第3話 月面世界ミナス


「待って! あなたは誰なの?…………」


 リーナは自分の叫び声で目が覚めた。目に入ったのは天井へ伸ばす自分の右手。


「…………って、またあの夢か」


 挙げた右手の甲で目を隠したリーナの口からため息が漏れる。


「あの女神様、アベルと一緒に行った大神殿で見た神像に似てたなぁ」


 夢を思い返してみれば幼い子供の頃に見た女神像に似ている気がした。


 それにしても、ここのところ彼女の夢を毎日のように見るような気がする。


 これも5つ年上の幼馴染アベルが教えてくれた神々の時代にリーナは目を輝かせ、彼が教えてくれた女神への祈りを欠かさなかったせいなのだろうか?


「女神様なんているわけないのに」


 あれから10年以上経ち、さすがに18にもなれば神が神話の中の産物だってわかる。神話は1万年以上も前の話であり、神とは何かの象徴であろうというのが今の学説。


 女神など夢物語であると理解したのが子供の卒業なのだ。


「まあ、それでも祈っちゃうんだけどね」


 幼い頃からの習慣はなかなか抜けないもので、リーナは毎日お祈りしないと落ち着かない。今でも時間があれば朽ちた神殿まで行って捧げ物をしたりもしている。


「まったく私も暇よ――ねっ!?」


 ふと視線を横に向けて目に入った時計の指す時刻にリーナは青くなった。


「いけない、遅刻しちゃう!?」


 あたふたと制服に着替えて部屋を飛び出し、ドタバタと寮の食堂へと駆け込んだ。


「リーナも毎朝懲りないわよね」


 慌てふためくリーナを迎えたのは緑の髪を三つ編みにした同年代の少女。声だけではなく、その眼鏡の奥の翠の瞳にも呆れが見える。


 リーナの級友ネムである。同じ学校、同じクラス、同じ寮と入学してから何かと縁があった。何故かリーナとは馬が合い何くれと一緒に行動することが多く気安い邑人である。


「髪がボサボサよ」

「整える時間がなかったの!」

「せっかく可愛いのに台無しよ」


 先に朝食を済ませていたネムが呆れる。


「そんなんだとアベルさんに愛想尽かされちゃうから」

「ア、アベルと私はそんなんじゃ!」


 5つ年上のアベルはリーナの幼馴染みで関係はちょっと微妙である。


「顔良し、頭良し、運動神経抜群で将来を嘱望された研究者ーー完全無欠の彼氏のアベルさんの何が不満なの?」

「だから彼氏とかじゃないって!」

「アベルさんが嫌い?」

「好き……だけど」


 リーナとしてはアベルへの恋心を自覚してはいた。だが、アベルが自分を好きだと思ってくれているか自信がなかった。


「アベルは私のことを妹みたいに可愛がってくれるわ。だけどそれは恋人とは違うと思うの。告白されてもないし」

「リーナ、それホンキで言ってるの!?」


 ネムは異星人でも見るような目をリーナに向けた。


「いいことリーナ、世界を飛び回って超弩級に多忙なアベルさんが少ない休暇を全てあなたの為に使ってる意味が分かる?」

「アベルってすっごくマメで義理堅いのよねぇ」

「私、アベルさんが憐れになってきたわ」

「な、なによぉ」


 ネムはもうお手上げとばかりにリーナを残し席を立って食器をさっさと片付けた。


「あ、待ってよ」

「あなたに付き合ってると私まで遅刻しちゃうわ」

「あーん、薄情者!」

「早くなさいリーナ、置いて行くわよ」

「今行くからぁ」


 リーナも慌てて食器を片付けると先に出たネムを追って外に飛び出す。彼女の眼前に青い月が飛び込んできた。


青き大地ガイア……」


 その星のあまりの大きさにリーナはいつも魂ごと吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。


「あの星って人が住んでいるんだよね」

「まあ、あっちが私達のご先祖様の故郷だからね」


 遥か昔、発展を極めた魔導工学によって人類は青い大地から月面世界ミナスにまで版図を広げた。


 衰退した現在は青い大地との交流は途絶えてしまったけれど。


「星を渡る技術があった頃ってどんな感じだったのかなぁ」


 宇宙を行き交う技術も千年以上前のものでもはや伝説になっている。宇宙港は既に遺跡となっており、当時の発展の見る影もない。


「それこそアベルさんに聞いたら?」

「アベルはまだ遺跡調査中よ」


 アベルは歴史を研究しているので、その手の話に確かに詳しい。


 そんな幼馴染みのことを考えていたらリーナは無性に会いたくなった。



「アベル……早く帰ってこないかな」

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