7
血の乱舞が巻き起こる。
ヴリトラの動きを押さえ、剣姫が肉を捌いていく。追撃に傷口を剣鬼の牙がより深く噛み砕いた。
魔法に頼らない。
純然たる剣技だけが怪物を刻む。
絢爛に咲き誇る血飛沫に身を染めた。
「おい、マリア」
「何よ?」
タガネが血で濡れた手を止める。
振り返ったマリアも体の半面を赤く染めていた。煩わしそうに口許の血を手の甲で拭う。
兵士の雄叫びが遠くに聞こえる。
「おかしくないか?」
「アンタの顔?」
「違わい」
タガネは深く抉った足下の傷を見遣る。
断続的に小さく血を噴く。
そこに疑念の眼差しを注いだ。
「これだけやってるのに」
「……ええ、そうね」
「頭蓋の表面すら見えて来ない」
二人の剣士による猛烈な連撃。
いかに巨大な怪物といえど、剣の達人の技を一身に浴びながら無事では済まない。
いつかは、その骨を露わにするほど肉を削がれるはずだ。実際に、二人の攻撃はその勢いで攻めていた。
なのにヴリトラの骨が見えない。
これでは、徒に攻撃を叩き込んでも致命傷にならない。
「仕方ない」
「何するのよ」
タガネはため息と共に剣を鞘に納める。
すると、傷口の隙間に足を入れた。そのまま腰、胴を沈めていく。手で肉を押し広げ、爪先で下を掻き分ける。
マリアが瞠目した。
「は、はぁ!?」
「何だい」
「なに湯みたく浸かってんのよ!?」
「ヤツの体内に入る」
タガネが事も無げに答えた。
マリアは憮然として言葉を失う。
怪物の肉の中へ、厭わしげもなく入る。突飛な愚挙を目の当たりにして、正気を疑う言葉すらも出なかった。
着々と中へ進んだ。
「しょ、消化されるわよ」
「食道には入らん。皮膚の下を通って大脳を潰す」
「……死ぬんじゃないわよ」
「心配か?」
「違うわよ。アタシが剣で打ち負かすまで死ぬのは禁止ってことよ」
一瞬だけからかう笑みを口に浮かべた。
マリアは乾いた反応を返す。
タガネは肩を竦めると、一気に中へ入った。
自分が斬り開いた傷は、手応えよりも深い。さらに下へと行く。
肉の壁に挟まれた中は熱気で蒸れる。
喉を焼くように熱い。
体の中が渇いてくる。
爪先が傷の深部に突き当たった。そこを更に剣で切り裂く。
すると、裂いた部分に赤く汚れた白骨が見える。してやったり、とタガネは再び剣を突き立てた。頭蓋に突き刺したあと、柄頭を強く踏み下ろす。
亀裂が走り、刃が深く入った。
「く、熱い……!」
タガネは剣を引き抜き、亀裂を叩いて砕く作業を始める。
熱気で意識が白くなりそうになった。体に貼り付いてくる肉を振り払い、咳き込みながら骨を割る。
しばし奮闘し、ようやく入れる隙間ができた。
恐れずに飛び込む。
ぐじゅり。
足の裏を柔らかい感触が受け止める。
不快な音を立てた。
頭蓋骨に庇護された器官、大脳に違いない。踏みしめて、踵でなじった部分から脳漿が溢れてくる。
「終わりにしようか、レイン」
剣を突き込んだ。
すると、鋼が振動して手元を揺らす。
タガネの脳内に声が響いた。
『タガネ』
『ぴかぴか、ぴかぴか』
『一緒にいるって言った』
『なのに、何で切るの』
『タガネはいいぴかぴかでしょ』
耳を塞いでも頭に浸透する。
タガネは苦痛に顔を歪めながら、剣を沈めた。
悲鳴が頭の中で炸裂する。
神経を焼くような激しい衝撃が脳髄まで駆け抜け、立ちくらみを覚えて膝を屈した。
「ぐ……?」
頭を押さえて屈んだとき。
剣を突き入れた下から光が漏れていた。
水色の光だった。
タガネは震える手に力を込めて、更に傷口を切り開いていく。噴き出す脳漿から顔を逸らし、最後は肉を手で押し広げた。
下に空洞がある。
タガネは剣を握って、その中に滑り込んだ。
空洞の中に落下した。
小部屋のように、肉の天井と壁に包まれた空間だった。柔らかい筋肉に受け止められて、タガネは口の中に入った血を吐き捨てる。
立ち上がると、空間の中心に誰かが立っていた。
小柄な影である。
整えられた水色の髪と無垢な瞳。
「……レイン」
「タガネ、おかえり」
そこにレインがいた。
体の各部に白い鱗が浮き、足はヴリトラの肉と癒着している。繋がった血管は脈動していた。
見知った姿に比べて異常な変化は見受けられるが、タガネにとっては大差無い。
だからこそ、改めて目の前にした姿に足が重くなる。
それでも……覚悟は決めた。
タガネはたしかな足取りで歩み寄って、レインの前に屈み込む。
「すまない、遅れたな」
「用事終わった?」
「ああ、もう終わる」
「なら、早く家住んで寝る」
レインの小さな手がタガネの頬を撫でた。
この数日間となりにいた温もりだった。触れた部分が急激に乾燥して痛むが、それでもタガネは精一杯微笑みを作る。
レインの背中に腕を回して抱き締めた。
「ああ、そうだ」
「ん」
「必ず、これから住む場所におまえを連れてく」
レインの腕が首筋に回った。
タガネも腕の力をこめる。
耳元でくすぐったそうに笑う声がした。
「だから、今日は早く寝るぞ」
「ん」
レインの背後で。
そっと剣の先を柔らかい皮膚に突き立てた。
「ずっと一緒にいてやる」
タガネは手元に力を込める。
レインの体を鋼が掻き分けていく手応え。
そして――心臓を貫いた。
それと同時期。
ヴリトラの体が完全停止した。
獅子奮迅の戦いを見せた討伐軍、頭の上で荒れ狂う斬撃を放つマリア。
全員が動きも止めた。
ヴリトラの肉が著しく膨張を始める。マリアは弾かれるように地面に振り落とされた。
討伐軍も慌てて撤退する。
その体長が倍以上に膨れ上がった。
そして。
『――――――――!』
破裂音を打ち鳴らす。
肉が弾けて辺りに飛び散った。
ヴリトラの骨だけが残り、平原の上で無残に横たわっている。その中には、ミストたちがいた。
ヴリトラの中から解放され、外の景色を見た瞬間に彼女は気を失って倒れる。宮廷魔導師はすでに倒れていた。
頭上を照らす照明の魔法が消える。
ゆっくりと夜闇が辺りを包むかと思いきや、平原の向こう側から朝日が見えていた。
王子もその場に尻餅をつく。
そこへ、討伐軍が左右から挟み込むように駆け寄った。
全員を胴上げして、生存を喜ぶ。
一方で、マリアは頭蓋骨の中を探った。まだ彼の生死が確認できていない。
必死に内部を探る。
すると、頭上から砕けた骨の欠片が落ちてきた。
マリアが見上げると、砕けた隙間から上に座っている影を発見する。一旦外に出て、骨の上をよじ登って近づく。
眼窩のところにタガネが腰かけていた。――折れた剣を片手に。
「終わったよ」
「……何かあったの?」
「別に」
マリアはその声から感じ取った。
この数日間に感じた、タガネの人間らしさが抜け落ちて無機質になっている。
まるで、出会った当初のようだった。
やはり、後悔しているのか。
マリアはその心痛を案じて声をかけようとして。
頬に何かが当たった。
指でぬぐえば、血の滲んだ――水だった。
空を見上げる。
ぽつ、ぽつと晴れた暁の空から、雨が降り注いだ。
「雨、ね……」
「レイン。いい名前だよな」
「え?」
マリアは小首を傾げた。
タガネが卑屈な笑みを作ってみせる。
「本当、降るのが遅いっつの」
災厄の獣を討った平原に。
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