第7話 話の途中ですが波野雪花がお風呂から戻って来たので
白地に胸からお腹にかけてデカデカとポップなデザインの施されたティシャツに、黒のハーフタイプのジャージを穿いた雪花が、首にバスタオルを引っ掛けて入ってきた。
「サワさん、ありがと……。龍宮くん――!」
感謝が中途半端で終わる。リビングに想い人が居ることを想定していなかったようで、雪花は立ち止まってしまった。
「ユキカも座ってくれ」
ソファに促しつつ立ち上がると、サワはダイニングキッチンから雪花にも麦茶を出してきたついでに謙吾のグラスも満たした。
「じゃあ、私もシャワーを浴びて来るから、くつろいでいてくれ」
サワはリビングから出て行った。
「波野、これ忘れもん」
足元に置いてあったデイバッグを、今しがたまでサワが座っていた席に座る雪花に渡した。謙吾の家の前に置きっぱなしにしてあったそれを放りっぱなしにはできずに持って来ていたのだ。サワには聞きたいことが山ほどあったのは、言うまでもないことだが。
「でも、どうしたんだ? 俺ん家の前に来たってことは、俺に用でも?」
頭にバスタオルをかけて、受け取ったデイバッグの中から、
「えっと、休み時間に言ってたCD、渡そうと思って」
謙吾にそっと手を伸ばす。バスタオルを頭にかぶせて、顔を隠して。頬がほんのりと艶がある。それは入浴後だからというばかりではない。謙吾は想い人。その彼との予想外のコミュニケーション及び入浴後の姿を晒しているときめきや羞恥心がそこここにある。
「明日でもよかったんだが」
「早い方がいいかなって思って。それにちょっと用事もあったし」
「そうなのか。じゃ借りるよ」
そして沈黙。二人同時に麦茶を啜る。
「なんか……、きれいな人だね、サワさんて」
口を開いたのは雪花だった。
「いきなり隣に来られてもな」
「知らなかったんだ?」
息がほっと出る。麦茶の冷たさをようやくにして喉元が感じた。
「さっきまでな。波野が来た時は、どうやらちょうど挨拶に来たらしい」
話しを合わせておかなければならない。まったくもってイルカ人間の都合だが。
「やっぱり外国ってすごいんだね」
雪花の感心と同じ反応を謙吾はこの家に来る前にも見た。シャワーを浴びた後、隣人を訪ねようと家を出てすぐ、謙吾は近所のおばあちゃんに会った。今朝までなかった家が夕方には出来上がっているというスピード工事でさえ、何の違和感もなく見やっていた。
頭では分かっている異界のテクノロジー。しかし、超短時間で一軒家をこしらえる常識範囲を度外視の行動には、いささか警戒心に似た気持ちがゼロではなかった。それを雪花にしろ、近所の方々にしろ、それを受け止めている。なんとものんびりとした、ある意味で危機感のなさもあるように思えた。
「夕立すごかったね。やっぱり異常気象なんだね」
肌感が海水のようだとしても、雨以外の現象とは雪花はついぞ思っていなかった。謙吾と違って生来この島で成長し、そんな雨などこれまでに一度も降ったことはないだろうに。
「かもな」
謙吾が答えたのは一言だった。とはいえ、自分とてしゃべるイルカを何の疑いもなく自宅に上げたわけだが、今さらになって攻撃的な生物だったらどうしようなどと頭をもたげた。人間に危害を加えないとは、あくまで当人の弁でしかない。
「あーすっきりした」
善後策を考案し始める間もなくサワが、さっきと同じ格好でリビングに入ってきた。
「あの、サワさん。ありがとう。これ、どうしたらいい?」
ソファから立ち上がり、グラスを手にしている。
「そこに置いてくれれば、それで良い。ユキカの制服は今洗っている。今日はそれを着てくれていてかまわんぞ」
「ありがとう。じゃ、明日にでも取りに来ていいかな」
そう言うと、雪花はデイバッグを肩に担いだ。夕飯を勧誘するサワに
「ううん、そこまで甘えられないし」
やんわりと断り、帰ろうとした。謙吾にしてみれば、それは正解と言える。イルカ人間が何を食事のメニューとして出すかなど想像が容易なわけがない。
謙吾は、あの海水のような雨のことを何も聞けていないのが心残りではあった。しかし、一つ屋根の下でサワ人間態と二人でいるのは、居心地がしっくりこない気がした。
玄関でサワの見送りを受け、謙吾と雪花は並んで歩く。わずか数十歩の時間。二人を名残の熱が包む。
謙吾の自宅の前。雪花は自転車のかごにデイバッグを入れ、スタンドを蹴る。
「気を付けてな」
「うん、じゃ」
漕ぎ出す自転車を見えなくなるまで見送った。それから謙吾は振り向いた。やはりある。新築の平屋が。
どっと疲れを吐き出すような息を大きく一つすると、頭を掻いて、それから家に入った。
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