家にこもりがちなあの子に好きと伝えたい
川野マグロ(マグローK)
あの子に好きと伝えたい
いつも学校に来ないあの子。
席はあるのに姿を見せない子。
別に、空いている席というわけではない。
誰かの席、大崎さんのために用意されている席だ。
その席が使われているところを、僕は見たことがない。
始業式の日、親と一緒にいる背中を見ただけの子。大崎さんとはその子のことだ。
ああ、あの席の子かと、なんとなく納得したような気持ちになったのを覚えている。
接点はそれだけだろうと思っていたら、たまたま家が近いからと、僕はその子の家までプリントを届けることになった。
「はあーあ。どうして僕がこんなことを……」
これでは、ただでさえ忙しい学生生活が、余計に圧迫されてしまう。
そもそも僕は、家が近いからといって、大崎さんとは知り合いでもなんでもない。
当然、僕がプリントを届けに行ったからといって、大崎さんは会ってくれなかった。
まあ、そんなものだろう。
僕はそんなこと気にしていない。
大崎さんのお母さんが優しかったからとか、そういうことではない。
一応毎日プリントを届けてはいるが、これは、断れないからやっているだけで、大崎さんに恩を感じてもらおうと思ってやっているわけではない。
それに、特段人間関係が得意でもない僕としては、特に何もない方が都合が良かった。
はずだった。
ある日、いつもと同じように大崎さんの家へ向かうと、庭で猫と戯れている女の子の姿があった。
いや、戯れていない。ひなたぼっこしている猫を、縁側で眺めている女の子の姿だった。
それでも、そんな何気ない、パジャマ姿の彼女を見て、僕は頭が真っ白になった。
急に顔が熱くなって、心臓の音がうるさくなった。
突然、独り言のように言った、自分の言葉を思い出した。
恋なんて、バカがやることだ。
そんな風に思っていた僕にとって、今の反応は、一番あり得ない反応のはずだった。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。止まれ止まれ止まれ。
あり得ないはずなのに、僕の思考とは裏腹に、心臓の鼓動はどんどん速くなっていく。
何が起きたのかわからない混乱の中、あっ、という大崎さんの声だけがはっきりと聞こえてきた。
気づかれた。
じっと彼女のことを見続けていたせいで、彼女は警戒したような気まずそうな顔をしてから、ゆっくりとした動きで家の中に入ってしまった。
やってしまった……。
誰がどう言おうとやってしまっただろう。
僕は、逃げるように家に入った彼女の、一挙手一投足を観察するように、じっと見入ってしまったのだから。
「はぁ……」
それでも周りは、そんな僕のミスを知らない。
大崎さんのお母さんさえ、何もなかったかのように、僕からプリントを受け取った。
だから、当たり前のように、僕はまた頼まれる。プリント係を任される。
初めて、大崎さんの家に行くことが嫌になった。嫌われたかもしれないということが恐ろしいと初めて知った。
ただ、驚いたことに、それからというもの、僕が大崎さんの家に行くと、彼女は時々、顔を出してくれるようになった。
少し距離は感じるものの、今日はお母さんがいないから、とかなんとか言いながら、僕からプリントを受け取ってくれるようになったのだ。
段々と、表情からあからさまな警戒の色は消えていき、いつしか、家にまで上げてもらうようになった。
図々しいということは分かりつつも、やはり、断れない性格が家に上がることを拒めなかった。
「いつも悪いから、上がっていってよ」
なんて言われたら、断る方が失礼な気がした。
いや、違う。本当は、断りたくなかった。
こんな気持ちは、大崎さんに対してが初めてだった。
彼女の前では、どうしても声が上ずるし、いつも手が震える。
そんな意味のわからない変な様子だからか、いつも、変なの、と笑われるけれど、むしろそれで良かった。僕としては、彼女に笑ってもらえるならそれで良かった。
僕は、少し打ち解けてきた、そんな勘違いだけで、浮かれるような、軽い人間だったらしい。
だが、僕はずっと、大崎さんへの気持ちを隠してきた。
一週間? 一ヶ月? そんなのあっという間だった。
でも、今年初めて同じクラスになって、それからの関係だ。だから、まだそんなに長い関係じゃない。
もうすぐ夏休み。
この関係は当分なくなる。
長袖だった彼女のパジャマも、少し薄着になった。
そんな彼女の姿に、いつも以上にそわそわする僕は、存在するだけで笑いを誘っていた。
「君ってさ。いつもそんななの?」
「そ、そんなことないさ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。大マジだよ」
「へー。そうなんだ」
信じてるんだかどうなんだか。楽しそうにふふっと笑いながら、彼女は息をついた。
いつも、家にこもりきり。
僕は人と話さなくってもどうってことないけど、大崎さんはそうじゃないのかもしれない。
僕がやってくると、いつもいろんな話を聞かせてくれる。
僕の相槌は上手くないけど、それでも聞いている僕は、彼女の話を聞けるだけで幸せだった。
「……好きだな」
何気ない彼女の仕草に、思っていることが漏れてしまった。
「あ」
大崎さんの方を見ると、彼女もまた、僕を見ていた。ゆっくりと、瞳孔が広がっていくのが視界に入る。
あ、あ……。
何か続く言葉を探すけれど、声が出ない。
顔を赤くし、目を泳がせる彼女の顔を、ただ見ていることしかできない。
やばいと思った時には、彼女は暗い顔で笑っているだけだった。
「ありがとう。君は優しいんだね」
家にこもりがちなあの子に好きと伝えたい 川野マグロ(マグローK) @magurok
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