血の乱舞が巻き起こる。

 ヴリトラの動きを押さえ、剣姫が肉を捌いていく。追撃に傷口を剣鬼の牙がより深く噛み砕いた。

 魔法に頼らない。

 純然たる剣技だけが怪物を刻む。

 絢爛に咲き誇る血飛沫に身を染めた。


「おい、マリア」

「何よ?」


 タガネが血で濡れた手を止める。

 振り返ったマリアも体の半面を赤く染めていた。煩わしそうに口許の血を手の甲で拭う。

 兵士の雄叫びが遠くに聞こえる。


「おかしくないか?」

「アンタの顔?」

「違わい」


 タガネは深く抉った足下の傷を見遣る。

 断続的に小さく血を噴く。

 そこに疑念の眼差しを注いだ。


「これだけやってるのに」

「……ええ、そうね」

「頭蓋の表面すら見えて来ない」


 二人の剣士による猛烈な連撃。

 いかに巨大な怪物といえど、剣の達人の技を一身に浴びながら無事では済まない。

 いつかは、その骨を露わにするほど肉を削がれるはずだ。実際に、二人の攻撃はその勢いで攻めていた。

 なのにヴリトラの骨が見えない。

 これでは、徒に攻撃を叩き込んでも致命傷にならない。

 くなる上は。


「仕方ない」

「何するのよ」


 タガネはため息と共に剣を鞘に納める。

 すると、傷口の隙間に足を入れた。そのまま腰、胴を沈めていく。手で肉を押し広げ、爪先で下を掻き分ける。

 マリアが瞠目した。


「は、はぁ!?」

「何だい」

「なに湯みたく浸かってんのよ!?」

「ヤツの体内に入る」


 タガネが事も無げに答えた。

 マリアは憮然として言葉を失う。

 怪物の肉の中へ、厭わしげもなく入る。突飛な愚挙を目の当たりにして、正気を疑う言葉すらも出なかった。

 着々と中へ進んだ。


「しょ、消化されるわよ」

「食道には入らん。皮膚の下を通って大脳を潰す」

「……死ぬんじゃないわよ」

「心配か?」

「違うわよ。アタシが剣で打ち負かすまで死ぬのは禁止ってことよ」


 一瞬だけからかう笑みを口に浮かべた。

 マリアは乾いた反応を返す。

 タガネは肩を竦めると、一気に中へ入った。

 自分が斬り開いた傷は、手応えよりも深い。さらに下へと行く。

 肉の壁に挟まれた中は熱気で蒸れる。

 喉を焼くように熱い。

 体の中が渇いてくる。

 爪先が傷の深部に突き当たった。そこを更に剣で切り裂く。

 すると、裂いた部分に赤く汚れた白骨が見える。してやったり、とタガネは再び剣を突き立てた。頭蓋に突き刺したあと、柄頭を強く踏み下ろす。

 亀裂が走り、刃が深く入った。


「く、熱い……!」


 タガネは剣を引き抜き、亀裂を叩いて砕く作業を始める。

 熱気で意識が白くなりそうになった。体に貼り付いてくる肉を振り払い、咳き込みながら骨を割る。

 しばし奮闘し、ようやく入れる隙間ができた。

 恐れずに飛び込む。


 ぐじゅり。


 足の裏を柔らかい感触が受け止める。

 不快な音を立てた。

 頭蓋骨に庇護された器官、大脳に違いない。踏みしめて、踵でなじった部分から脳漿が溢れてくる。


「終わりにしようか、レイン」


 剣を突き込んだ。

 すると、鋼が振動して手元を揺らす。

 タガネの脳内に声が響いた。


『タガネ』

『ぴかぴか、ぴかぴか』

『一緒にいるって言った』

『なのに、何で切るの』

『タガネはいいぴかぴかでしょ』


 耳を塞いでも頭に浸透する。

 タガネは苦痛に顔を歪めながら、剣を沈めた。

 悲鳴が頭の中で炸裂する。

 神経を焼くような激しい衝撃が脳髄まで駆け抜け、立ちくらみを覚えて膝を屈した。


「ぐ……?」


 頭を押さえて屈んだとき。

 剣を突き入れた下から光が漏れていた。

 水色の光だった。

 タガネは震える手に力を込めて、更に傷口を切り開いていく。噴き出す脳漿から顔を逸らし、最後は肉を手で押し広げた。

 下に空洞がある。

 タガネは剣を握って、その中に滑り込んだ。

 空洞の中に落下した。

 小部屋のように、肉の天井と壁に包まれた空間だった。柔らかい筋肉に受け止められて、タガネは口の中に入った血を吐き捨てる。

 立ち上がると、空間の中心に誰かが立っていた。

 小柄な影である。

 整えられた水色の髪と無垢な瞳。


「……レイン」

「タガネ、おかえり」


 そこにレインがいた。

 体の各部に白い鱗が浮き、足はヴリトラの肉と癒着している。繋がった血管は脈動していた。

 見知った姿に比べて異常な変化は見受けられるが、タガネにとっては大差無い。

 だからこそ、改めて目の前にした姿に足が重くなる。

 それでも……覚悟は決めた。

 タガネはたしかな足取りで歩み寄って、レインの前に屈み込む。


「すまない、遅れたな」

「用事終わった?」

「ああ、もう終わる」

「なら、早く家住んで寝る」


 レインの小さな手がタガネの頬を撫でた。

 この数日間となりにいた温もりだった。触れた部分が急激に乾燥して痛むが、それでもタガネは精一杯微笑みを作る。

 レインの背中に腕を回して抱き締めた。


「ああ、そうだ」

「ん」

「必ず、これから住む場所におまえを連れてく」


 レインの腕が首筋に回った。

 タガネも腕の力をこめる。

 耳元でくすぐったそうに笑う声がした。


「だから、今日は早く寝るぞ」

「ん」


 レインの背後で。

 そっと剣の先を柔らかい皮膚に突き立てた。


「ずっと一緒にいてやる」


 タガネは手元に力を込める。

 レインの体を鋼が掻き分けていく手応え。

 そして――心臓を貫いた。




 それと同時期。

 ヴリトラの体が完全停止した。

 獅子奮迅の戦いを見せた討伐軍、頭の上で荒れ狂う斬撃を放つマリア。

 全員が動きも止めた。

 ヴリトラの肉が著しく膨張を始める。マリアは弾かれるように地面に振り落とされた。

 討伐軍も慌てて撤退する。

 その体長が倍以上に膨れ上がった。

 そして。


『――――――――!』


 破裂音を打ち鳴らす。

 肉が弾けて辺りに飛び散った。

 ヴリトラの骨だけが残り、平原の上で無残に横たわっている。その中には、ミストたちがいた。

 ヴリトラの中から解放され、外の景色を見た瞬間に彼女は気を失って倒れる。宮廷魔導師はすでに倒れていた。

 頭上を照らす照明の魔法が消える。

 ゆっくりと夜闇が辺りを包むかと思いきや、平原の向こう側から朝日が見えていた。

 王子もその場に尻餅をつく。

 そこへ、討伐軍が左右から挟み込むように駆け寄った。

 全員を胴上げして、生存を喜ぶ。


 一方で、マリアは頭蓋骨の中を探った。まだ彼の生死が確認できていない。

 必死に内部を探る。

 すると、頭上から砕けた骨の欠片が落ちてきた。

 マリアが見上げると、砕けた隙間から上に座っている影を発見する。一旦外に出て、骨の上をよじ登って近づく。

 眼窩のところにタガネが腰かけていた。――折れた剣を片手に。


「終わったよ」

「……何かあったの?」

「別に」


 マリアはその声から感じ取った。

 この数日間に感じた、タガネの人間らしさが抜け落ちて無機質になっている。

 まるで、出会った当初のようだった。

 やはり、後悔しているのか。

 マリアはその心痛を案じて声をかけようとして。

 頬に何かが当たった。

 指でぬぐえば、血の滲んだ――水だった。

 空を見上げる。

 ぽつ、ぽつと晴れた暁の空から、雨が降り注いだ。


「雨、ね……」

「レイン。いい名前だよな」

「え?」


 マリアは小首を傾げた。

 タガネが卑屈な笑みを作ってみせる。


「本当、降るのが遅いっつの」


 災厄の獣を討った平原に。

 瀟々しょうしょうと雨が降っていた。




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