リギンディアの花が雨に濡れた。

 まだ曇天の奥から陽が差す気配はない。

 タガネ一行が渓流に沿って南下する最中、砦の下町に援軍が到着した。

 加勢に来た一万の軍を率いるのは、騎士団団長と剣姫マリアである。ヴリトラ戦の疲弊から立ち直った両名の参戦に、防衛を担っていた戦線が活気付く。

 傭兵たちとしては、膠着状態だった苦境が終結する兆しを見て安堵する。――とはいえ剣姫マリアは、下町を訪れて早々に驚愕させられた。


「剣鬼が来ていた?」

「ああ、そりゃ凄かったぜ」


 路傍にたむろしていた傭兵の話。

 マリアより一足先に来ていた剣鬼タガネが、下町で黒装束たちと戦った情報だった。襲い来る者を噂にたがわない剣技で返り討ちにしたらしい。

 死体は片付けられてはいる。

 平屋の壁に貼り付いた血痕はまだ新しい。

 ほとほと呆れてマリアは首を横に振る。


「街中で刃傷沙汰なんて……」

「剣姫さん?」

「本っ当にアイツってば……!」


 傭兵の呼び声にも反応せず。

 マリアの意中には憎たらしい銀髪の剣士だけだった。眼前に本人がいたなら、すぐに問いただすために剣を交わしていただろう。

 傭兵が町の出口を指差す。


「何か、護衛中みたいだったぜ?」

「は。護衛?」

「ああ、三人……だった。顔は見えなかったが」

「ふーん」


 マリアは顎に手を当てて黙考する。

 この砦の戦線に参戦せず、格好の仕事場を前にして護衛業に切り替えるなど、どうにも不自然に思われた。

 何事か事情があるのかもしれない。

 タガネの思惑とは。


「……気になるわね」

「はい?」

「その黒装束の死体を検分できないかしら?」

「死体、ですかい?」

「ええ、そうよ」


 傭兵が訝しんで見る。

 しかし、マリアの剣幕に圧されて死体を片付けた場所へと案内した。戦死者を葬る墓地は、今はもう隙間がないとあって、別の場所に運ばれている。

 二人が来たのは、砦の北側だった。

 リギンディアの花が咲き乱れる野原である。

 こんもりと隆起した土、その上に建てられた石の墓標の数は二十にも下らない。

 傭兵はその内、半数を指し示す。

 マリアは進み出た。


「遺品などは、もう売られた?」

「いや、一緒に埋葬したな」


 傭兵が墓標のそばを掘り起こす。

 すると、そこに短剣や畳まれた黒装束があった。

 マリアは胸前で合唱して死者の冥福を祈りつつ、丁寧にそれらを土の中から取り上げる。

 黒装束は、特徴などはない。

 しかし、短剣を見て――顔が険しくなる。

 柄本に獅子の意匠。


「帝国の人間ね」

「はい?」

「帝国側の敵襲を受ける三人を護衛したのかしら」


 マリアは再び沈思する。

 どうしてか。

 砦の向こう側から侵入した帝国の人間。それがこちらを撹乱することもせず、ただ三人を標的に定めて動く。

 不自然きわまりないにも程がある。


「まさか、アイツ」

「剣鬼ですかい?」

「どうやら、面倒事に巻き込まれたみたいね」


 マリアが三回手を叩く。

 すると、マリアの影が揺らいだ。その中から黒髪の少年が飛び出した。

 膝下にひざまずいて頭を垂れる。

 その光景に傭兵が絶句していた。


「お呼びですか」

「ええ、クレスに仕事を頼みたいの」


 黒髪の少年クレスが顔を上げる。

 そこには若干の険があった。


「まさかとは思いますが」

「そうよ、アイツを探して」

「嫌です。お嬢様を軽んじる不逞の輩を、なぜ貴女が案じるのですか」

「べっ、別に案じてなんか無いわよ!」


 マリアが赤面して糾する。

 このクレスという少年は、マリアに幼少のみぎりから随身として働いていた執事である。身辺警護や家事などをこなす世話役である彼は、主に斥候として戦場でもマリアに貢献した。

 世界でも稀少な影と同化する魔法――【影魔法】を有する逸材である。

 暗殺などの後ろ暗い仕事ならば右に出る者はいない。

 その技量を見込んでだったが。

 クレスには難点があった。

 それは、タガネを嫌厭けんえんしていること。

 マリアの命令でも、聞けない。


「ヤツは何処ぞでお嬢様の耳を汚さずに死してしまえば善いのです!」

「嫌よ、アタシが剣で勝つまではダメ」

「くッ……」


 マリアがそっとクレスの肩に手を置く。


「頼めるかしら」

「……ご、ご命令とあらば……!」


 苦渋の決断で顔を歪める。

 返答するとクレスの体が地面に沈み、その場に影となった。野原の中を高速で移動し、何処かへと去っていく。

 それを見送ってマリアがふんすと胸を張る。


「全く、アイツは手がかかるんだから」

「剣姫さん」

「何よ?」


 傭兵が小声で話しかける。


「剣鬼さんと懇ろなんですかい?」

「斬るわよ」

「すいやせんっした!?」


 冷然とした表情に傭兵が悲鳴を上げる。

 マリアは、空を振り仰ぐ。

 あのヴリトラの一件で、心に深い傷を負ったのを知っているので、タガネのことを放っては置けない自分がいた。

 これで死なれでもしたら寝覚めが悪い。

 マリアはため息をついて。


「無茶するんじゃないわよ、バカ」


 小声でそう言った。




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