三浦さん

 自室に入ると水色の箱にあるあふれんばかりの菓子類が目についた。持っている鞄を投げつけ、目をそらす。意味無かった。こんなもの。

 ため息を吐いて倒れこむようにベッドに横たわる。どこになにが置いてあるのか、目をつむっていても当てられる。スカート、リボン、三つ編み、レース。かわいくて、キラキラ、ふわふわしている私の部屋。

 大切に育てられた。友達にも恵まれた。容姿にも、たぶん。私の母はいつも私を「かわいい」と言う。母だけではない。私は頻繁に「かわいい」と言われる。私にとってそれは日常で自分にしっくりくる言葉。かわいいものが好きで、一般的に女の子らしいとされるものも好き。それが今、揺らいでいる。原因はわかっている。ほんの些細な取るに足らないこと。

《男時》恵まれているとき。運のいいとき。

《女時》ついていないとき。運の悪いとき。

図書室でふと手に取った風姿花伝の中の言葉の意味に違和感を覚えた。しっくりこない、というか理解できない。受け入れたくない。それはおそらくこの単語に男と女という字が入っているせいで、、、。

次の日もその次の日も頭の中から消えなかった。昔の言葉だ、ただの言葉だ、わかっている。わかっているけれど無視できなかった。言葉が文化を作り、文化が常識を作る。この時代に生きていた人は自覚することすら許されなかったのかもしれない。それでもこの言葉が使われた時代の背景を思わずにはいられなかった。そしてそんな時代と続いている今のことも。

女は悪いことなのか。

ふと浮かんだ疑問は今までの自分の全てを否定する可能性を孕んでいた。


「三浦さん」

 次の日、帰ろうとすると廊下で福田さんに声を掛けられた。昨日のことを思うと振り返るのを一瞬ためらう。

「ああ、福田さん。昨日はごめんなさい。今日も早く帰らないといけなくて」

 「また明日」早口で言い、逃げ出すように足を動かす。

「待って」

「見ないで」

 引き留めようと掴まれた腕を反射的に振り払う。

どこかでわかっていた。「かわいい」に含まれるかわいい以外の意味を。「女」につきまとう身体的特徴や性別だけではないイメージを。ずっと見えないふりをしていたのに。

俯いて握りしめた制服のスカートに『女子の』という言葉がついて見える。そんなものばかりが見える。

「ごめん、三浦さんに聞きたいことがあって。どうして」

 急に髪切ったの?

男になれば何かわかるかもしれないと思った。男ってなんなのか女ってなんなのか、間違っているのか正しいのか。いや、そんなことは全部ただの後付けでとにかくなにかを変えたかった。男にはなれないからせめて男に近づこうとして髪を短く切って、骨格を隠すために太ろうとひたすら食べた。でもほんとは切りたくなかった。髪を切ってすぐに後悔した。なにか変わるかと思ったけどなにも変わらなくて、わからなくて、全部無駄だった。

 髪を短くしてもその下にある細い首は隠せない。太って鎖骨が埋まっても女である証までは埋まらない。私はどうしても女だ。

なんかあったの、なにもない、なにもないことがあった。

なにも答えないでいると目の前に紙切れが差し出された。福田さんが描いた私の絵だった。受け取り、じっと見つめる。

 福田さんには私がこんなふうに見えているらしい。

 私は私をどんなふうに見ているのだろう。

「三浦さんは三浦さんだよ」

 福田さんの声が降ってくる。

「私は今の三浦さんも前の三浦さんもどっちも好きだよ」

 真剣な目をしている。真剣に私を見ている。

風が吹いた。髪を押さえた福田さんが目を丸くして「ない」と呟く。

「なにが?」

「天秤が」

 天秤?福田さんの視線を辿るがなにもない。

「いや、その。な、なんでもない」

 慌てる福田さんを見て思わず笑みがこぼれた。なんでもないってなんでもない時に使わない。それでも、なんでもないもいいかなと思った。

 なんでもないをなんでもないにしておくように、このままの私もいいのかもしれない。

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三浦さんの髪形とそれに伴う天秤の変化について 降矢あめ @rainsumika

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