7:第七話:そして学者は動き始める

 布団の中にいる。

 これこそ私が今寝ていない証明である。


 これぐらい待てば動いても大丈夫だろうか。

 動くのならば彼女が帰ってくる前に動いてしまうのがいいだろう。

 いや、彼女が完全に寝てからの方がいいか?


 あー考えがまとまらない。

 頭に埃でも積もったようなこの感覚。

 これこそが私が酒を飲みたがらない元凶だ。

 エアダスターかなんかで吹き飛ばせたら話は早いのだがな。

 そんな散らかった感覚を雑音が一掃する。

 ドアの方からだ。

 そうか、彼女が帰ってきたか。

 ならば彼女が寝るのを待ってからにするか。

 私は当時、顔を洗ったかのように神経が冴えわたるのを感じた。

 彼女の足音が聞こえると続けざまにベッドが少し揺れる。

 寝たのだろう、というか多分近いな。

 体温なのか、それとも放射熱か何かなのか。いや、温かさは感じないからどちらとも違うのだろうが。

 得体のしれない人間独特の気配、それが背中にある。

 まあ、人間ではないのだが。

 ベッドも決して狭くはない。

 人三人は優雅に寝れる横幅を持つと思うのだが、なぜそんなにも近い。

 まあ、しょうがないところもあるか。

 普段の彼女が真ん中で寝ているのだとしたらこのような距離にもなりえるだろう。

 つまるところ私が居るという感覚は彼女にはないということだ。

 なんというのか、少し寂しい気もするが……。

 いや、むしろこれでいいのだ。

 彼女の寝る速度が普段より落ちないというのであれば、それがいいだろう。うん。

 さて、話は変わるが他人が寝ている状態というのを確認するのは難しい。

 同様に、自分が寝ていないことを確認するのも難しい。

 彼女が寝る前に私が寝てしまうなどという事故が発生しないように気を付けなければ。



 もうそろそろいいだろうか。

 時計を確認する。

 絶対的である現在時刻を確認することは叶わないが相対的な時間、経過時間を確認することはできる。

 私はだいたい3,40分もあれば寝ることが可能だ。

 彼女がどうかは知らないが、その程度と仮定すればもう十分な時間は経っている。

 そう、私が眠くなるほどには。

 ということで事故を起こさないうちに動くことにする。

 彼女を起こさないように動く。

 さらに言えば彼女に私が起きているということを悟られないようにほんの少し動いてみる。

 彼女の様子に変化はない。

 あとはこのままゆっくりとベッドを脱出するだけだ。

 ベッドの端にまでたどり着いた。

 次に気を付けるのが音だ。

 足をベッドから出し、全神経を集中させる。

 床に足が付くと身体も這いだし、徐々に体重を掛けていく。

 人間にとっては造作もない一歩かもしれないが今の私にとっては一世一代の大勝負だ。

 着陸に成功すると彼女の様子を目で確認する。

 普通に寝ていた。

 よく寝れるな、いや人の事言えないか。

 しかしまあこうして見てみるとただの羽の生えた少女なんだが。

……いや、ただの羽の生えた少女とは一体なんだろうか?


 自分の感想に疑問を持ちながらもドアの方を見る。

 足に全神経を集中させるとゆっくりと動いていく。

 ドアもこれまたまどろっこしく開けると廊下に出て、

 気を緩めないように自分に鞭を打ち直しそれはもうほんっとうにゆっくりとドアを閉める。

 ドアノブから手を放すと私はぎこちなく音が出ないように細切れにゆっくりと息を吐いた。

 それでもなお己の呼吸音が響き渡るほどに廊下は暗く静まりきっていた。

 どうやら息が詰まっていたようだ。なんだか苦しい。

 壁にそっともたれ掛かると自分の意識から呼吸が離れるのを待った。


 さて、手元もまともに見えないほどに廊下は暗いな。

 携帯電話か何かでもあればいいのだが。

 何か良いものでもないかポケットを探してみる。

 何やら硬いものに手が触れた。

 取り合えず握り、出してみる。

 どうやらライターのようだ。

 はて、こんなもの持っていただろうか?

 まあちょうどいいこれを明かりにでもするとしよう。

 私の要望に応えるように古めかしいライターは火をともす。

 しかし保存状態がよかったかどうかはともかくとしてよくもまあ、あの事故で生き残ったものだな。

 火を眺めながらそんなことを考えると一つ決心をして腰で背中を押し、壁から離れる。

 さて、進むとしよう。


 廊下を進んでいくと時々使いの者、使い魔とか呼んでいたか?

 奴等が度々たびたび転がっている。

 いや、転がっているというとまるでお化け屋敷のギミックか何かのようだな。

 正しくは座っているか。

 しかし座っているというほど綺麗に座っているわけではないし、なんなら床に直置きだ。

 その状態で寝ているのだから使い魔にとっては割と日常的なことなのだろう。

 主人の扱いも酷いものだな。

 いや、魔法だとかなんだとか言っていたな。

 イマイチこいつらについて理解ができない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 とにかくこいつらも起こさないように慎重に動かなければ。


 この建物、既述の通り複雑な構造をしており正直外に出ることができるかすらも怪しい。

 これから先に待ち受けるだろう迷宮に思いを馳せ、一つため息を吐く。

 そんなことを考えていたって仕方がないか。

 私は一つ息を吐くと前を向いた。

 階段を上ったり、下りたり。

 廊下を進んだり、逆方向に進んだり。

 読んで字のごとく紆余曲折し、やけに強そうな扉にたどり着く。

 いや、強そうな扉というのもよくわからないが、とにかく強そうなのだ。

 扉の隙間から覗く光を見るにここが玄関だろう。

 またもや使い魔が寝ている。

 まあいい。

 玄関(※仮称)を見渡すと丁寧に私の靴が並べられている。

 このような様式の建物に玄関が存在していることがもう特殊なのだが、まあさすがは異世界と言っておくとしよう。

 きっと彼女の中ではこういうものなのだ。

 靴を履き、扉を開ける。

 扉にしてはすこし重いように感じられた。

 ライターを仕舞い、両手使う。


 外に出るとライターなぞ必要が無いほどに明るい。

 月明かりだろう光源が青白い世界を映し出していた。

 玄関口にはどうやら屋根が掛かっているようだ。

 その影が見えるほどに月は明るいらしい。

 影の外側まで歩くと空を見上げる。

 どうやら光源は月ばかりではないようだ。

 夜空にはこれでもかと言わんばかりに星々が輝き、星座を群集に埋もれさせ、ただ一介の粉へと回帰させていた。まあ、この世界に星座があるかは知らないが。

 ここがどれだけ浮世離れしているかがよくわかる。

 田舎の山奥でもこれほどの光景が見られるだろうか。

 言葉に落とし込むのがおこがましいほどに、とにかく、美しい。


 さて、取り上げられた視界を元に落とし辺りを見渡す。

 玄関の方を見るとこの建物の外観が見て取れる。

 やはりこの建物は屋敷のような形状をしているらしいな。

 いかにもオバケかゾンビか、あるいは……そうだな。鬼でも出そうな外観をしている。


 もう少し視点を回転させ、今度は私の向かうべき先へと向ける。

 また広大な庭だな、いろいろと植わっている。

 これまたメンテナンスの大変そうだ。

 ランニングコストは計り知れないだろう。

 まあ私の知ったことじゃないが。

 問題なのはそんな美しい景観の中にたたずむ、真っ白で興醒きょうざめなデカブツ。

 お邪魔するという言葉を惜しみなく体現する形で落ちている。

 見たところあまり致命的な外傷はなさそうに見えるが、デカブツを観察しながら近づいていく。

 しかしまあ、遠近感が狂うほどに全てのスケールがデカい。

 屋敷も庭も、そしてこのデカブツも。

 宇宙船の入り口は開いたままになっていた。

 この宇宙船、恐ろしいことに電力が落ちると自動的にドアが閉まる仕様になっている。

 どう考えても閉じ込めなど危険な要素の一つだが、どうやら内部に人が取り残された場合に備えて緊急用の出口が存在するらしい。

 何かしら電力が落ちた場合にはこちらを使うようだ。

 が、なぜ開いているかと聞かれると一つだろうな。

「どう見たってこれは無理やりこじ開けられているな。

 彼女がやったのか?」

 それしか考えられないのだが、それしか考えられない状況に一抹の恐怖を感じる。

 扉は本来縦方向に開き階段の代わりとなるのだがはずなのだが、仕方がないので頑張ってよじ登る。

 これだけでも筋肉痛になりそうなほどだ。

 後ほどここには手ごろな梯子でも付けておくとしよう。

 まあ、持ち合わせがあればだが。


 中に入り電気をつける。

 照明が点き、鮮やかに船内が彩られる。

「点いたか」

 電力に関しては問題なさそうだろうか。

 そんなことを考えながら奥へと進む。


 皆さまにも説明しておこう。

 宇宙船を進んで突き当りを右。

 ここにありますはエンジンルーム。

 私が爆発した例の場所だ。


 例の場所にたどり着くと入り口の横にドアがそなえられている。

 たぶんまた彼女がこじ開けたのだろう。

 悪魔。

 おいそれとは近寄りがたい生命体のようだ。

 ドアの亡き骸の隣に扉らしき面影、いわゆる輪郭が存在した。

 その奥の床は黒く塗りつぶされ、当時の悲惨さを物語っている。

 私は本当によく生きていたものだな。


 中に入ると部屋の約半分を占めるエンジンと思しき機械から何か謎の物体が飛び出している。

 刺さっているとでも表現した方が適切だろう。

 そのまま、床にも突き抜けているあたり、おそらくこの宇宙船が墜落した場所に何かしらの建造物が存在していたのだろう。

 彫像、モニュメント、オブジェ。

 あるいは噴水か。

 まあ、そんなことはどうでもいいか。

 大切なのは機械が使い物にならなくなっているという事実である。

 この部屋にはこの機械のほかに今は亡き操作パネルと、おびただしい数の配線なのか?何かの管で構成されている。

 そもそも動力源と操舵室がいっしょになっているのはどうなのだろう。

 少し設計を見直した方がいいのではないだろうか。

 動力部にもしものことがあった際に大変なことになるぞ。

……私とかな。

 そんな危なっかしい設計の部屋をくまなく探索する。

 私の探し物はマニュアルだ。

 このような災害に備えた何かが記載されているだろうことを祈りつつ、探し物を続ける。

 私の記憶が正しければ何冊が存在しているはずなのだが。


 無かった。


 まあ、よくよく考えればこんな場所に落ちているはずがないか。

 私は一つあくびをする。

 ついさっき目覚めたばかりで半日も活動していないような気がするが、疲れでも出たのだろうか。

 仕方ない。

 ひとまずコーヒーか何かでも入れるとしよう。


 さて、この宇宙船。

 ただの船ではない。

 二階には居住スペースが存在している。

 寝床はもちろんキッチンも存在しているようで、宇宙とは思えないだろう暮らしが保証されている。


 この船は一体どこに向かっているのだろうか。


 キッチンにたどり着くと辺りを捜索する。

 インスタントでも豆でもいいのだが、何かないだろうか。

 とりあえずの精神で台所の引き出しを開ける。


 何故かマニュアルが出てきた。


 いや、一体どこにしまっているんだ。

 レシピ本か何かか。

 まあ、おかげで見つけることができたのだから良しとしよう。

 気になるのはその分厚さだ。

 引き出しを丸々占領してなお角の折れているそれは、もはや本ではなく紙製の鈍器だ。

 いろいろな状況に応じて様々なことが書いてあるのは頼もしい限りだが限度がある。

 一体何が書いてあるというのだ。

 私は台所から鈍い音を鳴らしながらマニュアルを開く。

 そうだなもう一つ文句がある。

 見にくい。

 文字しか書いていない時点で失格だが、それ以上に改行が少ない、空行が無い、文字に抑揚が無いという読みにくい四天王がそろっている時点でもはやマニュアルなどではなく、もっとおごそかな何か教典にしか見えない。

 私は音を立てずに教典を閉じた。

 現代っ子の私から言わせれば気力を全力でむしり取りに来ているように取らざるを得ないが、我慢して読むことにする。

 私はため息を一つ付くと、ダイニングにマニュアルを置いた。



 コーヒーを飲み干す。

 なるほど。

 とりあえずメインコンピューターと銘打たれている物体が入り口横に存在するらしいことまでは分かった。

 マニュアルを抱えると私は移動した。



 ここがそうか。

 狭く、暗い部屋に画面が小さい何かディスプレイが存在している。

 この酷い有様の部屋、マニュアルによれば名称はコアルームだそうだ。

 いや、設計に携わっていない私が文句を垂れるのもアレだが、やはり、このようなオーバーテクノロジーな施設のメインコンピューターはだな、こう、軽く180°に達するシングルディスプレイや見上げるほどのマルチディスプレイだとか、いっそ機械の見た目をしていない何かであってもらいたかったのだが、どうも現実はそうもいかないらしい。

 目の前に踏ん反り返っておわしますはシングルディスプレイのものすごく小さい奴である。

 私の手を敷き詰めて四つ分くらいだろうか。

 ここまでくるとディスプレイなどという呼び方ではなく「ブラウンさん」という呼び方の方が正しいような気までする。

 まあ、私のこだわりはこの辺にしておこう。


 マニュアルに従いコンピューターを触っていくことにする。

 これだけぶっ飛んだ技術を搭載した化け物なのだ。

 自己修復機能の一つや二つあったりしないだろうか。

 電源が付き、立ち上がるといくつかの項目が表示される。

 さながらモニターに備えられたメニューのような素朴な羅列である。

 その中の一つに「船内外状況」という項目がある。

 それを選びたいのだがどうすればいいのだろうか。

 このメインコンピューター様、ずいぶんと飾り気の無い装いをしておられ、トラックパットはともかくとして、マウスはもちろんキーボードすら存在しない。

 操作方法か……。

 様々な機械を頭に浮かべてみる。

 画面だけの機械があったな。

 実はタッチパネルだったりするのだろうか。

 とりあえず画面に触れてみる。

 変化はない。

 ふむ、どうしたものか。

 ふとあることを思いつき、画面を押してみる。

 反応があった。

 どうやら今日日珍しい感圧式のようである。

 しばらくして画面上にまた様々な情報が流れ出でる。

 その画面を見て気づいたがどうやらこの宇宙船、太陽光による発電ができているようである。

 なるほどてっきり予備電力で動いているのかと思っていたが、それならば安心して浪費できるな。

 いや、特にこれと言って使う予定はないのだが。

 ただこちらの発電は主力部隊ではないらしい。

 やはりあの機械、エンジン的な何かがエース電力であったようだ。

 現状こちらについてはエラー表示が出ているあたり見かけだけでなくしっかりと壊れているようだ。

 少なくとも移動は出来そうもない。


 さて、とりあえずは船を直すことに専念するとしようか。

 とはいえ、設計にも関わっていない、まともにマニュアルを読める知識もない私が何をどうすれば直すことができるというのか。

 私はマニュアルを寝かせると後頭部を抑え寝転ぶ。

 発想というやつは見つけるものではなく落ちてくるものだ。

 ニュートンも激しくうなずいている。

 解決策はきっと施されるだろう。

 今は目の前の問題に取り組むとしよう。

 直近の問題。

 そう、彼女からこの船を遠ざけなければならない。

 移動はできないとしてなにか光学迷彩とか透明化とか、

 何かしら隠蔽機能はないだろうか。

 何とかこの船をなかったことにしてやりたい。

 決心をすると私は起き上がり、メインコンピューターとマニュアルを使い懸命に探す。




 さて、私には一つ弱点がある。

 それは集中力だ。

 人から羨ましがられること必至のこのユニークスキル、いやジョークスキルだが。

 欠点でもある。

 私はマニュアルを読んでいて気づかなかったのだ。

 その声を聴いた時、私は電撃でも喰らったかのように全身に衝撃が走る。


「何をしておる」


 ただの一言、その一言がどれほど恐ろしく、驚きに満ち溢れていたかは想像にかたくないだろう。

 私が我に返るとそこには彼女が居た。

 私が微動だにせず黙していると彼女が一つため息を吐く。

「なにも取って食ったりせん、わけを話してはくれんか」

 すべてを話すとするか。

 私はそう決意すると足を圧迫していたマニュアルと置き、立ち上がる。

「立ち話もなんだ、茶でも入れよう」

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