第9話 破棄



「イアリス……今の男は何だと言うのだ!」


会場に響くほど大きな声で、クロウは私に問う。その声量に何だ何だ、と周りの方々がまるで花に群がる虫のように集まってくる。


「何って…昔の友人ですわ」


「そんな二人きりで話さなければいけなかったか?!」


何を言う。私を一人にしたのは貴方だというのに。二人きりになるのは当たり前だろう。


私たち以外の会話は全て止まり、招待された方々はこちらに集中する。ああ、恥ずかしい恥ずかしい。シエルもいるし、ローズもいるのよ。それに他の貴族たちも沢山居る。今まで私もそう叫びたい時があった、しかし我慢して堪えて夜な夜な枕に向かって怒っていた。それなのに、自分が気に食わぬ事があればこうやって晒しものにして。


本当、結婚する必要も我慢する価値もない男だったのね。しかも、懲りず、しぶとい。


「イアリス、帰るぞ!!」


「きゃ、」


クロウは私の手を掴み、強引に引く。痛い、力が入りすぎだわ。


「痛いですわ、クロウ様ッ…」


ギリギリと私を掴む力は女に向ける力ではない。血が止まってしまうかもしれない。


「なら何故抵抗するのだ?!お前が此方にくれば良いだけの話だろう」


「今回招待されたのは私ですわ…、それにまだ挨拶ができていない方々もいらっしゃいますッ、」


涙が出そうなのを堪えて、私はクロウが納得できる様説明する。しかしそれが彼にとって気に食わないものだったのだろう。彼の顔はみるみる赤くなり、やがて私を掴む手を離した。


「そんなに俺のことが嫌いならば、…良い。」


真っ赤な顔とは反対に冷たい声で、私を指しながら彼は言う。


「イアリス・ガドナー!これまでの俺に対する侮辱行為と、俺の愛人への酷い扱いはもう見てられぬ!!今日を持ち、私とお前の婚約は破棄する!!」


私達を取り囲む、令嬢や令息たちは騒めく。ああついにやったわねクロウ。

いつの間にかクロウは口角が上がっていた。何が楽しいんだか。


「分かりましたわ。……しかし、私は少し前まで貴方に対し尊敬の意を抱いていましたので侮辱行為や愛人の話は、身に覚えがありませんよ」


「分かりました…だと、」


「私はこの場を汚してしまった様ですわね。ローズ様、申し訳ありません。」

「いえ、大丈夫ですわ…」


「それでは失礼します」


私は会場にいる方々に向けて一礼した。無論、それはクロウに向けたものでもある。


会場を出て、誰も居ない庭にて私は漸く素を出した。ああ、まさか彼方から婚約破棄してくれるなんて思わなかった。こんなに嬉しいことがあるのか。この絡まった紐から抜け出すにはかなりの苦労がいると知っていた。長い付き合いになると覚悟も少しばかり決めていた。


…出ていく時のクロウ様の顔は、滑稽でしたわ。

あんな目を点々とさせ、口も開けて、だらしない顔だった。

これで、何もかも自由なのかと思うと胸が高鳴って仕方がなかった。


屋敷から出て、私はローズ様の庭を回る。


取り敢えず、クロウ様の馬車の御者が休憩から帰ってくるまで、待っておかないと。



ローズ様は自身の名前を愛している。つまり、薔薇が好きだ。なので彼女の持つ薔薇の庭園はこの国で1番美しい庭だともいわれているそう。私はしゃがみ込み、ローズを下から覗くように見る。ああ、噂通り本当に綺麗ですわ。所々に置いてあるランプがまた薔薇を美しく飾っていて。痛々しい棘までも、立派に見える。


ぼんやりと花を眺めているといろんな事が頭の中で浮かび上がってきた。


…自由になったのはいい事だが、これからどうすべきなのか、とか。

例えば、親への報告。政略結婚は両親が、クロウ側の親に頼んで行ったもの。こちらの立場を上げるために行ったのだと私は考えていた。では、この婚約破棄を受けた今、私はどうするべきか。


新しい婚約を考えようも、相手が居ない。


むむ、と考えていると、コツコツと足音が背後から聞こえた。まさか、誰か追ってきたのだろうか、と一瞬不安に思ったが。


「イアリス…様、」


振り向くと、月を背景に黄色い目がよく映えて。ほんのり赤い髪が風に靡く。

彼もきていたのか。


「まさか、貴方も誘われてたなんて思いもしませんでしたわケイリー様」

「僕は魔法使いだからね」


ああ、認識阻害の魔法。髪が目立つ色でも関係ないのね。


「さっきの見てたよ」


「…」


私はいくつか間を置く。何と返事するのが正解か分からない。まあ、見たくなくともあれは目に入るだろう。あんなに騒がれては。しかし、ケイリー様がとなれば。キャラメルミルクで笑われた時よりも遥かに恥ずかしくて仕方がない。


「面白いものだったでしょう?当事者の私ですら笑ってしまいそうになりましたもの」

「そうかな、とても辛くて去りたそうな顔だったけど」

「あら、察しが良いですわね。その通りですわ」


ふふっ、と私は笑う。自分の顔を崩さない為には笑っていることしかできなかった。


ケイリー様はしゃがみ、私と目を合わせ、手を取った。


「な、何を…」

「イアリス様、良かったら僕の国に来ませんか」


私は思わぬ急な誘いに固まってしまう。


「それは、何故ですの」


目をきょろきょろと動かし、戸惑いながら私は聞く。


「来て欲しいのもあるし、君が心配なのもある。でも、今じゃなくて良い。もし来たいってなったらこれに願って欲しい。僕が迎えにくるから」


そう言ってケイリー様は胸ポケットから一つのミサンガを取り出した。

私の手にぐるりとミサンガを巻き付ける。


「これは貴方がお作りに?」


ミサンガは売りもののようなしっかりとしたものではなく、手作りであろう柔らかい見た目をしていた。かわいい、その一言に限る。


「ええ、まあ。…下手で申し訳無いんだけど、」

「いえ…凄く嬉しいですわ」


私は貰ったミサンガを空に掲げてみる。暗い今でも輝いて見える。そして、これには何か魔法がかかっているような気もした。


願えば、ケイリー様が出てきてくれたりするのだろうか。




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