6:第六話:そして悪魔は問い始める
手に握られたコップを見る。
酒か。
久しく飲んでいないな。
「はい」
「うむ」
彼女は私の方を一度見ると床に置いてあったらしき何か瓶を手に取る。
私は何かを注いでいる彼女に近づいていく。
彼女が注ぎ終わるとコップを私に渡し瓶を置きながら言う。
「そうじゃな、そこにでも座るがよい」
どうやらベッドにでも座れということらしい。
私は座りながらコップの中身を確認する。
月明かりで詳しいことはわからないが、ワインか何かそう言う類の見た目をしている。
不透明な液体だ。
まあ、率直に述べるならば飲んで大丈夫なのかという心配があるのだが、心配の
彼女の飲んでいるものと明らかに違うという点だ。
彼女のグラスを見る限りでは透明な、所謂酒という感じのものだが、私が渡された酒はワインを
何か意図がありそうなものだが。
「あの」
「どうした?毒なんぞ盛っておらんぞ」
いや、そうじゃなくてだな。
……いや、まあ否定もできないのだが。
「いえ、あなたの飲んでいるものと違うような気がしまして」
「ああ、これか」
彼女がグラスを手に持つ。
「これは水じゃよ。
妾は酒癖が悪いからのう。
人前ではあまり飲まんようにしておる」
彼女が笑いながら言った。
逆光で分かりにくいものの、彼女が心の底から笑っていない事だけは手に取るように分かった。
「そうですか。
すみませんなんか」
「なぜ謝る?」
彼女の目が赤く照っていた。
彼女に問われ自分にもう一度問う。
はて何故、僕は謝ったのだろうか。
「あ、いえ」
条件反射、口癖、あるいは親に盛られた毒の影響か。
私は否定した後で理由を探した。
「まあよい」
彼女の目が伏せられたのを見て、
私は手の中のそれをもう一度見た。
きっと私が、もっと別の何か、彼女と詳しい間柄だったならば飲ませてあげられただろうそのものを。
「ほれ」
そう言って彼女はグラスを持ち手を伸ばす。
それだけでは飽き足らず彼女がグラスを大きく傾ける。
私も彼女のグラスの方へコップを近づける。
鋭い音が部屋へと響く。
窓に座る悪魔とベッドに座る人間。
異例で異様な晩酌である。
一口飲んでみる。
酒に詳しくないし何より味覚に自信がない。
感想は不味いものではない程度にとどめておくことにする。
まあ、そもそも酒の味なんて工業製品の味だ。
元より味わうようなものでもない気がする。
彼女が一口飲み込むと口を開く。
「さて、お主の話を聞かせてくれんかの?」
私の話か。
まあ、
たとえ相手が悪魔だろうとそうでなかろうと。
「あ、何か食事でも取るか?
簡単なもので良ければ出せるんじゃが……」
「ああ、いえ、大丈夫です」
話がそれたが、私は
「えっと、何について話せばいいのでしょうか?」
相手に一旦内容を絞らせる。
しかしこの質問は下手をすると追い込まれる攻めの一手でもある。
彼女がグラスを眺めながら呟く。
「そうじゃな……お主は何者じゃ?」
そう来たか。
何者。
つまりは私を表す特徴や性質などの情報についての質問である。
まあ、わかりやすい所で言えば職業や性格などだろうか。
しかし!その特徴や性質の中には「悪魔」と「人間」というものが存在する。
それでいて私は私についての情報を彼女に開示したくない。
であれば私が彼女に開示すべき情報を以下の通りである。
「見ての通り人間です」
どうだ!
私の人となりがよくわかる一幕だろう。
職務質問等で用いることができるであろう高等テクニックではあるが、このような受け答えをすると即刻連行であるため、よい子の皆さまは真似しないでもらいたい。
「うーむ、そうじゃなくてじゃな」
普通に困らせてしまった。
なんか、申し訳ない。
「例えば名前とかじゃよ」
名前。
そういえば思い出せていないという設定になっていたな。
「未だに思い出せぬのか?」
思い出せているも何もまず忘れていないのだが。
さすがにもう語らないのもマズイか。
「せめてなんと呼べばよいかだけ答えよ。
呼び名もないのは、すこし困る」
そうか……ん?
まるで私が忘れていないように言っている気がするな。気のせいか?
まあ、確かにどう呼べばいいかわからないのは困るな。
よく名前が思い出せないようなキャラクターにはその場に存在する物や場所、残った記憶などから連想して無理をしてでも名前が付けられたりなどする。
それほどに呼び名というのは必要不可欠なのだ。
さて、どうしたものか。
偽名でも答えておくか?
偽名か……偽名。
ギメイ……?
こういう時にボキャブラリーが貧弱なのは困るな。
まあ彼女の名前にできるだけ寄せたものが好ましいだろうことはわかる。
しかし!私はその手の名前を考えるのが苦手なのだ。
まあ、どうせ偽名か。
頭に浮かんだそれを口にしてみる。
「ルアト・ザン・インフェンス」
その……なんというか昔あることに使おうと思い考えた名前だ。
私の名前を聞き終えると彼女は少しグラスに目を落とす。
特に意図の無いだろう動きを手が行い、水が揺れる。
彼女は窓の外を見る。
「そうか……」
いや、いったいなんだ?
やはり何かこの名前に違和感でもあったのだろうか?
彼女が一口水を飲む。
「そうじゃな、ではルアトと呼ぶとしようではないか。
問題ないな?」
まさか呼び方を迷っていたのか?
「は、はい」
一応返事はしておく。
「ではルアト。
お主は何をしておる?」
何をしていると来たか。
そりゃ見ての通り……。
いや、さすがにこの構文をもう一度使うのは怒られるか。
そうだな。
察するに彼女が聞きたいのは私の職業などいわゆる身分あるいは立場についての事だろう。
どうしたものか。
さて、自慢じゃないが私は思考速度が遅い。
とりあえずシンキングタイムでも稼ぐとするか。
まあ、詰んだらその時はその時だ。
「と、いいますと?」
「そうじゃな……。
お主は何を生業としておる?」
ちゃんとした質問が来た。
しかしこれもまたどうしたものか。
難しい質問である。
もちろん形式的には一種の研究職なのだが。
研究員と言い表してよいのか、だからと言って学者というのもまた抽象的な表現だ。
さて、そんな皆様にすら説明し難いこの私めの職業を、どうして彼女に伝えられることができようか。
いや、できまい。
ま、もしできたとして伝えたいかと言われればノーセンキューだ。
何とかならないものだろうか。
握られたコップを見て考える。
「まあ、何かしら事情があるんじゃろうな。
詳しくは聞かぬ」
そういうと彼女は窓枠に沿うように座り直し窓の外を見る。
そのあとは何もない静寂が続いた。
窓から風が流れる。
酒を口にする。
水を口にしている。
窓から風が流れる。
酒を口にする。
水を口にしている。
……
……
そうして彼女のグラスから水が無くなると彼女は窓から降り口を開く。
「さて、今日はもう遅い。
さっさと寝るがよい」
彼女が手を出してくる。
コップを渡せということか。
残った結構な量の酒を一気に飲み干し彼女にコップを渡す。
彼女はそのコップを受け取ると、どこに置いてあったのか、暗がりから先ほどとは別個体の瓶を取り出しコップに注ぐ。
「ちゃんと飲んでおくんじゃよ」
無色透明のソレが注がれたコップを手渡してくる。
察するに水なのだろう。
「あ、ありがとうございます」
彼女からそれを受け取り、礼を述べておく。
「おやすみ」
その言葉を聞いたのはいつ以来だろうか。
そしてその言葉を言われたのはどれほど遠い記憶だろうか。
「おやすみなさい」
今思ったが「おやすみ」の丁寧な表現はこれであってるのだろうか。
まあ、考える必要もないか。
彼女が瓶を抱え、グラスと瓶を片手に持った勇ましい体制で歩いていく。
ドアに向かっていくにつれて暗くなる彼女の背中には羽が生えていた。
あの時の感情を素直に言ってみるとするか。
「すみませんでした」
「何故謝るんじゃ?」
彼女は振り返った。
暗がりの中で彼女が笑っているのが分かる。
「いえ、なんというか。
相手が僕じゃなかったならば飲ませてあげられたのかと思いまして」
少し間があって彼女が言う。
「気にしすぎじゃよ」
彼女はそういうとドアを開けて外に出ていった。
さて、宇宙船は大丈夫だろうか。
少し時間を空けてから出ることにしよう。
彼女と遭遇しては目も当てられない。
決意を固めると水を飲み干しベッドに横になる。
前は、いやさっきまでも気にしていなかったがずいぶんと柔らかいな。
布団はともかく、ベッドというのは最近ではバネやゴムなどのような反発性の強いものが多いイメージなのだが。
まあ、今はどうなっているかわからないが。
まるでそう言ったものを感じない。それは言い過ぎか。とにかく現代に比べて反発が柔らかい。
喩えるなら、そうだな。
数十センチほど積もった落ち葉のようなそんなかんじだろうか。
寝るときこそいいかもわからないが、起き上がるのは相当厳しいものがあるだろう。
今朝はよく起き上がれたものだ。私の腹筋も捨てたものではないのかもしれない。
そうしたどうでもいいことを考えながら夜はさらに深くなる。
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