心地良いお湯に包まれる。

田舎特有の夜虫の鳴き声と天井から水滴が湯船に落ちる音だけが聞こえる静かな空間。

相変わらず湯気が立ち込めており、視界は制限されている……されているからこそ、この状況に戸惑っていた。

今、俺は明日香と背中合わせで湯船につかっている。


人間という生き物は五感の一部が制限されるとその他の感覚が鋭くなる、という話は聞いていたが身を持ってそれを実感していた。

背中には常に明日香の肌が触れており、シャンプーしたてなのだろうか、なにやら良い香りが鼻腔をくすぐる。

触覚と嗅覚がいつもよりも鋭敏になってるのは間違いないだろう。


天国のようなお風呂タイム……のはずなのだが辛いこともある。

というのも普通、お風呂というものは1日の疲れを取ったり、リラックスするために入るもののはずなのに全く気が休まらない。

むしろ、緊張感に溢れていた。

振り向いたら全裸の明日香がいる、そう思うだけで心拍数が上がっていくのが分かる。

ていうか、冷静に考えて一緒の湯船に入ってるのやばくない?

しかもばぁちゃんの家でだよ。

まぁ、完全に俺が悪いんだけどさ……。

寝ぼけている頭を回転させてそんな事を考えているとふふっという明日香の笑い声が反響して聞こえてくる。


「優、今すっごくドキドキしてるでしょ」


やっぱ背中くっついてると分かるかなぁ……。

バレたのがなんかちょっと恥ずかしい。


「分かる?」


「分かるよ。私もドキドキしてるもん」


そっか。

明日香もドキドキしてるんだ。

なんかホッとする。

ホッとしたことで先程の事を思い出す。

俺、夕飯の時、感じ悪かったよな。

1人でさっさとご飯食べて、勝手に部屋に戻って……。

明日香とばぁちゃんが仲良さそうにしてることが嬉しかった……はずなのに、どこかで気に食わなかった。

……最低だよな……謝ろう。

そう思って喋ろうとした瞬間、ねぇ優と明日香が話し出す。


「おばあちゃん、全然無愛想じゃなかったよ」


「……そう、みたいだね。でも、それは明日香だから仲良く……」


「ううん。そうじゃないよ」


いや、そうでしょ。

だって俺になんて、まともに目を合わせようともしないのに。


「おばあちゃん、泣いてたんだよ」


「え?」


「優に対してああいう感じになっちゃうから」


は?

俺に対して無愛想になることを悔いているってこと?

そんなの……


「……普通に接してくれれば良いのに」


「うん……でもおばあちゃん、優のお父さんの事で責任を感じてるみたいなんだ」


「なんで!?」


危ない危ない、振り向こうとしたけど裸なのを思い出して、ギリギリで止まれた。


「……ばぁちゃんは関係ないのに」


そう。

ばぁちゃんは関係ない。

父さんが勝手に浮気して、母さんを苦しめた。

この事象のどこにばぁちゃんが責任を感じるのだろうか。

浮気するような育て方をしたとでも?

否。

母さんから聞いた話だと、父さんは浮気さえしなければかなり良い父だったらしい。

率先して育児をし、母さんが疲れないように俺を連れ出して遊んだり、寝かしつけたりしていた。

とにかく気が利くという印象だった。

俺は小さかったから全く覚えてないが……。

でも、確かにたまに会うと、俺の事を気にかけてくれているのは分かった。


だからばぁちゃんの教育は間違っていない。

恋愛面において教育なんて意味をなさないのだろう。

まぁ家庭を持っているのに浮気するんだから道徳の有無は疑うけどさ……。


「でもね。おばあちゃん、優の前でも普通に出来るように私と練習してるんだ」


やたら距離が近かったり、夕飯の時笑ってたのはそういうことか。


「じゃあ、俺の事を嫌いなわけじゃないんだ」


「嫌いなはずないよ。嫌いな人相手に家までの切符送ったり、電話かけて様子を気にしたりしないし、それに」


「ここまで必死に優の事を考えて、泣いたりなんてしないよ」


心につっかえていたものがスッと取れる感覚があった。

嫌われていた訳じゃない。

それが分かった、それだけですごくホッとした。


きっと心のどこかで疑っていたんだろう。

ばぁちゃんからうとまれているんじゃないかと。

そんなはず無いのに……。


「だからおばぁちゃんにもう少しだけ時間をあげてね」


水面にぴちょんと水滴が落ちる音がする。


「じゃあ私、先に上がるね。優はもう少し入ってて」


その音を聞いて明日香は湯船から出ていった。

気を利かせてくれたのだろう。

全く何回、明日香の前で弱いところを見せるのか……。

男として申し訳ない。


水位が下がり、肩が冷える。

俺は寝そべるように湯船につかり、冷えた肩が再度温まるまで待ってから湯船を出るのだった――。

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