第6話 自称サワ自宅にて

「んで、一体何がどうなってんだよ?」

 サワ宅のリビング。そのソファで、謙吾は目前のテーブルに置かれた、茶色の液体を注がれたグラスに恐る恐る一口付けた。安全な麦茶のようだ。

 謙吾はカラスの行水並みの、海水に違いないにわか雨を肌から洗い落とすだけのシャワーを浴びると、早々にポロシャツとこじゃれたステテコに着替え、突貫工事以上のスピードでこしらえられたサワの家に来ていた。ここにはいない雪花はまだシャワーを浴びているのであろう。

 入ってみれば、まともな人家のたたずまい。リビングも、キッチンも、トイレも広告が一次元増えたような典型的新築家屋である。見てはいないが恐らく浴室も、そうなのであろう。でなければ、雪花が絶叫をあげている。

 頭にバスタオルを被ったままで、さっきまでとは異なるデザインの服を着たサワはダイニングキッチンから出てきた。自分の分の麦茶を持っている。

「言ったろ。礼がしたいと」

 サワは謙吾の真向かいにどっかりと座り、グラスを氷で鳴らした。

「それだけじゃないだろ。家建てるってのはどういうことだよ。俺はてっきり帰ったもんだと思ってな。それにお前、あの変な雨みたいな現象のこと知ってるだろ。てか、あれ雨じゃなくて海水だろ」

「早口に立て続けに聞くな、ケンゴよ。もちろん、礼ばかりではない。他の理由は後で話すとして、ケンゴが垣間見ているこの技術力、すばらしいであろう。私達の文明の力だ」

「高い知能にもほどがあるだろ。人間でさえ他の種に変身なんて出来ねぇってのに」

「浅はかだな。海の中を知らん人間がいかにも言いそうなセリフだ。いいか、ケンゴよ。海の中を人間は十全に理解しているか?」

 尊大な話しぶりで、見下されているのは癪だったが、不思議と嫌味はなかった。ハイパーテクノロジーのイルカが散歩とか言い訳して、玄関に空腹でぶっ倒れていた事実からすれば、どこか迂闊なドジッ娘としか連想できない。謙吾は、サワの問いかけに黙ったままにした。

「ならばだ。人間が地上に文明を築いたように、あるいはそれ以上の文明が海中にないと誰が言えよう?」

「無いってことの証明は難しいことくらい分かるつうの。でもな、いきなりな……」

 謙吾は部屋を一瞥してから、サワの顔を見た。どこをどう見ても普通の家。その中にいる人間にしか見えない姿に変身したイルカ。

「なんだ? 私の顔に何かついているのか?」

「いや。で、その高度な文明の市民さんが、何の用事があってわざわざ地上に来てんだよ?」

「そうだな、それを言ってやろう」

 ネジのような謙吾の言い方に無頓着なのか、気にしていないのか、サワはよどみなく答える。

「簡単に言えば、研修と言おうか。ケンゴとユキカは制服を着ていたな。すると、学校に行っているのだろ。それならば、校外学習と言い換えてやろうか、どうだ?」

「校外学習……? 家、建てたのは……それが理由か。……ん? ちょっと待て。それってもしかして、お前以外にも海中から地上へ来ている連中がいるっていうことか?」

「そういうことだな。当然行先や時期は違うがな。そこいらにいるだろ」

「エイリアンの地球侵略もビックリだな、そりゃ」

「ケンゴよ、さっきから言い方がひねくれてないか。少し気を付けた方がいいぞ」

 やはりチュロスのような言い方を気にはしていたようだ。

「なら、お前の話し方もそうだ。偉そうだぞ」

「それは致し方ない。実際に人間よりも高度な文明の民だからな」

「はいはい」

 これ以上言い合っても埒が明かない。サワはこういうしゃべり方をするのだと飲みこむことにした。

「校外学習ってからには、何か目的があるんだろ?」

「地上や人間の観察と言ったところだな。海にも影響があるからな。人間だって他の種の観察くらいするだろ」

「なら、そっちが地上に危害を加えるとかはないんだな」

「あるわけなかろう。ケンゴは幼稚園児がはしゃぐのをいちいち咎めたりするか?」

「人間は幼児扱いかよ」

「そういちいち噛み付いてくるな。大人気ないぞ。それにだ。人間の方が海の中に危害を及ぼしているとは思わんか?」

 海底資源の開発、魚介類の乱獲、海洋汚染などなど挙げればきりがないほどのことが脳裏をよぎる。それは学校の授業だけでなく、ニュースや新聞、ラジオでも何度となく報道され、また環境問題と言うくくりをするならば、ゴミの出し方も知識云々ではなく身近なことなのだ。謙吾の家は海が近い。浜辺のゴミは言わずもがなで、釣り針で海鳥が傷ついたとか、花火がきちんと消されてなくて子供が踏んで火傷をしたなどの話は、聞こう聞くまいとも耳に入って来る。

 海だけでなく他の生物種がもし言語を使えたのなら、サワと同じように「人間はここを汚していないか?」と断固とした異議申し立てをしてくるだろう。

「てかよ、人間の姿になれるんなら、今朝もその姿でいればよかったろう?」

「そうたやすい理由ばかりではないのだ」

 まったく答えになってはいないのだが、

「自分がイルカだってネタバレしなくても良かったんじゃねえか? 単なる引っ越してきた隣人としてさ」

 どうせなら、イルカはとんずらして、異国の留学生とでもしていればよかったのではなかろうか。

「ケンゴには知らせておいた方が、後々都合がよくなるだろうと判断したのだ」

「ア、ソウ」

 やはり理由になっているようでなっていなかったが、事情を目の当たりにしているのが自分だけであり、雪花をこれ以上関わらないようにすればいいだけなので、それ以上の詰問はしないことした。

 ――てか、俺が飯取りに行ってる間に変身しといても……いや、それはそれで風呂場に、このサワがいたら、それこそお盆ひっくり返してたか……

「で、当然、お前がイルカだって正体は秘密の方がいいんだろ? ま、言いふらすつもりはねぇけど」

「ケンゴよ、理解力があるのは褒めておいてやろう。そうしておいてくれ。今朝の飯の礼はいずれ返そう」

「いや、別にそれはいらんがな」

 謙吾はグラスを空けた。聞けば、サワが言う校外学習とやらは一か月にも満たない予定らしい。ちょうど夏休み期間とも重なっているので、あっという間に過ぎ行くことだろう。

それなら、家を建てるのではなく、どこかに泊まった方がいいのではと思ったが、言わないでおくことにした。納得しようがしまいが、サワ側の論理で進められているのだから。

「で、あの雨は?」

「あの雨はな……」

謙吾が気になって仕方のなかった関心に移ろうとした時、リビングのドアが開いた。

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