第33話:あすなろ抱き

 学校の帰り、そのまま家に帰らず本屋へと立ち寄った。雑誌の立ち読みがしたいのもあったが、それ以上に楽しみにしている某漫画の新刊が発売する日なのだ。

 そして目的の本を買った後、気分よく帰宅した。


「晴子ー! 新刊買ってきたぞー!」

「おっ。そういや今日が発売日だったか」


 特に好きな漫画なので毎回楽しみにしている。当然それは晴子も同じだろう。


「そうだよ。ずっと楽しみにしてたじゃねーか」

「あーすっかり忘れてたよ。前の巻読み直してみるかな」

「んじゃ俺は最新刊読むわ」


 家事はほとんど晴子がやってくれている。だからこそこうやってのんびり出来る時間も増えたのだ。晴子には感謝しないとな。

 さっそくベッドの上に座り、買った本を読む事にした。




 何分か経った時だった。晴子が俺の隣に座ったのだ。


「……なんか用か?」

「別に」


 なんだこいつ。変なやつだな……

 まぁいい。無視して本に集中しよう。


「…………」

「…………」


 …………駄目だ。なぜか晴子がジーっと俺を見つめてくるせいで集中できん……


「おい。俺の顔になにかついてるのか?」

「いや?」


 分からん。本当に分からん。こいつは何がしたいんだ?

 もしかして前の巻を読み終えたから、最新刊が読みたいのだろうか。


「もう少し待ってくれよ。まだ読み始めたばかりなんだから」

「…………」


 なんでこいつは俺の顔を凝視してるんだろうか。気になって顔を触ってみるが何もない。


「なぁ晴子。言いたい事があるなら言ってくれよ」

「んー…………」


 晴子は少し近づき、考えるような表情をしながら見つめてくる。


「いやぁ。変な顔だなーって」

「……ケンカ売ってんのか。つーか元々お前の顔でもあるんだぞ」

「そうだけどさー……」


 マジで意味分からん。いきなり失礼なこと言いやがって。本当に何がしたいんだこいつは……

 あれか。俺が先に最新刊読み始めたから嫌がらせでもしたかったのか?

 いや、でもそんな性格じゃなかったはず。じゃあなんでこんな子供染みたことするんだ?


「ふふ…………」


 いきなり笑い出したよこいつ。今日の晴子はいつも以上に変だ。何を考えてるのかさっぱり分からん。

 もういいや。気にせず集中しよう。


「なぁ。本持ったままでいいから両腕を伸ばしてくれよ」

「は? 意味わかんねーよ」

「いいから。ほら早く」


 何の目的で俺にこんなことさせるんだ?

 まぁいいすぐ分かるだろう。とりあえず晴子の言う通りに、本を持ったまま両手を前に出した。

 すると――


「よっと……」

「なっ……お、おい! 何してんだ!?」


 両腕の中に晴子が入り込み、膝の上に座り始めたのだ。


「どうせなら一緒に読もうぜ。読むスピードは一緒なんだしさ」

「い、いや。そうじゃなくて――」

「ほら早く。よく見えるようにちゃんとページ開いてくれよ」

「お、おう……」


 …………何なんだこの状況は。俺の膝の上に晴子が座り、密着した状態で一緒に読もうだって? 

 いくらなんでも大胆すぎるだろ……!


 しかしなんというか……いいにおいがするなぁ。

 目の前には晴子の後ろ頭があり、そこからシャンプーやらリンスの香りと共に晴子のにおい・・・・・・がするのだ。

 晴子の癖になんでこんないい匂いするんだよ……ああ、そういやこいつ色々な種類のシャンプーとか持ってたな。きっとその中に香りが強いタイプがあるんだろう。それのせいだ。


「早くページめくってくれよ」

「あ、うん」


 言われるがままにページをめくる。

 くそっ、これじゃあますます集中できん。早くどいてくれないだろうか。

 というかこいつ目的が分からん。あれか、これも嫌がらせのつもりか?

 それなら理解できるけど。


 しかしなんだ、晴子――というか女の子の体ってこんなに柔らかいもんなのか?

 両腕の中に晴子が納まっているため、まるで後ろから抱きつくような格好になっている。

 何度か密着されたことはあるけど、こんな風に抱きしめたようなことは無かった気がする。

 もし……もし思いっきり抱きしめたらどうなるんだろう……


 …………


 いやいや、違う違う! 

 俺は一体何を考えているんだ。相手は晴子だぞ。

 いくらなんでもそんなやつを抱きしめるなんて――


「おい。早く次めくれよ」

「わ、悪い」


 今の俺はもはやページをめくる機械と化していた。本なんて全く見ていない。とてもじゃないが読めるような状況じゃない。


 ああ……駄目だ。少しずつ理性が削れていくのが分かる。

 最近の晴子はやたら可愛らしくなってきたというか、元男だってことを忘れそうになるぐらい変わってきてるからな。

 俺だって男なんだ。こんな美人な女の子に密着されたら、思いっきり抱きしめてみたいという欲求ぐらいある。


 もしかしたら、晴子ならそのぐらいしても許してもらえるかもしれない。いつも晴子の方から抱きついてくるしな。


 ちょっとぐらいなら――


 ……ってだから! 駄目だっての! 


 いくら晴子でもそんなことされたら嫌がるに決まってる。なんたって中身は『俺』なんだからな。体は女だけど精神は間違いなく男のままなんだ。さすがに拒否されるのがオチだ。


 やばい。こうしている間にも理性がどんどん削られていく。早く開放してくれないかな……


 いっそのこと襲いかかってみるか?

 毎回こいつにからかわれてるしな。

 いい機会だ。一度思い知らせてやるか……


 ――違う!

 そんなことしたら嫌われる。いくら相手が晴子でもそこまでする必要はない。


 いやでもそうでもしないとこの状況は変わらない。


 俺は……俺は一体どうしたら――




「ったく……」


 晴子は腕の中から抜け出し、立ち上がってドアへと歩き出した。


 よかった……やっと開放された……


 そして晴子はドアの前で立ち止まった。

 そのままこちらに振り向き――


「ば~かっ」


 笑顔でそう言った後、部屋から出ていった。


 あいつは何がしたかったんだ?

 それにしても危なかった。もう少し遅かったら……たぶん晴子のことを――いや、止めよう。過ぎたことだ。今さら考えても仕方ない。


 部屋で一人になっても漫画の続きを読む気がせず、しばらく放心していた。

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