22:第九話:つまずき

 夕暮れ時、森をひた歩く。

 木陰というものは無くなったが足元はよりいっそ見えなくなってきた。

 月夜の明るい美しい世界だが、さすがの森には勝てなかったようだ。

「人間では見辛いじゃろ?大丈夫かの」

「ああ、まあなんとかな」

 世界はだんだんと暗くなってきているが、視界はだんだんと悪くなっていくというわけでもない。

 目という奴は暗闇にもだんだんと慣れていくのだ。

 事実、事故は夜よりも日没の方が多いと聞く。

 視界の悪さは今がピークだろうな。

 そんなこんなで時折木の根に躓きながら森を進んでいく。

「しかし分厚い本じゃった」

 満足そうに言う。

 あれから彼女は隙あらば本を読みに来ている。

 読めているのかは定かではないが。

 先程まで宇宙船にて彼女が手に取っていたのは国語辞典。

 いわゆる辞書だ。

 分厚いなどという話ではない。

 そもそも辞書は読み物に入るのだろうか。

「前から思っていたのだが、

 君は字が読めるのか?」

「なんじゃ、わらわを馬鹿にしておるのかー?」

 怒っているようには聞こえない。

 たぶんそのようなつもりではないことは分かっているのだろう。

「いや、そうではなくてだな。

 こちらの世界と私の世界の文字が一緒であるのかどうかという話だ」

「わかっておる。

 そうじゃな……うむ。

 おおむね一緒じゃ」

 おおむねと来たか。

「どこか違うところでもあるのか?」

「何といったらいいかのう……」

 彼女が口元に手を当て唸る。

 だんだんと目も慣れてきたようで。

 世界をなんとなく認識できるようになってきた。

 突如右から物音がする。

 次の瞬間、私は体に圧力がかかり少し傾くと止まる。

「動くな!こいつがどうなってもいいのか!」

 首元に、多分ナイフか何かでも突きつけられているのだろう。

 身構えた彼女の様子が見える。

 が、少しして存在を認識したのだろう彼女がずいぶんと楽そうな姿勢になる。

「賊か?」

 彼女が背後の男?に向かって聞く。

「なんだっていいだろ!」

「賊じゃな」

 いや、図星の可能性もあるな。

 そんなことを言っている場合ではない。

 しかしこれ、普通は女性や子供など実行犯より極端に力の弱い存在に対して行うものだろう?

 なぜ私が行われている?

「動くなっつってんだろ!」

 脅迫以外に要求も伝えたらどうだ?

 話が進まないぞ?

「喋ってるだけじゃよ」

 君も何故刺激を加える?

「じゃあ喋んな!」

 だからな?

「はあ、それで止まると思っておるところが人間じゃのう」

 だからな。

「いいのか?コイツがどうなっても」

 賊らしき男。まあここでは賊ということにしておくが。

 コイツは本当に何がしたいんだ。

「そもそも君の要求はなんだ?金か?食料か?」

「ああ、そうだった」

 やっぱコイツ馬鹿だな。

「えっと、とりあえずついてきてもらおうか」

 要求は同行か。

 身柄に用があるか?いや、文字通り身に覚えがないな。

 だから彼女もつれていきたいのか。なるほど。

 ならば直接連れて行きたまえ。なぜ私を介する。

「ほれ、目と口を閉じておるがよい」

 彼の要求、というか話すらも無視して彼女が言う。

 何かしでかすらしい。

 言われた通り目と口を閉じる。

「何をするつもり……」

 賊が何かを言おうとしたところで言葉をやめる。

 何やら顔面に極微細な衝突感が無数に現れると賊が急に断末魔を上げる。

 耳元に直送された叫び声は非常にうるさい。

 少しして前方方向に急激な加速度が加わり、反射的に足を前に出しながら私は目を開けた。

 どうやら賊から離れたらしい。

「くそッ」

 体制を立て直すと賊の様子を見る。

 目を擦って何とか片目を開けているな。

 私は先ほどの感覚を思い出し顔を調べるように撫でる。

 いくつか手に感触がある。

 できるだけ掴むように手を離し、視界に持ってくる。

 これは、砂だろうか。

 なるほど目くらましか。

 しかしこんな校庭にでも撒かれていそうな荒くも細かい砂、いったいどこから持ってきたのか。

 まさかずっと持っていたなんてことは無いだろう。

 後で聞いてみることにするか。

 少し賊から距離を取らんと後ずさりをする。

「しかし賊とはまた珍しいのう」

「そうなのか?」

 この手の世界ではよく出てくるイメージがあるが。

 私の質問に反応し彼女がこちらに振り向く。

「いや、賊に限った話ではないんじゃが。

 このあたりで人間が歩いておるのはなかなか稀じゃぞ?」

 なるほど。

 私は稀側の人間だったらしい。

「死ねぇ!」

 彼女の背後、賊が手に持っていた凶器を向けながら彼女へと向かってくる。

「まあ、貴様は下がっておるがよい」

 彼女はそれをすんでの所で回避しながら私に言う。

「大丈夫じゃ、妾は死なぬ」

 攻撃を避けられた賊はナイフにでも操られているのかと言わんばかりにバランスを崩し、足を突き出し勢いを殺す。

 彼から見れば私と彼女の距離などそう大差無い。私はまた少し距離を取ろうと後ろに下がる。

 しかし彼は彼女の方へ続けざまに攻撃を仕掛ける。

 煽られ過ぎて我でも忘れたか。

 次はナイフを操り続けざまに二度振りかざす。またもそれを避けながら彼女は彼から距離を取る。

 なぜ魔法を使わないのだろうか。

 まさか私が近いからか?

 だとするともう少し距離を取るべきか。

 私が距離を取ろうとまた一歩後ろへ下がると何かに足を取られ腰を打つ。

 彼女が一瞬こちらへ目をやるも、すぐに賊へ視線を移す。

 賊はまたもやナイフに引っ張られるような勢いの有り余る攻撃を出す。

 すると彼女は避けながら突きつけられた手を握り、追従するように体を動かす。

「へ?」

 ここからでも彼のその声は聞こえた。

 足を切り込むように突き出すと彼女は弦を弾いたように止まり、勢いをそのままに賊を鋭く宙へ舞わせ、やがて地面に収束させる。

 背中を打ち付けた賊が手を放し、ナイフは地面へと突き刺さる。

 ナイフを蹴り上げると彼女はそのままそれを握り彼へと突きつけた。

 私は運動をしてきておらず、体術もまともに習っていないが、あれがそのような術の一環ではないことはなんとなくわかる。

 あれは鍛錬などではなく怪力によるものだろう。

 荒々しいことは百も承知だ、洗礼されていないのも言わずもがなだ。

 だが夜空に照らされた彼女のシルエットとナイフ。その姿が美しいことは譲らない。

 彼女が手を放すと何の抵抗もなく彼の手は地面へと降りる。

「お主本当に賊か?」

 どういう意味だろうか。

「どうかしたのか?」

 彼女がナイフを持った手で腕を組む。

「何といったらいいかのう。

 賊にしては動きが鈍いというのか、弱すぎるというのか。

 素人であるというべきかのう。

 少なくともこれを生業にしておるものの動きではないのう」

 酷い言われようだな。

 彼女がもう一度彼の方を見る。

 正気を取り戻したのかフレームでも飛んだかのような勢いで起き上がり木にぶつかるほどに後ずさる。

「お、お助けぇ」

「まあ、今日のところは忙しい故許してやろう。

 さっさと立ち去るがよい」

 彼は何度も手足を突き出し立ち上がる。魂が先に逃げ出してしまっているといった様相である。

「あ、忘れものじゃ」

 彼女がノーモーションで振りかぶると彼のそばの木から一介の木が鳴らしてはいけない音がする。

 目をやるとそこにはナイフが突き刺さっていた。

「ひッ!」

 まあ、そんな声も出るというものである。

 何の冗談か知らないが演出が恐ろしすぎるぞ。吸血鬼。

「ほれ、さっさと行かんか」

 固まっている賊に鞭を打つ。

 賊はナイフを手に取ると木に足を掛け全身全霊で引き抜いた。

 ナイフが木から外れるとまた背中を打ち、今度はすぐに立ち上がると逃げるように去っていった。

「こういうのなんと言うんじゃったかのう。

 パス、というやつかの?」

 彼女がその様子を見ながらこちらに向かっている。

「あれはパスではなくキルだな。

 というかそんな言葉どこで覚えた」

「分厚い本でちょっとのう」

 指で薄さを表す動作を見せてくる。

「立てるか?」

 彼女が私の元へ手を差し出す。

 そうか、私は倒れていたのか。完全に忘れていた。

 そばの木に手を置き立ち上がる。

 私が立ち上がるにつれて彼女が手を引く。

 彼女は賊の方を見た。

「あやつ村の方に向かって行ってしまったのう。

 まるで追いかけるようじゃ」

 私はその手を見る。

 右手。

 薄汚れた手だ。

 この汚れは先ほどの砂などではない。

 腰を打った時に出た手の拾い物だ。

 まったく情けないことだ。

 これが主人公の姿か。

「どうしたんじゃ?どこか痛むのか?」

「ああ、いや大丈夫だ」

 これでは完全に名ばかりの紛い者だ。

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