5
ヴリトラが左に首を巡らせる。
そこでは隊列を整える人間たち。
大剣を手にした男が指揮を執っていた。金の眸が、じっと観察する。
あれは――ダメなぴかぴかだ。
地面を這って突進しようにも、喉の異物感がまだ消えない。鳴嚢とは異なって固く膨らんだ喉の部分が行動を阻害する。
消化されまいと、人間が体内で抗っていた。
ヴリトラの消化能力は動物を数秒で分解する。
結界を解けば、人間は
その防護を維持するのも限界があるだろう。じきに不快感とともに解消される。
それまでは――。
『…………』
ヴリトラは、悠々と人間たちを見下ろした。
金の眸は強かに時機を待つ。
しかし、天高く掲げた頭を後方から飛来する炎の弾丸が直撃した。
爆裂する奇襲攻撃に、ヴリトラが苦鳴の声を上げる。
攻撃を仕掛けてきた張本人。
それは別方向の人間たちだった。
「放て! 王子を救出しろ!」
別動隊に配属となった宮廷魔導師。
高火力の魔法を次々と発動させて戦う。
着弾の際に溢れる光と熱量は、なるほど怪物相手には威力があった。空気を揺らす轟音からひしひしと感じる。
しかし――ヴリトラの鱗には傷がなかった。
煙が立つだけで、火傷や損壊は認められない。
それを見た団長は失敗だと歯噛みする。
あの白い鱗は剣などによる攻撃は有効だが、魔法などに対する耐性が突出していた。現に、初手で王子が放った光の斬撃、続くミストたちの魔法の砲撃も軽微な損傷で済んでいる。
ただ、問題はあの未知の体液。
ある程度の傷になると、体内から分泌されて刀剣による負傷を防ぐ効果を発揮する。斬り進むほどに、肉体自体も
生態関連の文献はしこたま読んだ。
それに有効な戦術も練った。
ところが、ヴリトラには初見な部分が多い。
開戦から、ずっと驚かされてばかりだ。
「団長!」
「どうした!?」
「隊列が整いました。いつでも行けます」
部下の報告を受けてうなずく。
相手は予想を上回ってくる。
それでも倒さなければ何もかも失う。
大剣で切っ先をヴリトラに向ける。
「行くぞ皆の者、王子を奪還するぞ!!」
「待ちな」
発進しようとした団長。
その襟首を、誰かの手が掴んで止める。
危うく落馬しかけて、体勢を整えてから振り向いた。
「何事だ!?」
「俺の言う通りにしてくれ」
「貴様……!」
首を掴んだ人物に目を見開いた。
その団長の背後で、ヴリトラが魔法を長い舌で払い落としていた。舌に触れると、炎も風も氷もすべて霧散する。
宮廷魔導師たちがうろたえた。
ヴリトラの舌。
それは振り払って掻き消しているのではない。
魔素そのものを吸収して無力化している、まるで水のように。
これが『飢え渇くもの』か!
その名の由来が言い得て妙だと戦慄きとともに納得した。
ヴリトラの舌先が微かに震える。
頭を低くして、ゆっくりと接近していた。
緩慢な動作で、獲物を追い詰めることを楽しんでいる。ただ本能的に動いていた災厄が、いよいよ悪意を持って迫って来た。
誰もが攻めあぐねて立ち止まる。
打つ手無し。
それを読み取って、ヴリトラが口を大きく広げて食い尽くそうとした。
そのとき。
「レイン!!」
強く呼ぶ声がした。
ヴリトラは、動きを止める。
聞き覚えがあった。
それは、自分が借りていた名前である。
声は後ろから聞こえた。首ごと体をそちらに巡らせる。
声した方向を見る。
団長が大剣を水平にして構えていた。
そして、その剣の平に人が乗っている。
「本当に良いんだな?」
「ああ、思いっきり頼む」
「行くぞ!!」
団長が一歩前に踏み込む。
強い踏み込みに足が
「おおおおお……!!」
体の芯をその場に据えたまま、腰を駆動させた。
力の爆発に備え、筋肉が大きく膨らむ。
剣の上にいる影が霞んだ。
「うおおおおお――――飛んでけ!!」
大剣が振り抜かれる。
そこに乗っていた人影が消えた。
何をした?――ヴリトラが瞼をしばたかせる。
そもそも、さっきの声の主は何処にいるのか。
よく目を凝らして探る。
「ここだよ」
一瞬、小さな光が閃いた。
それを目視したヴリトラの右の視界が赤く染まる。
目元から頭頂を激痛が駆け抜けた。
『ギィィィイイイイッッ!?』
血が噴き出している。
斬られた。……でも、何に?
困惑して首を振る。
「おい、言葉はわかるよな」
また声がした。
聞き覚えのあるそれは、頭上からしている。
誰のものだったか。
記憶の糸を手繰っていくと、一人の人間の姿が思い浮かんだ。
目に焼き付く銀の髪。いつも仏頂面で、それでも時折見せる笑顔が印象的だった。
そう、名前は……。
『た、が、ね』
「おまえには、言い忘れてたことがある」
声の主――タガネが頭上にいる。
大剣の上に乗っていたのは彼だった。団長の腕力を味方につけて跳躍し、そのまま頭の上に乗ったのだろう。
まさか、タガネに斬られんなんて。
予想だにしない出来事にヴリトラが固まる。
「青い髪の女、偉そうな男も危険だが」
空気が冷たくなっていく。
ヴリトラは本能的な危険を察知した。
頭の上にいるのはタガネではない。
「一等駄目なぴかぴかは……」
そこにいるのは
「――俺だよ」
泣く子も黙る鬼だと。
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