何のための努力
本郷
何のための努力
佐藤一真はじっとりと湿った手でバットを持ちながらバッターボックスへと向かった。
ザッザッザッ。
これでもかというくらいに土を踏み締める自分の足音が耳に響く。
9回裏2アウト、ランナーなし。スコアは5ー0で一真のチームが大きくビハインドしている。
お世辞にもチャンスとは言えない状況で一真は代打に選ばれた。
一真は自らの心臓がこれまでにない速さで脈打っていることを自覚しながらも、できるだけ冷静にバッタボックスまで歩く。
一真は高校球児として公式戦に出るのはこれが初めてである。この3年間直向きに努力を続けてきたが、出場の機会は与えられず、ずっとベンチ要員だった。
しかし、最後の最後で出番が回ってきたのだ。
審判に一礼して打席に立ち、そして大きく息を吸い込んからゆっくりと構えた。
一真は自分が今日の試合で出番がないだろうと考えていた。
しかし、それでも相手選手の情報はしっかりと調べてきた。
相手のピッチャーは加藤球児というプロ注目の選手だ。
ストレートは150kmにもおよび、もはや魔球と呼べるくらい曲がるスライダーとフォークを球種にもつ。
試合前はこんな化物をチームメイトが本当に打ち崩せるのか心配だった。
だが、まさか自分がその怪物と相対しようとは夢にも思っていなかった。
打席で構えた一真と球児の目が合う。その瞬間に思わず尻餅をついてしまいそうになった。
「っつ」
一真の口から声がもれる。
一真にはマウンドの上に怪物が立っているように見えた。
自分が一生かかっても倒すことができないような強大な怪物が。
そんな怪物が、今度は一真を食べようとしている。
まさにメインディッシュだ。
そんな怪物の放つプレッシャーは高校球児として初めて打席に立った一真を簡単に飲み込んでしまったのだ。
球児が大きく振り被る。
そして、大きく全身を使いその手からまるで弾丸のような球をキャッチャーミットめがけて打ち込んできた。
バン!
乾いた大きな音がする。
一真がキャッチャーミットを見るとそこには白球が収まっていた。
何もできなかった。
速い、速すぎる。そして、強い、強すぎるのだ。
一真はこの場所から一刻もはやく逃げ出したくなった。
高校三年間野球に直向きに取り組んだ。
そして、結果として三年間レギュラーになることはできなかったが、コツコツと取り組むことで、監督に信頼されこうして最後の試合に記念に出してもらえた。
だからこそ誰も一真がここで打つとは思っていないだろう。
誰も期待していないなら、こんな茶番を早く終わらせたい。
そんなことを考えていると、球児が再び大きく振りかぶった。慌てて意識を目の前のことに集中させる。
球児はそのしなやか体を余すことなく使い、またしても渾身の一球を投げ込んできた。
ドッ!
再びキャッチャーミットが唸り声をあげ、真一の耳に届いた。
またしても真一は何もできなかった。
あと一球で終わる。
その時の一真の頭には早く終わって欲しいという思いしかなかった。
キャッチャーが球児へ返球する。
最後の一球をむかえるべく一真は形だけの構えをとる。
その時、ふとスタンドの応援席の女の子と目が合った。
そこにいたのは如月京だった。
一真と京は付き合っていた。
しかし、京は野球が嫌いてこれまで一度も応援に来てくれたことない。
そんな京が今回は応援に来てくれた。
いや、もしかしたらこれまでも応援には来てくれていたのかもしれない。
しかし、試合に出たことがない自分は気が付かなかっただけではないだろうか。
京はまっすぐと一真を見つめていた。
その目は真剣そのものである。
彼女の瞳を見た時、一真は今の自分の不甲斐なさに気がついた。
一真は高校時代、京と付き合っていたが野球の練習であまり京との時間を取ることができなかった。
一真は京のことはもちろん大切にしていたが、それでも野球も重要視していたため、野球に多くの時間を費やしていた。
そして、時間を費やした結果がこれだ。
相手の投手に怯んで、逃げ出している。
一真は自問自答する。
何のために野球をここまで真剣にやってきたのか。
一真の意識が京から球児へと移る。
バットを握る手に力を加え、力強い目で相手投手の目を見る。
「ふっ」
そんな一真を見た球児は少し笑ったように見えた。
球児が大きく振りかぶる。
そして、もはや凶器とも呼べるような白球を一真を仕留めるために投げ込んできた。
(見える!)
一真は球児の球を3球目にしてはっきりと捉えることができた。
いや、3球目だからではない。京のおかげで一真に起きた変化のおかげだろう。
ボールが徐庶にキャッチーミットへと近づいてくる。
そして、ジャストタイミングでバットを振り切った。
捉えた。一真はそう思った。
しかし、バットは虚しくも空を切っていった。
「え?」
何が起きたのか一瞬わからなかった。
急いで振り返る。そこには地面にグローブをつけて地面ギリギリでなんとかボールを補給することに成功したキャッチャーがいたのだった。
審判がアウトを、そして試合終了の宣言をする。
一真の耳にはその声はどどかなかった。
再び一真の意識正常に戻ったのは球場からの帰道に、京から頭を叩かれた時であった。
突然の痛みで頭が覚醒する。
「痛!」
そこそこの強さで頭を叩かれた一真は思わず声を上げた。
「いつまでボサっとしてんのよ!」
そこには京が腕を自身の前で組んで立っていた。
「京か・・・。ほっといてくれ。今は誰とも話したくない」
一真は再び前をむき歩みを進める。
球児の投げた最後の球を完璧に捉えたつもりであった。
しかし、ボールはホームベース付近で急降下し、真一のバットはあえなく空をきった。
悔しい。悔しかった。
三振する直前までは早く終わりたかったのに、京に力をもらったあとはこんなにも打てない自分が情けなかった。
一真の後ろを京が足早についてくる。
「何でついてくるんだ」
「聞きたいことがあるの」
相変わらず噛み合っていない。
京は一真の不躾な視線をスルーして話を続けた。
「進路はどうするの」
「進路?」
「そう、もう高校3年生の夏でしょ。進学するなら動きださないと」
進路か・・・。今は7月の中旬。多くの生徒は大学受験に向けて必死で勉強している。
京もそこそこ賢いと言われる大東大学合格に向けて必死で勉強していた。
しかし、一真はずっと野球をやっていたため勉強はおあつらえ程度にしかやっていない。
すっと京から勉強しろと言われ続けててはいたが、野球を理由に勉強を後回しにしていた。
「今動きださないと大変なことになるよ」
オカンみたいな口調で言われた一真は少しムッとして
「考えているよ」
と思わず反発した。
「じゃや、どうするのか教えてよ!」
一真の強い口調につられて、京の語義も荒くなる。
「就職に決まっているだろ。勉強なんかしたって何になるんだ」
一真はこれまで、就職するか進学するかを周囲に対してあやふやにしていた。
それは親や京が進学しろとうるさかったからだ。
「本当に言っているの」
「ああ、もちろんだ」
「後悔するわよ」
京は一真の決断にそう言葉を返した。
京は空を見上げた。そして、何回か深呼吸した後、再び目線を一真に合わせて、別れを切り出した。
「え?」
一真は京の言葉を理解できなかった。
「価値観の違う相手と今後も付き合うことはできない」
京はそう言って苦虫を噛んだような顔をしながらも、一真に背を向け、ゆっくりと一真の家とは反対方向に歩く。
一真は突然の出来事に、ただそんな京を呆然と見送ることしかできなかった。
「京・・・」
しばらくの後、夕焼けが辺りをオレンジ色に染め上げる中、1人の青年の儚い思いが周囲に木霊した。
こうして高校生活のラストで一真と京の道は分かれてしまったのだった。
ーーーーー10年後。ーーーーー
「今日も飲みに行くだろ、一真」
先輩からの誘いに一真は鷹揚に頷いた。
会社から出て、いつもの行きつけの居酒屋に入る。
注文したビールがくると、先輩はそれを一気に飲み干し
「ぷふぁー」
と息をついて一真を見る。
「お前も入社して10年目か。最初はどうなることかと思ったが、今ではもう立派な戦力だよ」
一真は顔を少し赤らめる。その赤さは決してお酒によるものではなかった。
先輩はその後も一真のことを褒めちぎってくれた。
(完全に酔っているな)
一真は苦笑しつつも話半分に聞きなながら、自分のグラスを見る。そのグラスには反射した自分の姿が写っていた。
(我ながらよくここまで頑張ったな)
一真は高校卒業後、地元の中小企業に就職した。しかし、その会社はいわゆるブラック企業と言われるものであった。
毎晩、毎晩こき使われ、毎日夜遅くまで働かなければいけなかった。
(しんどい。しんどい。)
本当にしんどかった。
しかし、一真は逃げずに働き続けることができた。
ここまで働けたのはひとえに野球部でのしごきが自分を鍛えたからであろう。
野球部で鍛えた精神力のおかげでなんとかこのブラックな労働環境の中で生き抜くことができた。
野球部という厳しい環境で鍛えてこなければきっと、自分は持ち堪えられなかったと思っている。
また、野球部内で培われた対人能力が仕事でも生き、円滑に仕事を進めることができて上司からの覚えもよかった。
「一真は鍛えがえがあるし、上にも気を遣ええて、最近の若者にしてはすごいな」
一真はことあるごとに先輩社員にそうやって褒められた。
正直、部活がここまで社会で役に立つとは思わなかった。
京からずっと「野球なんて社会にでれば何の役にも立たない」とずっと言われ続けていたが、それは違った。
高校卒業まで勉強したことは社会で役に立ったことはないが、野球部での経験は一真が社会に出てから大きく役立っていた。
(京のやつ脅しやがって)
一真は京とは別れて以来、連絡を取り合っていない。
しかし、京への想いは一真の中にずっと残っていた。
加えて、親同士も中が良かったため情報は入ってきた。京は見事、志望先の大東大学に合格し、また大学卒業後は超有名な外資系のコンサル会社に入社した。加えて、そこでも実績を出して、一真の年収の4倍以上はもらっているという。
親がたまに羨ましそうに一真にそう愚痴ってくるので、別に知りたくなくても京の現状は理解していた。
「お前もそろそろ彼女をつくったらどうだ」
一真をベタ褒めしていた先輩がふと尋ねてくる。
一真は京と別れてから一度も女性と交際をしたことはなかった。
「もう28歳だろ。早めに彼女を見つけないと結婚なんてどんどん遅れるぞ」
一真の職場ではなぜか早期結婚が多かった。多くのものが20代前半で結婚していく。
その結果、28歳で結婚どころか彼女さえいない一真はこの会社内において恋愛や結婚という面においてはだいぶ遅れいた。
「いや、自分は・・・。女性が苦手なんで」
苦し紛れに一真は嘘をついた。
心がチクリと痛む。
自分も彼女は欲しい。しかし忘れられないのだ、京のことが。今になってもまだ。
その後、先輩はやはり酔っ払っているためか次々と話の話題を変え、一真はそれにひたすら相槌を打っていった。
お酒を飲み始めてから3時間が経過して先輩は完全に潰れた。お会計を済まし、タクシーに先輩を放り込む。一真は歩きでも帰れるので、そのまま歩いて帰った。
「ふー、寒い」
夜風が体に染みる。
働き出してから10年が経過した。そして、それは京と別れてからも10年が経ったということだ。
別れてからずっと京のことが小魚の骨のように喉に引っかかっていた。そろそろ決着をつける時かもしれない。
京にとって一真は10年前に関係が終了した男かもしれない。
だが、一真は京への思いを断ち切れていない。
(もう一度会いに行こう)
一真は自らの気持ちに区切りをつけるためにも京と会いに行くことにした。
幸い親同士のつながりがあるので、そこから京と話たい旨を伝えてもらおう。
一真は家について、玄関の扉を開ける。居間には少しオロオロした母親の智子が立っていた。
「まだ寝ていなかったの?」
一真の言葉にはっとした様子で智子がこちらを見る。
「大変、大変なのよ。京ちゃんが、京ちゃんが」
智子は動揺しながら一真の元へと駆け寄ってくる。
智子がその後に言った言葉を、一真は信じることができなかった。
如月京が自殺を図ったのだ。
ーーーーーー
京は病室の窓から綺麗な青空を見ていた。
(どうして自分は生きているのだろうか)
全てが嫌になって睡眠薬を大量に服薬した。これで死ねると思った。嫌なことも、辛いこともこれで終わると思った。しかし、目覚めた場所は病院だった。
死ねなかった。
意識が戻ると母親から泣きつかれ、どうしてこんあ馬鹿なことをしたのか理由を聞かれた。
(理由?そんなものは決まっている。生きているのが嫌になったからだ。)
京はこれまでの人生でずっと努力してきた。高校も大学も時間が許せば勉強した。
何度投げ出したいと思ったことだろうか。
しかし、一心不乱に自分の将来のために頑張ってきた。
そして、その努力が報われたのか最大手の外資系コンサル会社の内定をゲットすることができた。
京はこの時、自分のこれまでの努力はこのために行なってきたのかと思った。
しかし、実際に働き出すと、その会社では常に高い成果を求めらられ、精神的に追い詰められていった。もちろん給料は良かったが、身も心も少しずつ削られていく。
(これまで努力してたどり着いた場所がこんなところなのか)
京は幸せを求めて努力してきた。しかし、辿り着いた先に幸せなんてなかった。
(この会社で辛い思いをして努力をしても、その先に本当に幸せはあるのだろうか)
京はずっと自分が何のために努力して、生きているのか分からなくなっていた。
そして、働き始めて6年目で糸が切れた。
前々から医者に処方してもらっていた睡眠薬を大量に飲んだ。永遠の眠りにつきたかった。
しかし、その願いは叶わない。
京は自分に縋り付いて泣いていた母親を宥め、なんとか家に帰した。
その後に父も病室にやってきたが、何の話をしたのかは覚えていたない。
当たり障りのないことを言ったのだろう。
自分しかいない病室はとても静かだ。
しかし、この静かさが京には心地が良い。
これまで自分の人生はずっと慌ただしかっったが、今は凪のように時間が緩やかだ。
そんな静寂を破ったのは、扉をノックする音だった。
京は名残惜しさを感じつつも外にいる人物に入室の許可を出す。
入って来た男が誰なのかを京は一瞬で理解した。
「一真・・・」
京の口は無意識に10年前に別れた元彼の名前を呼んでいた。
ーーーー
「よし、こんな感じでいいか」
白いTシャツにジャケットを羽織る。一真はどんな服装で行こうか悩んだが、結局無難なものに落ち着けた。
一真は昨晩、親から京が自殺未遂をしたと聞いた。そして今日、彼女が入院している病院にお見舞いに行くことにした。
一真は京と10年間会っていなかったが、それでも行くことに躊躇いはない。いや、むしろ彼女が自殺未遂をしたと聞いてどうしても会わなければ行けないと思った。
外に出ると、青い空がどこまでも、どこまでも広がっている。
ゆっくりとした足取りで、病院まで歩いた。時間にして20分ほどだろうか。
一真はあらかじめ親に聞いておいた病室を目指す。
するとこれまではゆっくりと鼓動していた心臓の動きが徐々に徐々に早くなってきた。
トクンッ、トクンッ
それに伴って歩く速度も早くなる。
病室の前まではあっという間であった。
(落ち着け、落ち着け)
深呼吸を一度して、自らの呼吸を整えてから一真は病室の扉を軽く3回ノックした。
室内から聞こえる女性の声。
その声は一真が知っているかつての京の声ではなかった。
静かで落ち着きすぎたその声に一真の緊張がぶり返す。
一真がゆっくりと扉を開けるとそこには上半身を起こしてベットに座るかつての京でない、彼女がいた。
「一真・・・」
京の口から紡ぎ出される言葉に一真は驚く。
「よくわかったな」
「あなたは特徴的だから」
10年ぶりの会話であったが、意外にもつい最近であったような感じがする。
一真はゆっくりとベットに近づくと脇に置いてある丸いすへと腰をかけた。
「よく私が入院しているってわかったね」
「母親から聞いたんだよ。お前が命を断とうとしたってな」
一真はじっと京の目を見つめる。彼女の目はとても自殺をするような人間の目には見えない。
一真の唐突な問いかけに京は儚げな笑顔つくって答える。
「幸せになれなかったからよ」
「幸せ?」
京の考える幸せとは何なのか。
「一流大学を卒業して、誰もが羨む会社に就職して、いい給料を貰っているお前のどこが幸せじゃないんだ」
「そんなもの幸せでも何でもないわよ」
京は一呼吸おいて話を続ける。
「私は努力をずっと続けてきた。とても苦しかったわ。でも、必ずこれが未来の幸せにつながるならと我慢できた。でも、それでもどんなに頑張っても幸せは訪れなかった。そして、今後も訪れることはないだろうと思った。だから、死のうとしたのよ」
京は穏やかな顔であるが、不思議と力のこもった声で話しきる。そして、話終わるとふっと体にベットを預けた。
一真は話を自らの拳をギュっと握りしめる。そして、強く握った手をゆっくりと開いて京に話かける。
「不器用だなお前は」
ずっと変わらない。高校の時もそうだった。京はとても不器用で、そして一真もまた不器用だった。
だから一真と京の道は高校卒業で別れてしまった。お互いがもう少し器用ならこんなことにはならなかっただろう。
一真は座っていた丸いすからスッと立ち上がる。
こんなことを言うのは不謹慎できもちわるかもしれない。それでも今、言わないと一生後悔する気がした。
「あなたの幸せは俺が作ります。また付き合って下さい」
京は大きく目を見開いて、息を大きく吸い込んだのだった。
ーーー3ヶ月後ーーーー
京は新しいスーツに身を包み家をでた。
「いってきます」
そんな京の言葉を微笑みで返してのは同棲していた一真であった。
一真と京は3ヶ月前から付き合い始めた。
一真の告白を京が受け入れたのだ。
そして、2人は同棲を始める。10年ぶりに止まっていた2人の時計が動き出す。
ちなみに、京は後遺症もなく無事退院することができた。退院後その足で会社に退職願を提出しに行った。
会社も京の状況を理解していたのか引き留めたなかった。
そして、彼女は転職活動をして、少し格は落ちるものの比較的ワークライフバランスのとれるコンサルタント会社から採用される。
前職の経験が高く評価され、内定まではあっという間であった。
彼女の頑張りは無駄ではなかったのだ。
京を見送った後で、一真は家事を一通りこなす。食器の片付け、洗濯、掃除。
「ふー、まあこんなものか」
ピカピカになった風呂場を見て、満足感に浸った一真は自室に戻り出かける準備をする。
(今日こそは•••)
一真は家を出て、指定された時間の少し前に目的地に到着した。
受付に要件を伝えると個室まで案内される。
しばらく待つと控えめなノックの後で、先程の受付女性が入ってきた。
「佐藤さん。お願いします」
一真は個室を出ると会議室と書かれた部屋の前に案内させる。
「ノックをしてから、ご入室お願いします」
受付の女性はそう言って去っていく。
一真は女性が去ったのを見届けると震える手でノックをした。
(さあ、勝負だ)
こうして一真の面接が始まった。
京の自殺未遂があった1ヶ月後に、一真は会社が近々倒産することを上司から伝えられた。一真の会社は不景気の波を乗り切れずに倒産することが決定したのだった。
「は?」
最初はその現実を受け入れることが出来なかった。
しかし、いつまでも呆けているわけにはいかずに転職活動に踏み切る。
だが、ここで問題が発生する。どこも不況でしかも高卒のこれといったスキルも持たない自分を採用しようとする会社がなかったのだ。
ほとんどが書類選考で落とされた。
それでも一真は腐らなかった。持ち前のメンタルで粘り強く書類を送り続けた。
そしてやっと1社だが面接まで進むことができた。
一真は扉を開けて、面接官の座る机の前まで移動する。面接官に促され着席すると面接はすぐに始まった。
面接では当たり障りのないことしか聞かれなかった。そして30分もしないうちに終わった。
「はぁー、疲れた」
面接を終えて会社を出た一真は、ネクタイを緩める。
多くの会社から書類選考で落とされた一真は、この選考もスムーズに通過するとは思っていない。
だが、たとえ何度落とされても一真は頑張り続けようと思っていた。
「学歴やすごい職歴はないけど•••。大丈夫。俺にはそれ以外で培ったものがある」
そう声に出し、自分に喝をいれて一真は帰路に着くのだった。
何のための努力 本郷 @EMOTO
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