35:第二十二話:熱いお茶でも嗜みながら

 私は船室へと向かった。

 今日の彼女は宇宙船には来ていないようである。

 抜け落ちた本棚から察するにどこか落ち着ける場所で読書にでも勤しんでいるのだろう。


 さて、そんな午前のある時。誰かが自室の扉を叩く。

 彼女だろうか。いや、彼の可能性もあるが。

 彼にしてはずいぶんと弱々しい叩き方だったな。

 やはり彼女か?

 そんなことを考えながらパソコンを閉じ立ち上がるとドアへ向かう。

 ドアを開けるとそこには見覚えのある不思議な格好をした少女が立っていた。

 そう彼女……レインが居た。


 少しばかり驚いた私は彼女の様子を見て制止する。彼女の方も大概で、何も話さず、ただうつむいて立っていた。

 しばらくその状況が続いた後、私は耐えきれずに不器用な声を彼女に浴びせる。

「どうした、こんなはるばる」

 なかば嫌味である。

 温厚である私には珍しいほど敵対的なものだ。

 まあ、コミュニケーションにおける究極の攻撃は無視であることを考えれば、かなり優しいほうではあるか。

 しかし彼女は動かない。

「私と一緒にいると汚れるんじゃなかったのか?」

 もう一つ彼女を煽ってみる。

 それでも彼女はなびかない。

 私はとうとう怖くなって彼女のことが心配になってきた。

 いや、違うな。そんなに私は優しくない。

 実際には恐怖心ではなく罪悪感にそそのかされたのであって、心配の対象は彼女ではなく私だろう。

 とにもかくにも彼女の様子を窺う。

「おい、どうした?」

 窺うにしては高圧的だったか?

 私は言葉を続ける。

「な、何か言ったらどうだ?」

 まだ高圧的なところにコミュニケーション性能の低さが垣間見える。

 ふと雨でも屋外でもないのに一つ水が滴る。

 私は一瞬と立たずその現象の名を理解し、表にこそ出さなかったと思うが焦りのようなものに脳内を支配された。

 そんな中彼女がようやく口を開く。

「お願いしたいことがあって来ました。

 なんとか話だけでも聞いていただけませんか」

 雨脚は強くなっていく。

「まあ、とにかく入れ。茶でも入れてやる。

 話はそのあとでいいか?」

「はい」

 彼女を部屋に招き入れるととりあえず緑茶を入れる。


 椅子に小さく座る彼女の様子を見ながらマグカップに急須から注ぐ。

 湯呑も食器にはあるが彼女ら異人たちが使っているのを見たことが無いのでやめておく。

 あれは理解の薄い人間では文字通り触れると火傷する危険極まりない器具だからな。

 いや、でもソフィアは……まあ、いいか。

 危ないかもしれないものはできる限り避けるべきだ。

 マグカップを鷲掴むように持ち、持ち手を彼女の方へ差し出す。

「どうぞ」

「ど、どうも」

 彼女は受け取るとカップを眺めている。

 まあ、それもそうか。私の分も淹れるとベッドに座り一つ飲んで見せる。

 後に上顎がただれていたのは言うまでもない。

 彼女の様子を見ると彼女と目が合った。彼女は私から目を逸らすようにコップの方を見ると口に近づけ冷ますように息を吹きかける。

「さて、話というのは?」

 私がカップを置くと彼女は少し口を付け、容器を太腿に置くようにする。

 言葉を探しているのか、勇気を探しているのか、かなり不自然なほどに長い間があって彼女が言う。

「彼らを助けてはいただけませんでしょうか」

 彼ら、というのは例の回復が出来なかった者たちだろう。

 彼女はカップの方を見ており、目は合わない。

「仲間を殺しておいて虫の良すぎる話なのは分かっています。

 ですが、彼らは私を信じてくれた善良な人々なのです」

 仲間……仲間?

 まあ客観的に捉えるなら彼?……いや彼女か。

 どうやら彼女はソフィアが死んだと勘違いしているらしい。

 んーまあ……訂正はいいか。

 実態はあんなことがあったのが嘘のように元気なのだが、伏せておいた方が後々役に立ちそうだな。

 考え終わってしばらくしてからまた彼女が話す。

「彼らは私に利用されたに過ぎないのです。

 私は命を差し出しても構いません。ですからどうか。

 どうか彼らを助けてはいただけませんか?」

 さて、どうしようか。正直彼女の命なんぞ貰っても持て余す。

 なんとかいい交換条件でも取り付けれればいいのだが。

 まあ、取り付けれるとして何を取り付けるかは考えものだが。


 そうだな。

「まあ、できるかわからないが助けてやる。

 少なくとも努力はしよう」

 私はコップを手に取りその中を見る。

 彼女が私の言葉を聞き立ち上がる。

「本当ですか?」

 コップの水面は荒れ狂い私にすら見えるように波打つ。

 危ない!危ないな。

「……あ、ああ。

 君の処遇については、まあ成功報酬でいいか?」

「はい、構いません」

 私はまた茶を飲み干すとお盆にコップを置く。

 しかしどうしてこうも温かい飲み物というのはすぐに冷めてしまうものなのか。

 まあ、飲める程度でかなりの熱量はあるのだが、啜る価値の無いそれを熱いと表現するのはなんともな。

 お盆を手に取り立ち上がると彼女の方を見る。

「さっさと飲み干したまえ、行くぞ」

 私はお盆を彼女の方へ差し出す。

「はい!」

 と勢いよく彼女が返事をするともう一度息を吹きかけ始める。

 二三度息を吹きかけると彼女はコップを口に運び飲む。

 ように口を付けるとすぐに離す。そうしてもう一度息を吹きかけ始める。

 私はふと頬がかゆくなり衝動に従い人差し指を動かした。

 しばらくして彼女がようやく少し飲む。が、

「あつ……」

 と小さく呟いて三度息を吹きかけ始める。

 私はお盆を右手に持ち替えると言い放った。

「君、猫舌なのか?」

 彼女がコップをそのままに見上げるようにこちらを見る。

「猫舌?とは」

「あーえっと、すまない私の故郷に伝わる言い回しなんだ。

 つまりは熱いものを人一倍熱がるやつのことなのだが」

「そうですね。

 熱いものを飲むのは得意ではなくて」

 そう言って先程の行動を続ける。

 私は早くもお盆を左手に持ち替える。

 どうしてこうも何かを待っているときの筋肉というのは根性に欠けるのか。

 私は腿に右手を当てる。なんだか足も限界を迎え始めたような感覚すら覚える。

 が先程の流れからカッコ悪くて座りなおすこともできず、ただ突っ立っていた。

 私は訂正のできない弱い人間だ。

 やがて私の視線は右手の時計へと向かった。

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