第24話 死後物件
「死後物件?」
カウンターの中で、弥命は客の言葉を繰り返す。
カウンターの向こうでは、一人の男性客が頷いた。
「そう、死後物件」
「事故物件、ではなく?」
弥命の言葉に、男性客はカラカラと笑う。
「言い間違いみたいな言葉ですよね。でも、死後物件なんですよ」
「ふうん。どんな話なんです。家、の話なんですよね?」
弥命が促すと、客は、弥命が作った黒いカクテルを一口飲んで頷く。
「そうです。家の話。俺も知人から聞いたので、信憑性は分かりません。話半分、何かのネタくらいに聞いてください。話せるの、こういう場くらいなので」
弥命は小さく笑った。
「大歓迎ですよ。俺は、そういう話を聞くのが好きなんでね」
「物好きですねぇ。俺もか」
客はひとしきり笑った後で、話始めた。
電柱にね、貼り紙がされてるそうなんですよ。
ぴらりと一枚。たまに、見かけません?家の紹介をしているもの。そうそう、家の写真と値段、電話番号が書いてるみたいな。
死後物件というのは、その要領で紹介されている家なんです。でも、値段は書いてない。
家の住所と写真、『立地最高!』『住み心地バツグン!』みたいなキャッチコピーしか書かれてないそうです。でも、とにかく誰かに住んでほしい、みたいな熱意は感じるそうですよ。
重ねて、自分が、解体やら取り壊しやら焼失やらで、既に存在しないことに気付いていない家、なんですって。
死後物件と呼ばれる家は、人間が住んでいることに酷く執着するのだとか。
とにかく人間に住んでいてほしいんですね。だから、人を入れたがる。そんな物件なんです。
家自身が貼り紙を用意してるのかもしれないと考えると、少しいじらしい気もしますね。そんなことが出来るのかはさておき。
それでこれは、その死後物件、かもしれない話なんですが……。
ある時、Aさんという男性が、近所の電柱にその貼り紙を見つけました。
一件の賃貸物件を紹介するもの。
いつもならそんなものを見つけても無視するところなんですが、その頃は丁度引っ越しを考えていたところだった。
そんな時に、飛び込んで来た家の写真に惹かれて、立ち止まったんですね。住所も、今より勤務地に近い、なかなか良い条件というので、何とその場で貼り紙の電話番号に電話したんです。
感じの良い担当者が出て、トントン拍子で内見に行くことになった。その場で直ぐ電話までしておいてあれですが、Aさんも当初疑ってたんですね。
ええ、仰る通り。貼り紙のは囮物件で、実際は全然違う家に連れて行かれるのでは、そもそも賃貸物件など無いのでは、と。でも、そんな心配は杞憂でした。会った担当者は、実在する普通の不動産屋の人で、名刺も貰った。そしてちゃんと、惹かれた写真通りの家に連れて行ってもらえたんです。中を見ても、申し分なし。最初の印象のまま、いえ、むしろますます気に入って、Aさんはその場で契約しました。
Aさんは、友人のBさんにこの家のことを話しました。良い家を借りたと、外観と内観も写真に撮ってBさんに送ったりして。
Bさんは話を聞いた時、何となく怪しいというか、嫌な気分になったんです。まあ、あまり普通の流れでない借り方をしてるので、本人が気に入って問題ないと言っていても少し気に掛かりますよね。
一緒に送られて来た写真を見て、Bさんは絶句しました。
どう見ても、黒く焼け焦げて、朽ち果てた廃墟みたいな家が写っているんです。人なんて、とてもじゃないけど住めないような。
Aさんがふざけているのかと思い、もう一度送り直してもらっても、やはり同じ写真。
Bさんが、これは廃墟の写真だ、一体どうしたんだ、と言うと、Aさんは急に怒り出した。
こんな良い家なのに、ケチをつけて、と。
部屋や家具の話なんかもAさんから聞いたんですが、Bさんにはそれらが何一つ、写真から見つけられなかった。
とにかく、それでAさんはすっかり不機嫌になってしまった。その後、Bさんには連絡しなかったんです。
それから二週間くらい経って。
Aさんとの共通の友人であるCさんから、Bさんの元へ連絡が入りました。
Aさん、行方不明になってたんです。Bさんは、Aさんに家のことで怒られてから連絡を取っていなかったので、その話をしました。
まだ、あの廃墟みたいな家の写真も残っていたので、それも見せながら。Cさんも信じられない、という顔をしました。住所も電話の時に聞いていたので、BさんとCさんは行ってみることにしたんです。
でね、着いたら。その家、無かったんです。
ただの更地。
それも、最近更地になったとかでは無さそうで、草が生え放題になって久しいような土地だったんです。
その時に、Bさんの電話が鳴りました。
Aさんから。慌てて出ると、Aさんは凄く楽しそうな様子なんです。
「やっぱり、良い物件だったよ、この家。住んでるのが楽しい」
「どこの家の話だよ、ふざけるな!今どこにいるんだ!」
怖くなって、つい強い口調で言ってしまったんです。でも、Aさんはご機嫌に笑ったままで電話は切れてしまいました。掛け直しても、もう繋がらなかったんです。
それきり、Aさんの行方は分からずじまい。
Bさんは、Aさんに家を貸したという不動産屋も探したそうですが、見つけられなかったんです。
今でも時折、Bさんの元にはAさんからメッセージが来るそうです。住んでいる家がいかに素晴らしいかという言葉と、廃墟の家の写真が。
語り終え、客はカクテルのグラスに口を付ける。
「ね?あまり話せない感じの話でしょう。作り話にしてもね……」
困ったような表情で笑う客に、弥命はくつくつと笑う。
「そういうのも楽しんでこそですよ、怪談ていうのは。しかし。効率的に感じますね、死後物件。賢い、というのか。まるで、家を探してる人間の前に現れる、みたいな」
客は口に運びかけたグラスを、ぴたりと止める。
「確かに。意思があるようで、不気味ですね」
苦笑いした後、気を取り直したようにグラスの中身を飲み干し、客は店を後にした。
夜が明けて。
店からの帰り道。
弥命は、電柱に一枚の貼り紙を見つけた。
一件の賃貸物件を紹介するもの。
賃料などの表記はなく、家の住所と写真、「閑静な住宅街!」というキャッチコピーがあるだけ。下の方には不動産屋の名前と電話番号がある。
それらを一通り見た後、弥命は苦々しく笑った。
「ま、家には確かに苦労しちゃいるが」
今住んでいる家は、まごうことなき事故物件である。弥命は息をつくと、ポケットから黒いペンを取り出す。そのまま、貼り紙に大きくバツ印を書いた。風も無いのに貼り紙がひらりと剥がれ、空へ昇る。弥命はそれを見もせず、また歩き出した。
旭が作り置いていた朝食を食べた後。
寝入った弥命は、夢を見た。
仕事帰りに見た貼り紙を、旭が一人で見ている。弥命が声を掛ける前に、横から、スーツ姿の男性が旭の肩を叩き、旭をどこかへ連れて行く。
弥命も追いかけると、着いたのはあの貼り紙の写真にあった家だった。ゾクリとしている弥命の前で、旭は吸い込まれるように、玄関から中へ入ろうとする。
「旭!」
弥命が止めようと近付くと、スーツの男が弥命の前に立ちはだかった。俯いていた男が、顔を上げる。
「お前は、」
不気味な笑みを浮かべているその男は、昨晩の客だった。
(あいつ、不動産屋だな……死後物件が実在するかは知らんが)
弥命は舌打ちをしつつ、家を出てぶらぶらと歩く。
夜半。帰ると聞いていた時間に旭が帰らず、連絡もつかないため、店に向かいがてら、しぶしぶ探すことにしたのだ。
(普段ならこんな心配しないが。夢まで見たんじゃ仕方ねぇ。俺は夢の力は弱い。だが、ああまで直接的に見せられなきゃならねぇほどのことなら)
旭に何かが起こるのは確実なのだろう。そう踏んで、弥命は歩いている。
当たりをつけて、貼り紙を見つけた電柱に行ってみれば、そこに旭は立っていた。ぼんやりと、貼り紙を見ている。弥命はどうという感慨もなく、旭に近付く。
「旭」
声を掛けると、旭は振り向いた。光の無い目が、ぼんやりと弥命を見ている。
口をついて、弥命は旭に聞いていた。
「引っ越したいのか?旭は」
「いいえ」
無意識の旭の答え。弥命は知らず、安堵の笑みを浮かべていた。
「ーーあれ?」
我に返ったように、旭が呟いた。目にはいつも通り光が戻り、不思議そうに弥命を見ている。
「弥命叔父さん?」
弥命は旭を見て、くつくつと笑う。
「遅かったな。俺はこれから仕事だけど」
「え?あれ、すみません」
旭は時計を見て、目を丸くした。
「何か貼り紙があるなと思って見たら、横でいろいろ誰かに言われて、離れられなくて、」
旭が振り向いて貼り紙を見ようとするのを止め、弥命がつかつかと歩いて来る。朝と同じように、大きな黒いバツ印をつけた。
「他所当たってくれや」
弥命が言いながら、貼り紙を剥がしてビリビリに裂く。旭は目を丸くした。
「死後物件、ね。そのうち、無差別に住居者集めなきゃ良いが。ま、もう俺の知ったこっちゃねぇか」
紙片を放ると、それは地面に落ちる前に消えた。
(旭に聞いたのは賭けだったが。自惚れてもいいのかね、これは)
旭が、心底家を変えたいと願っていたのなら。死後物件に持っていかれていたかもしれない。
内心自嘲気味に笑いながら、弥命は手を払う。
「また貼り紙見つけても、立ち止まって見るなよ。もう絡まれたくないだろ。あの手のはしつこいからな」
「……分かりました」
貼り紙の紙片が消えるのを見ていた旭は、青い顔で頷く。
それを見て笑うと、弥命はいつも通り店へと向かった。
剣と盾の怪奇録 宵待昴 @subaru59
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