月を架けた猫

箱庭師

第0話 あらすじ

 5月27日 はれ

 今日、パパがネコになりました。

 くろい子ネコです。

 かわいいです。

 パパは、かわいくありません。でも、ネコはかわいいです。

 よくわかりません。

 パパネコとなまえをつけました。パパもとてもきにいりました。

 これから、かわいがっていこうと、おもいます。


 *  *  *


 6月15日

 パパネコとカレーをつくりました。ママにたべてもらうためです。

 カレーくえすとです。くえすとは、ぼうけんといういみです。


 *  *  *


 7月8日

 今日は、パパネコとゆうえんちにいきました。ゆうえんちくえすとです。

 このまえ、ひみつのくえすとをじょうずにできたので、ごほうびです。とてもたのしかったです。

 ひみつのくえすとは、ひみつです。


 *  *  *


 8月25日

 パパネコは、お月さまからやってきた、月ネコです。

 パパネコが、そういってました。


 *  *  *


 8月30日

 パパネコがお月さまにかえるといいだしました。

 あした、かえるといいました。

 いやだといっても、いうことをきいてくれません。パパネコに、いじわるをされました。パパネコがきらいになりました。たくさんなきました……。


 *  *  *


 月が太陽を遮り出した。

 日蝕である。

 いよいよ月渡りの儀が、執り行われるのだ。少女と黒猫の終わりの時が始まった……。


 ——月渡りの儀。

 始まりの猫、始祖の猫である屑星さまが、太陽の力を借りて、

 猫から、人間との思い出を消し去り、

 そして、人間から……、いや、

 月猫と交わりをもってしまった人間から、その記憶を消し去る……。

 地球と月が分たれた、太古の昔から続く、儀式。

 猫が猫であるための、営み。

 記憶のカケラ、屑星が、猫たちの額から一つ、また一つと、宙を舞い、月へ向かう。


 *  *  *


 月が、完全に太陽を隠した。

 屑星さまの大いなる力が、地を覆い尽くす……。

 屑星たちが……、地上に散らばった記憶のカケラたちが、煌めきを放ち、無数の小さな渦を作って、月に伸びる。

 その小さな渦たちは、途中で互いに交わって、まるで兄弟が肩を組んで、父祖の地、月へ帰って行くようであった。

 地上と月に架かった巨大な水晶の橋……。

 リビングのカーテンはたなびき、本棚が揺れる。

 猫と、月猫と交わった人間だけが、立ち会える終わりの光景……。

 

「どうして、どうして、いじわるするの?!」

 黒猫は、真一文字に唇を結び、大きな瞳で月を睨め付けていた。そして、絞り出す。

「……仕方ないんだ」

「いやだぁ!」

「君は、パパのことを忘れる。パパも君のことを忘れてしまうんだ!」

「いやだぁ! パパきらい! なんでそんなことするの?!」

 屑星たちは、今や大きな渦となって、一斉に月に向かっている。

 少女の、そして黒猫の額からは、絶え間なく、カケラが漏れ出ていた。

 ——あれっ? カレーくえすとってなんだっけ? にんげんのときの、パパのかお……

 少女は、慌てて額に手を当てると、屑星を押し戻そうと、ぐいぐい押した。

 だが、そんな事にはお構いなく、屑星たちは、その小さな手のひらをすり抜けると、次々と月へ向かう。

 少女の手は、そのカケラを掴もうと虚空を彷徨う。

「おねがい、お月さま! わたしに、パパをわすれさせないで……!」

 彼女は絶叫した。ほとばしる涙が虚しく宙に舞う。

 黒猫の額には、深い皺が刻まれていた。そして、少女を見据えて叫んだ。


「約束する! パパは必ず、ここにっ……!」


 ——戻ってくる……。


 黒猫は、屑星の最後のひとかけらをその額から解き放つと、テーブルから飛び降りて、部屋の角のキャトウォークに登ってしまった。

 少女は、呆然としていた。

 頬を手で拭い、呟いた。

「……あれ、なんで、わたし……」

 身に覚えのない涙……。

 にゃあ……。

 少女は、驚いて声のする方へ視線を向けた。

 黒猫と視線がかち合う。

 少女は、瞳を見開いて言った。

「なんでうちに、ネコちゃんがいるの……?」

 太陽はすっかりその光を取り戻していた。


 *  *  *


 ——八年後……。


 星野真理は、早朝の街を疾走していた。


 ぢっ、遅刻するっ!

 よりにもよって、高校の入学式に……、遅刻するぅ!

 母よ!

 なんで起こしてくれなかったのぉ?!

 まあ、二度寝した私が悪いんだけどねっ!

 あなたの娘は、鬼の形相で街中を駆け抜けておりまぁすっ!

 恥も外聞もかなぐり捨てましたぁ!

 パンツもチラチラ見えてると思いまぁす!

 でも、そんなの関係ねぇ!


 ねえねえ、あの子、入学式に遅刻した子?

 そうそう、遅刻ガール。

 遅刻番長、遅刻名人、遅刻マニア、遅刻の国のアリス、遅刻の中心で愛を……。


 嫌だぁ!

 なに、その二つ名!

 嫌だぁ!

 あっ、そうだ!

 私は、メロス!

 走れメロスの、あのメロス!

 じゃあ、竹馬の友のセリヌンティウスは……、そう校長っ!

 かの邪智暴虐の王、ディオクレティアヌスをしばき回すために駆ける! 駆けるのぉ!

 友よ!

 メロスは、あなたを救うため、命懸けで疾走中でぇす!

 パンツ丸出しですけど、許してぇ!

 駄目だぁ!

 全然、感情移入できねぇ!

 だって、校長って、たぶん見ず知らずのただのオッサンなんだもーん!

 あっ、おばさんだったらごめーん!

 着いた!

 えっと、二組……、あった!

 やった!

 式には間に合った!

 集合時間には遅れたけど……。

 でも、そんなの関係ねぇ!

 母よ。

 あなたの娘はやり遂げました。

 セリヌンティウスを救いました。たぶん。

 この扉の向こうに、波瀾万丈の私の高校生活が待っているのね。

 イエス!

 オープン・ザ・ドア!


 ゴチンッ!


 *  *  *


「あんたねぇ」

 真理はこの疫病神に噛み付く。

「どこの世界に、入学式の当日に廊下に立たされる奴がいんのよ」

 あの騒動で、真理と拓也は、式の終了後、すでに学生が帰った誰もいない教室の前で、一時間立たされた。

 挙句、職員室でたっぷりと説教を承ったところであった。

「そういうなって。俺たち二人で開いた、汗と涙の青春の共同作業だろ」

「黙れ」

 そう真理は吐き捨てると、振り回した学生鞄を再び拓也の脳天に振り下ろした。


*  *  *


「真理、やっぱりお父さんの記憶……、戻らないわけ?」

 莉子は、真理を覗き込んで言った。

「うん……。頭から何かを削られたというか、ポッカリと穴が空いていているのはわかるんだけどね。戻るべきところは確かにあるんだ。けど、なにが戻って来るのか、来ないのか。それがお父さんなのか。なんなのか」

「何それ」

「分からん」


 *  *  *


 見たことがある……。

 真理は、震える手を握りしめた。

 ——私は、ここで……。

 一歩、また一歩と、それに近づく……。

 その時、ふと、ある言葉が彼女の脳裏を掠めた。

 ——秘密のクエスト……

 真理の鼓動が、トクンッ……、と一つ大きく打った……。


※この物語は、著者のnoteサイトの「小説を創る!」で、更新中のアイデアから生み出されたものです。そちらも併せてお楽しみください。


https://note.com/fine_kalmia809/m/m930e753a6624

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