26:第十三話:仮初のマッドサイエンティスト
握っている彼の手を見る。
「そうだ、お礼に……」
俺はポケットを探った。
指で向きを確認し、一つをしっかりと握ると、ゆっくりとポケットから出す。
彼の手を力いっぱいに引き込むと目にも留まらぬ速さで彼の腕、肩から肘までの間に突き刺す。
そう、宇宙船で拾った注射器だ。
ああ、君たちには投薬治療が必要だろうから協力しよう。
安心したまえ、俺には君たちに処方するほどの知識も免許もない。
彼はその衝撃で唸り声をあげると刺されたそれを手にあてがう。
ひるむ彼を左から蹴り倒すと、倒れた姿を横目に彼女の方を見る。
俺は一つ笑った。
俺の名は夜京作斗。
敵を屠り、あまつさえ薬効の分からない薬の治験に利用するマッドサイエンティストだ!
……とは言ったものの効能についてはなんとなく予想がついている。
ふとこの注射器について思い出したことがある。
我が研究所に存在しているなぜか兵器を開発している集団の一人が言っていた。高性能かつ安全な麻酔銃、および弾丸を作ったと。
これさてはその新作なのではないだろうか。
「か、かかりなさい!」
彼女は一つ反応が遅れるも取り巻きに指示を出す。
さて、彼女の隣の彼はどうするか。
彼女の方を見ながらとりあえず右の方へ移動する。
倒れた彼を含め他四人は丸腰だ。
彼女の隣の彼だけが何やら弓のようなものを背負っている。
彼の方を見終わると走る方に専念する。
こういう時ばかりはやはり体が動くものだな。
自分でも驚くほどに森を駆け抜けている。
さながら狼のようで実に気分が良いが。
根っこでも踏み外して足首を挫くことだけは勘弁願いたい。
さて、俺が右に走ったのはほかでもない。まあ左右は問わないが。
先程俺は背後の一人と、近場の一人、残りの三人について警戒をしていた。
うち一人の無力化に成功し、残るは三人と一人である。
私はそれなりに
そこで培った知識の中に使えるものもなくはない。
ああ、なくはないに留めておく。
皆は正しい知識を
そのうちの一つ。
“一人称視点において警戒角度の広さは警戒のザルさと正の相関を持つ”
つまるところ私がやるべきことは彼ら2グループを線で結んだ範囲が私の視界に収められるような状態になるまで駆け抜けることである。
一言で要約するなら一目で見れるようにしようね。ということだ。
それでも視界の悪い森の中では限界はあるが、その状態では奴等からも見えないはずなので結果オーライとする。
ようやく立ち止まるとちゃんと奴等を視界に入れる。
先程からチラ見していたが凝視はこれが初となる。
視界中央先程倒した一人が地面で悶えている。
蹴り倒したとはいえ、そこまでのダメージは無いはずだ。
この薬、ただの麻酔ではないのか?そもそも麻酔では悶えることも無いか。
彼女が彼に何かをしているようにも見えるが今は私が生き残るのが先だ。
いや、違う。
……俺の実験台になれたことを誇りに思うがいい!ふはははは!
私は一人手を広げる。
はぁ……さて視界内左側、左から3名、進行速度にばらつきがある。
そこも分けて考えるならば1名、2名の計3名だ。
左3名の内一人が先に到着する。
右側の一人はどうだろうか。
私は目を疑った。
もう一人はどこへ行った?
仕方ない、とりあえずは目の前の敵に集中するとしよう。
俺は腕をまくり、一本それを握ると意識を集中する。
彼はタッチの間合いまで詰めてくると何だろうか、殴ろうとしてきたのだろう。
右の拳を潜り込むように避けるとその流れでがら空きの左腕に刺してやる。
ちなみに私が今刺した彼の肩から肘の間の事を昔は一の腕と称し、肘から手首までを二の腕と呼んでいたらしい。
本書では、まあとりあえずこの話では肩から肘までを一の腕、肘から手首までを二の腕とする。
これで二人目か。
そこで眠っているがいい。観察なら後でしてやる。
彼をそこに捨てるとポケットに手を入れる。
残りは四本。
何やら金属を叩いたような音が聞こえ、ふと寝かせた彼の方を見る。
どうやら手にナイフを握っていたようだ。
まだまだ目が慣れていないか。
気を取り直して次だ。
今や悶えるだけとなった彼が来ていた方向を見やる。
少しばかり余裕があるか。
右を見る。
しかし中央付近に彼女が見えるばかりだ。
彼はどこに行ったのか。
我ながら警戒はザルである。
己の未熟さを恨んでいると彼らが到着する。
この間3秒である。
いや、本当に3秒かはともかくとしてすぐに彼らは着いた。
俺の視界に大きく映るほどになると彼らの差異にもよく気が付く。
先程の彼が特段早かっただけで彼らにもやはり違いというものがあるのだな。
向かって右側が早い、馬の体長は知らないが、
リードしている彼が先程同様に近づくと攻撃を仕掛けてくる。
左腕で来たか。
それを避け俺は左手に注射器を持ち替え左腕に向かい振りかぶる。
それを刺そうと試みると左腕を右手に捕まれた。
さすがに二の舞は踏まないらしい。
だが、つかみどころが悪かったな。
俺は逆手に持っていた注射器を言わば順手、人差し指と中指の間に挟み込むと手首を捻り彼の二の腕に差し込む。
うまく刺さっているかはともかく刺した事実が抑止力となり得るだろう。
残り三本。
まだ掴んでくる彼を何とか払いのけると彼の裏側から人影が飛び出してくる。その一部は夜空に照らされ光輝いていた。
払いのけた勢いで何とか後ろに一回転し彼の一撃を回避する。
木の根のマットが背骨に良く効くなどと言っている場合ではない。
刹那の
しかしまあ、今度から回転による回避は避けることにしよう。視界が揺れ動きまともに状況を把握できない。
だがナイフを持っていたのが運の尽き。かすかに光が目に入る。
何とか一撃、続けざまに二撃三撃と避ける。
ずいぶんと好戦的だな。
「よくも!」
あーうん。それもそうか。
憎悪だろうか。どす黒い感情に塗りたくられた顔をこちらに向けている。
争いが争いしか生まないとかこれの事だろうな。
右利きなのだろう、右手に握られたナイフが細かく震え光が残像を残し増幅している。
俺は左手に注射器を持った。
このナイフ何か見覚えがあるな。掴み男と対峙している間に先ほどのものを拾ってきたか。
掴み合っている間に四人身を使い切ったか。だとしたら拾いに行くよりも複数人に対応された方が対応できなかっただろうな。
彼の一撃は唐突だった。右腕の一撃、どこかデジャヴを感じるその一撃を私は無理やり左へと回避する。
こちら側なら咄嗟に捕まれることもあるまい。
左足を突き出し急激に静止すると彼の腕に一撃を入れる。
学ぶのは貴様らだけではないのだよ。
ナイフは音もならず地面へ突き刺さり、彼は地面へと崩れる。
さて、五体が我に返り疲労を見せ始める。
久々に激しいスポーツをしたのだ。息を切らしても仕方がないだろう。
そこへ彼女がやってきた。
とはいえまだ距離があるな何かしでかす様子ではないと思うが。
「どうだ?少しは私もやるだろう?」
どうせ、私くらいなら抑え込めるとでも思っていたのだろう。
「あなたは一体何を……」
彼女に言われ自らの軌跡を遡るように見回す。
倒れた人間が苦しみの先にたどり着き一切動かなくなっている。
苦しみの岸にしがみ付いているのは眼下の彼だけか。
これが、これが主人公のやることか?
私はポケットに手を突っ込む。
一つ、笑い飛ばしてみる。
「すこしの間眠っているだけだろ?」
注射器が数度、私の手によって音を立てた。
い、いや私はマッドサイエンティストだ。
これでよかったんだ。ふはは。
マッドサイエンティストではあるかもしれない。
ただ、これは私が思い描いた主人公か?
残り二本。
私はポケットから手を出した。
その手にはきつく閉じられ、何も握っていなかった。
「この所業、あなたやはり悪魔でしたか」
「だったらどうする?」
焦りか?いや、彼女にむかついただけだろう。きっと。
私は間髪を入れずに質問をぶつける。
「あなたも殺してあの屋敷から徴収することにしましょう」
彼女が手を組み目を閉じる。
「希望の炎は赤く、
その魂を以って、
かの者を浄化したまえ」
途中から彼女の背後に大きな光が現れる。
何が起きているのかはわからない。
ただマズイこと、このままではやられることだけはわかる。
何とかしなければという一心で彼女のもとへ走り出すと彼女と目が合う。
「神の力を前に屈しなさい」
彼女の背後の大きな光が彼女への行く手を遮らんと轟音を立て動き始める。
その巨体に似合わない速度で急速に接近するとついに私の間に割り込み、私の視界を覆いつくす。
私は
次の瞬間左手に大きな痛みが走る。
それは走ると表現するにはあまりにも長く重すぎる痛みで私は声をあげて倒れ込んだ。
パニックに
すると右手をかざしたあたりの火が根こそぎ消えた。
全てをかざし終えると何もなかったかのように眼前に左手が君臨している。
その光景が信じられず私は二三度瞬きをした。
右手には魔法が効かない?
あるいは左手にだけ魔法が効くのか?
ま、まあいい、とにもかくにも奴の攻撃は怖くないということだ。
少し恥ずかしいようななんとも言えない不思議な感覚になった私は何事もなかったかのように立ち上がると彼女の方を見る。
何だろうか。
私には到底表現できそうにないが、すごい驚いている。
まあ、そうだろうな。
なんか渾身っぽかったしな。
「つ、ついたじゃ。
着いたじゃありませんか」
私の方へ指を向ける。
「ああ、うん。ついたな」
「なんで消えるんですか!?」
私に聞くな。
どうやら彼女にもよくわからない状態らしいな。
それは好都合。
一つ咳払いをする。
「さて、どうする?」
私は上ずりながら漠然とした質問を投げかける。
この私という漠然とした怪物に恐れをなして降伏でもしてくれると助かるんだが。
「動くな!」
彼女の返答ではなく背後から声が聞こえる。
振り返ると男の群れ。
村の人間なのだろうか。
あるいは彼女の予備戦力か?
少なくとも見えているのが5人。先程の青年の姿が見えていないから残りは推定6人。
残る注射器は2本。
相手は先ほどとは違い武器を携帯した臨戦態勢。
鎌のようなものにシャベルのようなものに斧。
お世辞にも一級品とは言えないが、殺傷能力は十二分に有する。
この中で一番勝率が低そうなのは、あーそうだな。
やはり斧か?
冗談はさて置き、これはまずいな。
「さて、どうされます?」
彼女の声が背後から聞こえる。
この挑発的な発言。
一応仲間のようだな。
先程の青年が予備戦力を呼び込んだと見て相違ないだろう。
あ、わざとではない。
彼女自体には危険性は無いとみていいだろう。
なにか隠し玉でもあれば話は別だが。
それを
「降伏するのであればあなたの命くらいは助けてあげてもいいですよ?」
私はその言葉に心の底を煮立たせる。
そうだ、忘れていた俺は夜京作斗。
主人公だ。
このくらいの人数相手にしてやる。
俺は一つ笑い飛ばした。
もう、使うしかないんだ。
私はポケットに放り込まれた銃を一つ手に取る。
大丈夫。
全員の太腿でも撃ち抜き無力化すればいいのだ。
「貴様らにくれてやる金はない」
まあ比喩でもなんでもなく本当に無いのだが。
「とっとと掛かってこい鈍間ども」
私は居心地の悪い右手もポケットにしまった。
やるしかない。
さて、そんな風に私が意気込んだ頃。
上空から声がする。
「よくぞ言った!」
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