判明
翌日も私は海岸に来ていた。もちろん天気は雨だ。内側から錆びてきた傘の骨を見上げながら、雨に濡れた遊歩道を歩いて行く。
昨日の会話を思い出しながら、私は怜花の言う通りだと思った。怜花がしたがるのを拒否するのはいつも私だし、多分様子がおかしいのも本当だ。それは全部私が悪い。この事が二人の関係に影響を及ぼしている事も分かっている。
いい加減向き合わないといけない。
そのまま海岸を歩いて行くと、昨日と同じ場所に佇む女性を見つけた。昨日の女性は確かに存在していたのだ。
「あ、良かった……居た」
相変わらず傘も指さないその背中は後悔と悲壮感を纏っている。服装も同じだから昨日から時間が止まっている様だ。今日はこの女性と話したい。私は女性の元へ歩きだした。
そして女性の真後ろにまで来た私はそっと肩を叩く。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
すると女性はゆっくりとこちらを振り返り始めた。女性が見せた初めての反応に、私の心臓はドキンと跳ねる。やっと顔がみれる。だが、振り返った女性の顔はあまりにも私に似ていた。
「うそでしょ……」
あり得ない。なんで私の顔をしているの? ドッペルゲンガーにしては似すぎているその顔をまじまじと見る。目鼻立ち、口元、全てが私そのものだった。まるで私をコピーしてペーストした様な女性に私は気味の悪さすら感じ始めていた。だが、ようやく対面出来たのだ。これで話す事が出来る。私はつっかえながらも女性に話しかけた。
「あ、あの……貴女は一体……」
女性は答えない。だが、言葉を返す代わりに、女性の右目から一筋の涙が零れた。
「なんで泣いているの?」
涙の雫が頬を伝って落ちたその時だった。
それまで雷鳴など全く聞こえていなかった空から、突如落雷が降り注ぎ、目の前の海に落ちた。
猛烈な音と光が私の視界を奪っていく。
これでは昨日と同じ事だ。昨日も落雷の直後に女性は消えた。今日も同じ事になるのはダメだ。私の同じ顔を持つ女性。一体どういう事なのか私は知りたい。
だが、視界が戻った時、女性の姿はどこにも無かった。
「ああっ、もう! 何なのよ!」
あの女性が泣いていた理由を知りたかった。もう少し話す事が出来たら何か状況が変わっていたかもしれないのに。
そんな事を想っていると、視界の隅が青白く発光しているのに気づいた。私は気になり、その場所を見やった。光の正体はスマホだった。ディスプレイには見出しと共に文章が映し出されている。もう少し近くにいかないと良く見えない。
私は近寄り、しゃがみながらそのスマホに手を伸ばしたが、違和感に気づき途中で手を止めた。
「あれ、このスマホ……」
それは私も使っている有名な海外メーカーの物だった。だが、デザインが現在発売されているどのモデルとも一致しない。記憶の中の過去に発売されたモデルと照らし合わせてみたが、そこでも一致する物は無かった。だけどどこかで見た事がある気がする……。私はまた記憶の中を泳ぎ始める。すると、記憶の中にこのスマホと同じものを見つけた。だが、そのスマホが今、目の前にあるのはあり得ない事だった。
「……嘘でしょ」
今私の足元に落ちているスマホは、過去にネット上で見たこのメーカーのスマホの未来予想CGに酷似していた。だから見た事があったのだ。
この事実が今の私が置かれている状況の異様さを
このスマホがまだ発売されていないのは明白である。なのになんで模型でもないアクティベートされた状態でここにあるの?
混乱する頭で、私はそのスマホを手に取った。ディスプレイに表示されているのはネットニュースの記事だった。日付は——5年後?
あり得ない。どうせ何かのいたずらか何かだろうとは思ったが、逆にどんな事が書いてあるのかが気になって来た。
そのニュースの内容はこの様なものだった。
〈2028年11月1日、○○市○○町のIT企業、××××の社内で、社員の
「……何これ」
怜花に私が殺された? 随分ピンポイントないたずらだと思った 。 しかし、いたずらにしては良く出来過ぎている。ニュースの構成、サイトのデザイン等も普段見ているニュースサイトと遜色ないクオリティである。また、スマホもデザインこそあり得ないものの、どう見ても本物のスマホだ。——多分、このニュースも本物だ。まるでスマホだけがこの2028年から私の住む2023年に迷い込んだかの様だった。
だが、そんな事が起こるはずがない。SFじゃないんだから。そう自分に言い聞かせる。だが、手の中にあるこのスマホの存在感が自己暗示を意味の無い物にしていく。だめだ。全然落ち着かない。
もう少しこのニュースを見てみる事にした私は、スマホの画面を下にスクロールする。すると「被害者の潮美奈穂さん(SNSから)」という文字がしたからぬっと出てきた。そのままスクロールすると、そこに出てきた写真に私は言葉を失った。
「……」
その写真は紛れもない私だった。多分会社内でとられたであろう写真。写真の中の私は満面の笑みをこちらに向けている。そして服装は落雷の度に消えてしまう、私と瓜二つの顔を持つ女性と同じだった。
「あの女性は私自身なの? 五年後に怜花に殺される……?」
海岸に現れた未来の私。手元にある発売されていないはずのスマホ。怜花に殺された事を伝える未来のネットニュース。一気に押し寄せる“ありえない”の濁流に窒息しそうになる。そもそも私が怜花に殺されるなんて考えられない。
まずはこの場から立去りたかった。これ以上この場に留まっていると正気を失ってしまいそうだ。その前にこのスマホを捨てないと。どうせなら海に放り投げてやる。
私は小さく助走をつけ、スマホを力いっぱい海に放り投げようと腕を上げる。だが、手に規則的な振動を感じ、振りかぶった姿勢で私は動きを止める。
——電話だ。
誰から? こんなスマホにかかって来る電話なんてロクなものではないだろう。普通に考えて出る必要……いや、出てはいけないであろう電話だ。だが、私はディスプレイに釘付けになった。
「な、なんで? は……?」
そこには、世界で一番良く知る名前が浮かび上がっていた。
〈潮美奈穂〉
私から私への電話。これは本当に現実? 出てはいけない。出てしまったら、多分知りたくない事を私は知る事になる。そんな思いに反して、触っていないのにディスプレイの表示が通話中に変わった。私は受話器を耳に当てた。そうしないとダメな様な気がして。
「……もしもし」
反応が無い。その代わりに荒い息と慌ただしい足音が聞こえて来た。多分、相手は室内で何かから逃げながら電話をかけてきている。
「もしもし? もしもし」
相変わらず足音と息遣いしか聞こえてこない。だが、その息遣いは普通ではない程に必死だった。まるで止まれば死ぬとでもいう様な必死さ。私の脳裏には先刻のニュース記事が浮かび上がっていた。これは多分、死ぬ直前の私だ。
「ちょっと! 大丈夫?」
私は思わず大声で呼びかる。電話を切ってしまえばもうこの現象に関わらなくて済むのに。
すると、やっと相手から返事が返って来た。
『はあっつ、はあっつ、……美希‼ 助けて‼』
その声は明らかに私の物だった。未来の、多分殺される直前にかけたであろう電話。五年後の私の声。
握力が抜け、さしていた傘が地面に落ちる。雨が私を濡らして行く。だが、反対の手はスマホを壊れそうな程強く握りしめていた。
『あんたとの関係が怜花にバレたのよ』
……ああ、あああ、私は……私は五年後もまだ浮気をしているのか。
全身の力が抜け、自分の体重を支えるのでさえやっとだった。五年後の私は不倫相手に助けを求めていた。しかも自分の命がかかった場面で。そんな時に助けを求める相手が不倫相手だという事に、私は情け無さと惨めさで泣きたくなった。なんて惨めな人間なんだろう。
その惨めな人間からの電話は続いて行く。
『ねえ、美希? 美希⁈ 聞いてる』
直後、電話越しに別の女の声が聴こえて来た。小さくて何を言っているのかは分からないが、電話越しの未来の私が明らかに焦り始めた。
『……ッツ! 怜花⁉ ね、ねえ、お願い、私の話しを聞いて! 不倫は悪かった。悪かったから! けどそんな物騒な物持ってたら話しも出来ないでしょう』
『うるさい! 黙れよ!』
初めて聞く怜花の怒号に私の心臓が大きくうねる。普段とても穏やかな怜花は怒る事すら滅多にない。怜花と同棲して長いが、今まで一回も声を荒げた事が無かった。そんな怜花の電話越しにすら分かる程の殺意を含んだ怒号。これは私の行いが引き出した怜花の一面。怜花にこんな声を出させているのはほかでもない私だ。
『言ったよね? もうしない、怜花が一番だって。浮気が分かる度に私に言うその薄っぺらい言葉をあたしは何回も信じようとして来たんだよ? もう本当にしないのかもしれない。今度こそ最後かもしれないって。……けどね、そんな期待はあんたが吐く言葉よりも薄くて信用出来ない物だってわかった。あんたはもう変わる事は無いんだって理解したから。だから死んでお願いだから』
未来の私が息を飲む音が聴こえる。「ちょ、ちょっと……落ち着きなさいよ、ねえ!」その後、スマホが地面に落ちたのが分かった。揉みあう音、言い争う声、そして小さな悲鳴が聞こえた後、電話が切れた。
あの電話を聞いた以上、信じるしかなかった。
それだけあの電話は私の心を深く
手に持っていた未来のスマホを砂浜に置き、自分のスマホを手に取る。チャットアプリを立ち上げると、浮気相手とのトークルームに一方的で理不尽な別れの言葉を送る。そして浮気相手のアカウントをブロックし、スマホをカバンにしまった。
とことん自分勝手で不誠実だ。怜花だけじゃなくて全方位に。もっと早くにこうしておけば良かった。ここからは私次第だ。もう絶対にあの背徳的刺激には溺れない。説得力も無いし白々しく聞こえるかもしれないが、私は怜花が一番好きなのだ。
雨雲の間から差し込む日を浴びながら、私は立ち上がり家に向って歩き出した。
家に帰ると、怜花が玄関先に立って私の帰りを待っていた。玄関で恋人の帰りを待つ様なタイプではないからとても珍しい事だった。
「ただいま……何? 珍しいね」
返事が無い。怜花は腕を組みながらうつむいて玄関に佇んでいる。ふと、怜花が手に何か持っている事に気が付いた。それははがきに近い大きさで……写真?
「怜花? その手に持っているの何? ——写真?」
すると怜花はいきなり手にもっているものを私の足元にばらまいた。
波が砂浜に打ち寄せる様にそれが広がって行く。それは写真だった。アングルからみて隠し撮りされたであろう私と今の浮気相手が映った写真。
「な……これ……ど、どうしたの」
そこでようやく怜花はうつむいていた顔を上げ、私を見た。その大きな目は深い失望と侮蔑に満ちていた。その眼差しを間近で向けられた時。真の意味で私は自分のやって来た事の重大さに気付く。
「これ……美奈穂だよね。まあ、前から感づいてはいたけど」
「怜花が撮ったの」
「気にすんのそこかよ。——いや、違う、探偵に依頼した」
冷笑を浮かべたまま怜花は続ける。頭の中で海岸で聞いた電話の内容流れ始める。
「あたしはね、同棲当初から何となく気付いていたよ、美奈穂が浮気している事に。そこで探偵に美奈穂の素行調査を依頼する事にしたの。直接あんたに問い詰めたってのらりくらりかわされるだろうし。あんた得意だもんね、そういうの。だからめっちゃ高かったけど探偵に行ったの」
「……もしかしてバイトしてたのって」
怜花はいきなり真顔になり言った。
「そう、全部これの為。稼いだ金全部これに消えて行った。その代わり、これだけ確固たる証拠が手に入った」
「じゃ、じゃあ、同棲の生活費ってどこから出てたの……?」
「貯金だよ。お陰で殆ど無くなった。高校の時クソ程貯めたから金だけはあったんだよ」
そして怜花はポケットから何かを取り出した。それが怜花のポケットから出てきた事に私は自分の気が狂ったのかと思った。
「ああ、その顔。あんたも観て聴いたみたいだね」
怜花の手には、海岸で私が手に取ったものと同じスマホが握られていた。
「家に帰って来たらそこのテーブルに置いてあったんだ。最初美奈穂が置き忘れて行ったんだと思ったんだけど、ディスプレイの明かりが付いていたからおかしいなと思ったんだよね。そしてスマホを覗き込んでみたらあのニュース記事が表示されていたのさ」
私は思わず小さく後ずさった。頭の中ではずっと電話の音声が流れている。
「最初はあたしだって信じてなかったよ、けどね、その後にかかって来た電話を聴いてからは……信じざるを得なかった。それだけあの電話には力があった」
「も、もしかして怜花……」
怜花は笑いながら顔の前で手を振った、そんな事はありえないという様に。
「あり得ないあり得ない。少なくとも美奈穂を殺そうなんて思ってないから。けどね、その代わり納得のいく説明をしてもらいたいかな」
そう言って怜花はベッドを指さした。
「立ったままもあれだからさ。座って話そうよ。もう隠しごとは無しだからね。証拠は一通り探偵から上がって来てるから。ちゃんと話して欲しい」
怜花に促されながら私はベッドに向かった。言われなくても分かってる。身勝手な願いだけれど、全てを話してまた怜花と暮らしたいと思っているのだから。
打ち寄せる未来 彩羅木蒼 @sairagi
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