8
リギンディアの花が雨に濡れた。
まだ曇天の奥から陽が差す気配はない。
タガネ一行が渓流に沿って南下する最中、砦の下町に援軍が到着した。
加勢に来た一万の軍を率いるのは、騎士団団長と剣姫マリアである。ヴリトラ戦の疲弊から立ち直った両名の参戦に、防衛を担っていた戦線が活気付く。
傭兵たちとしては、膠着状態だった苦境が終結する兆しを見て安堵する。――とはいえ剣姫マリアは、下町を訪れて早々に驚愕させられた。
「剣鬼が来ていた?」
「ああ、そりゃ凄かったぜ」
路傍に
マリアより一足先に来ていた剣鬼タガネが、下町で黒装束たちと戦った情報だった。襲い来る者を噂に
死体は片付けられてはいる。
平屋の壁に貼り付いた血痕はまだ新しい。
ほとほと呆れてマリアは首を横に振る。
「街中で刃傷沙汰なんて……」
「剣姫さん?」
「本っ当にアイツってば……!」
傭兵の呼び声にも反応せず。
マリアの意中には憎たらしい銀髪の剣士だけだった。眼前に本人がいたなら、すぐに問い
傭兵が町の出口を指差す。
「何か、護衛中みたいだったぜ?」
「は。護衛?」
「ああ、三人……だった。顔は見えなかったが」
「ふーん」
マリアは顎に手を当てて黙考する。
この砦の戦線に参戦せず、格好の仕事場を前にして護衛業に切り替えるなど、どうにも不自然に思われた。
何事か事情があるのかもしれない。
タガネの思惑とは。
「……気になるわね」
「はい?」
「その黒装束の死体を検分できないかしら?」
「死体、ですかい?」
「ええ、そうよ」
傭兵が訝しんで見る。
しかし、マリアの剣幕に圧されて死体を片付けた場所へと案内した。戦死者を葬る墓地は、今はもう隙間がないとあって、別の場所に運ばれている。
二人が来たのは、砦の北側だった。
リギンディアの花が咲き乱れる野原である。
こんもりと隆起した土、その上に建てられた石の墓標の数は二十にも下らない。
傭兵はその内、半数を指し示す。
マリアは進み出た。
「遺品などは、もう売られた?」
「いや、一緒に埋葬したな」
傭兵が墓標のそばを掘り起こす。
すると、そこに短剣や畳まれた黒装束があった。
マリアは胸前で合唱して死者の冥福を祈りつつ、丁寧にそれらを土の中から取り上げる。
黒装束は、特徴などはない。
しかし、短剣を見て――顔が険しくなる。
柄本に獅子の意匠。
「帝国の人間ね」
「はい?」
「帝国側の敵襲を受ける三人を護衛したのかしら」
マリアは再び沈思する。
どうしてか。
砦の向こう側から侵入した帝国の人間。それがこちらを撹乱することもせず、ただ三人を標的に定めて動く。
不自然きわまりないにも程がある。
「まさか、アイツ」
「剣鬼ですかい?」
「どうやら、面倒事に巻き込まれたみたいね」
マリアが三回手を叩く。
すると、マリアの影が揺らいだ。その中から黒髪の少年が飛び出した。
膝下にひざまずいて頭を垂れる。
その光景に傭兵が絶句していた。
「お呼びですか」
「ええ、クレスに仕事を頼みたいの」
黒髪の少年クレスが顔を上げる。
そこには若干の険があった。
「まさかとは思いますが」
「そうよ、アイツを探して」
「嫌です。お嬢様を軽んじる不逞の輩を、なぜ貴女が案じるのですか」
「べっ、別に案じてなんか無いわよ!」
マリアが赤面して糾する。
このクレスという少年は、マリアに幼少の
世界でも稀少な影と同化する魔法――【影魔法】を有する逸材である。
暗殺などの後ろ暗い仕事ならば右に出る者はいない。
その技量を見込んでだったが。
クレスには難点があった。
それは、タガネを
マリアの命令でも、聞けない。
「ヤツは何処ぞでお嬢様の耳を汚さずに死してしまえば善いのです!」
「嫌よ、アタシが剣で勝つまではダメ」
「くッ……」
マリアがそっとクレスの肩に手を置く。
「頼めるかしら」
「……ご、ご命令とあらば……!」
苦渋の決断で顔を歪める。
返答するとクレスの体が地面に沈み、その場に影となった。野原の中を高速で移動し、何処かへと去っていく。
それを見送ってマリアがふんすと胸を張る。
「全く、アイツは手がかかるんだから」
「剣姫さん」
「何よ?」
傭兵が小声で話しかける。
「剣鬼さんと懇ろなんですかい?」
「斬るわよ」
「すいやせんっした!?」
冷然とした表情に傭兵が悲鳴を上げる。
マリアは、空を振り仰ぐ。
あのヴリトラの一件で、心に深い傷を負ったのを知っているので、タガネのことを放っては置けない自分がいた。
これで死なれでもしたら寝覚めが悪い。
マリアはため息をついて。
「無茶するんじゃないわよ、バカ」
小声でそう言った。
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