第2話 冥王の妃②

 2人は修道院を出て、ルセネールは空を見上げた。

 夕方を過ぎて、辺りはだいぶ暗くなっている。

 その間も手に持った杖からどんどん体の中に何かが入ってくる。


 それは記憶でもない、ルセネールの魂と繋がっている‘何か’。


「何か思い出されてきましたか? ルセネール王妃」


「いえ、何も思い出せません。ですが、この杖から流れてくるものを感じます。貴方の言っている事が真実だということも…」


「おぉ…。ありがとうございます。では、早速〈冥府の大地〉に帰り、住人の皆に王妃が無事に発現されたと報告に参りましょう。皆、喜んで王妃を迎えてくれます」


 ルセネールは手をかざし、アヘロンタスの話を遮る。


「すみません、アヘロンタス。その前に行って、確認したい事があります。そこへ連れて行ってくれませんか?」


「王妃…。私は冥主ヘイデス様と貴女様の下僕です。命令をくださるだけで構いません。遠慮なく仰ってください」


「わ、分かりました。ありがとう」


「で、王妃。どちらに行かれますか?」


「サージキア邸へお願いします」


「承りました。すぐに転移いたします」


 アヘロンタスがそう言うと、2人の体は一瞬にしてその場から消え失せた。


 ◇ ◇


 2人の眼下にサージキア邸が見える。

 数時間前に追放を言い渡された、あの家だ。

 サージキア邸は強固な結界を形成していたが、アヘロンタスはそれを難なく破り、2人はサージキア邸に下りていった。


 サージキア邸の夕食の食卓にはムンディルが長テーブルの上座に座っている。

 そしてその両側をリタースの兄ディーベンと、リタースと双子の妹エウーリ3人で食卓を囲んでおり、部屋の周りには数人の使用人が控えている。


 突然部屋の灯りが全て消え、真っ暗になる。


 ムンディルが叫ぶ。

「何事か! 早く灯りを点けろ!」


 使用人がバタバタと動き出したが、その食卓の上の灯りが一つだけ灯された。


 長テーブル上座に座るムンディル向かい側にさっきまでいなかった誰かがそこに座っている。


「だ、誰だ! お前は!?」


「一家団欒のところ、お邪魔します。サージキア家の皆さん」


「な、リ、リタースか!? その顔は?」

「お前が何故ここに? 修道院ではなかったのか?」

「? セロンもいるの?」


 アヘロンタスが手をかざし、静かに話し出す。

「黙れ。愚者ども」


 食卓に座るサージキア家の3人は体が硬直し、動けなくなった。


 しかし、ムンディルとディーベンが懸命に口を開く。

「き、貴様ら…、冥府の住人だったのか…?」

「あの、忌まわしき住人だと…!?」


 2人の体が激しく痙攣する。

「黙れと言っている。今から王妃が話されるのだ」


 ルセネールは立ち上がり、手のひらを上に向けた。

 手のひらの上に黒い仮面が現れ、ルセネールはその仮面を顔に着けた。

 額と左目を覆う、以前黒い痣があった所を模した仮面だった。


「この顔の方が話しやすいかしら? ムンディル」


 ムンディルはルセネールを睨み付ける。


「やはりリタースかっ! 何故ここに…」


「今ごろ死んでいるはずなのに…? ですか?」


 ムンディルが口をつぐむ。

「ぐっ…」


「貴方はこの顔に見覚えはあるかしら?」


 アヘロンタスがドンッと食卓の上に、さっき修道院でルセネールが殺した男の首を置いた。

「ひっ……」


「どうですか? 見覚えはありませんか?」


 バキンッ!という音と共にエウーリが勢いよく立ち上がった。

「えらそーにしゃべんなっ! 醜女しこめがっ! 『大炎球ラーファリト』」


 エウーリの手から大きな火球が出現してルセネールに向かうが、ルセネールに届く前に火球は見えない壁に阻まれて粉々に四散した。


「くうっ! もういっぱ…、うぐっ!」

 エウーリの体が痙攣して再び椅子に座る。


「アヘロンタスの拘束を解いて、無詠唱で第6階域の魔法とはさすがですね、エウーリ。アヘロンタス、しっかり皆を拘束しておいてくださいね」


「申し訳ございません! 王妃!」


 ルセネールはムンディルの方に向き直り、再び問いかける。

「やはり貴方が私を殺す為に差し向けた男ということで間違いありませんか?」


「だったらどうしたというのだ! リタース!」


「私はもうリタースではありませんよ。ムンディル」


 3人の顔に困惑と恐怖の表情が浮かぶ。


「私の名はルセネール。冥界の王ヘイデス様の妃、冥王妃ルセネール」


「ルセネールだと…?」

「冥界の王妃?」

「な、何を言ってるの?」


 3人は口々に疑念の言葉を吐くが、アヘロンタスの拘束が強まり、苦痛に顔を歪める。


 ムンディルが苦痛に耐えながら言葉を発する。

「わ、我らを殺しに来たのか?」


「殺す? そうですね、殺そうと思えば今すぐにここで全員殺せますが、そんなことはしません」


「なんだ…と? ならば、どうするつもりだ」


「まだ考えていません……ですが、楽に死ねるとは思わないでください」


 3人の顔が強張る。


「私は別にあなた達を恨んではいませんよ。アヘロンタス、3人の拘束を解いてください」


「!?……仰せのままに」


 3人の拘束が解かれ、エウーリが何か叫ぼうとするのをムンディルが制した。


「楽に…だと? それはお前もだっ!」


 ムンディルは空間魔法の穴に手を突っ込むと、サーベルを引き抜き、ルセネールに斬りかかる。

 ディーベンも同じくライフルを取り出し、ルセネールとアヘロンタスを掃射する。

 エウーリは麻痺パラライズ系の魔法を唱えている。


 ー何のためらいもなく、私を殺しに来るのね…。


 ルセネールは杖を前にかざし【完全障壁】を発動させ、ムンディルのサーベルを跳ね返し、ディーベンの弾丸を弾き、エウーリの魔法を吸収した。


 ルセネールが杖を大きく横薙ぎに払うと、3人の体が部屋の壁まで吹っ飛んだ。


 ムンディルは壁から落ちると、すぐにルセネールに走り出す。

 ディーベンとエウーリは咳き込み、まだ立ち上がれないでいる。


「うぉぉぉおーっ!」

 キィンッ! キィンッ!


 ムンディルの怒涛の攻撃をルセネールは杖で冷静に受け止めていく。


 ー何故この人は、こんなにも私に敵意をむけるの?

 ー私が何かした?


 ルセネールがムンディルのサーベルを杖で大きく弾き、そのままの勢いでムンディルの右膝を杖で殴打すると、骨の折れる鈍い音がして、ムンディルがその場で崩れ落ちた。


「膝を砕かれて悲鳴を上げないとはさすがですね、ジルド=オール帝国軍空挺師団……? えと、役職は何でした?」


「帝国軍空挺師団総大将です。王妃」


「おお。総大将でしたか、それはお見逸れいたしました。そしてそちらの2人も帝国軍人でしたね」


 壁際にいるディーベンとエウーリがルセネールを睨み付ける。

 タメ息をついたルセネールが3人に向かって話す。


「その敵意です。私は今まで自分が受けた冷遇や、母の事についてはあなた方に何の恨みもありません。これは本当です。…ですが、今私に向けられているその敵意には敵意で返させていただきます」


 3人はルセネールを睨んだまま動かない。


「私は〈冥府の大地〉に居ます。殺したければいつでも来てください。喜んでお相手致します」


 ムンディルが片膝をついたまま、サーベルをルセネールに向けて叫ぶ。


「調子に乗るなよ、リタース。その言葉はジルド=オール帝国を敵に回した事と同義だぞ。分かっておるのか?」


「ええ。もちろんです。帝国の皆様もよろしければ一緒に来られますか?」


 ディーベンとエウーリが体を引きずりながら、ムンディルの後ろに歩いてくる。

 ルセネールはアヘロンタスの方に向き直ると、


 「では、参りましょうか? アヘロンタス」


「はっ。仰せのままに」


「あ、それと…。私の名前はルセネールです。もう二度とリタースとは呼ばないでくださいね」


 そう言い残すと、ルセネールとアヘロンタスの2人は転移魔法で部屋から消え失せた。

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