8
ヴリトラが討伐された。
その一報は、王の伝達など必要なかった。
あれから、ずっと降り続く雨が干魃の終わりを、すなわちヴリトラ討伐完了を告げる。
川には氾濫が起きるほど水量があふれ、水を忘れて久しい地面は急速に
空の恵みに、誰もが歓喜して湧き上がる。
討伐から
そんな中で、玉座の間に四人が集っていた。
頭を垂れる彼らに、国王が進み出る。
「貴殿らの働き、誠に大義だった」
全員を見回して、国王はやはり陰りのある笑みを作った。
功労者として顔を連ねる四人。
本来ならば五人だった。一人、この謁見を拒否してしまった者がいる。
王からの要請に応えない無礼に、宰相や他貴族も怒りを示すが、こればかりは国王も強く出れなかった。
後に大魔法使いベルソートから聞いた報告。
それは、タガネが伴っていた少女こそがヴリトラの化身した姿であるという真実。我が耳を疑い、ようやく飲み込んでから胸が苦しくなった。
国王は要求したのだ。
その少女を王城に保護する代わりにヴリトラを討伐に協力せよ、と。
結果として、国王は少女を討伐せよと言ったも同義の結果である。
そうとしか言いようがない。
「……タガネに、申し訳が立たん」
国王が小さく独り言を漏らす。
マリアが顔を伏せた。
彼を普段から邪険に扱う団長やミストすら同情していたが、ルナートスはやれやれと首を横に振る。
「ヤツを哀れむ必要はありません、父上」
「……だが」
「魔獣に欺かれ、情に任せて匿った。ヤツも国を脅かした一端を担っているのです」
「…………」
「やはり、傭兵風情は信用なりません」
ルナートスが辛辣に切り捨てる。
宰相たちは同意とばかりにうなずく。
他三名は、複雑に互いの顔を見合った。
「殿下」
「む?」
マリアが一人、面を上げる。
「いま、剣鬼は何処に?」
「先日の盗賊団の件の報酬を受け取って、早々に城を出ていったよ」
「そう、ですか」
マリアの声がしぼむ。
最後にタガネを見たのは平原だった。
雨に濡れながら、馬を駆って先を進む姿である。灰色の瞳から、人らしい感情などが抜け落ちていた。
覚悟の炎で燃え尽きた後の灰も同然の状態、あるいは脱け殻か。
災厄に勝利したはずなのに。
それから、城の中で過ごしているとは聞いたが、一度も姿を目にしていない。
それでも、最後に見た姿。
あれは――死人のようだった。
王都の検問から中へ人波が進む。
干魃から避難した商人などが一斉に帰還していた。またここは、商店の喧騒に彩られていくのだろう。
城下町は以前の賑わいを取り戻しつつある。
路傍で人たちが集まる風景を尻目に旅装束のタガネは検問に向かって人の波に逆らいながら進んだ。
あれから武器は新調していない。折れた剣を腰に帯びている。
レインを殺めた手応えが残っていた。
掌にはまだ温もりを感じる。
まともに剣が握れなくなったのだ。
「他人に、気を許したせいだな」
タガネはふと、足を止める。
流れていく人波の中、前方に立ち止まっている小柄な人影があった。長杖に尖った帽子、それだけの特徴で誰かはわかる。
振り返って、帽子のつばの下から老いた笑みが覗いた。
「待っとったぞ」
「何か用か、爺さん」
老人ベルソートが杖を突きながら近寄る。
タガネは冷めた瞳で見詰めた。
「ヌシに渡したい物があってのう」
「何かを受け取る気分じゃねえ」
「これじゃ」
有無を言わさずベルソートが差し出す。
骨ばった手には剣が握られていた。
タガネは眉を顰めて、渋々と受け取った。
「これは?」
「知り合いに依頼して造った物じゃ」
タガネは鞘から少しだけ抜いてみる。
露になったのは、微かな水色の光沢を帯びた不思議な剣身だった。
尋常な鋼ではない。
タガネは無言でベルソートを見た。
「ヴリトラの牙を素材に使った」
「なッ……」
タガネは驚愕する。
破格な素材であることは
どうやったのか。
「骨の『時』を止めただけじゃ」
「……ああ」
たしか、ベルソートは時間に干渉する魔法を使うと聞いていた。
物体の保存なんて、
タガネは剣の全体を見回した。
「どうして、俺に?」
「それの望みじゃ」
面食らって黙る。
ベルソートが頷いた。
「人が握ると、魔素が吸収される。ヌシだけじゃよ、触れても異常が無いのはな」
「どうやって、造ったんだ。こんなの」
「そこはワシの手腕で」
「はいはい。さすが大魔法使いだな」
大魔法使いが不可能を可能に変える。
そこに理屈などない。タガネはそう解釈して受け流した。
改めて剣を見下ろす。
レインの体の一部から作られた。
そして、握るのを許されたのは自分だけ。
「これで、人を殺せってか」
「さあ。ヌシ次第じゃ」
「……そうだな」
タガネは折れた剣と共に腰に差した。
「傭兵は骨董品なんざ持ち歩かん」
「そうか」
ベルソートの隣を過ぎて歩く。
腰に新たに乗った重みを噛み締める。
初めて討ち取った『守りたかったモノ』。これからの戦場で振るえるのか判らない。
しかし、受け取るか否かは考えるまでもなかった。
これは自分が持つべき物である。
戒めとして、罪として、罰として。
「どうか人を恨まんでくれ」
「あ?」
ベルソートの声に振り返る。
「どうか人を信じることを諦めんでくれ」
「……」
「どうか、ヌシの心まで乾かぬように」
ベルソートが胸前で手を合わせる。――まるで祈るように。
タガネはちっ、と小さく舌打ちした。
「余計なお世話だ」
雨が降り注ぐ中、まだ人が流れる川のように後ろへ過ぎ去っていく。
流れに逆らって検問に向かう。
踏みしめた地面は濡れていた。
―――――――
ここまで読んで頂き、誠に有り難うございます。
次回からも宜しくお願い致します。
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