ヴリトラが左に首を巡らせる。

 そこでは隊列を整える人間たち。

 大剣を手にした男が指揮を執っていた。金の眸が、じっと観察する。


 あれは――ダメなぴかぴかだ。


 地面を這って突進しようにも、喉の異物感がまだ消えない。鳴嚢とは異なって固く膨らんだ喉の部分が行動を阻害する。

 消化されまいと、人間が体内で抗っていた。

 ヴリトラの消化能力は動物を数秒で分解する。

 結界を解けば、人間はたない。

 その防護を維持するのも限界があるだろう。じきに不快感とともに解消される。

 それまでは――。


『…………』


 ヴリトラは、悠々と人間たちを見下ろした。

 金の眸は強かに時機を待つ。

 しかし、天高く掲げた頭を後方から飛来する炎の弾丸が直撃した。

 爆裂する奇襲攻撃に、ヴリトラが苦鳴の声を上げる。

 攻撃を仕掛けてきた張本人。

 それは別方向の人間たちだった。


「放て! 王子を救出しろ!」


 別動隊に配属となった宮廷魔導師。

 高火力の魔法を次々と発動させて戦う。

 着弾の際に溢れる光と熱量は、なるほど怪物相手には威力があった。空気を揺らす轟音からひしひしと感じる。


 しかし――ヴリトラの鱗には傷がなかった。


 煙が立つだけで、火傷や損壊は認められない。

 それを見た団長は失敗だと歯噛みする。

 あの白い鱗は剣などによる攻撃は有効だが、魔法などに対する耐性が突出していた。現に、初手で王子が放った光の斬撃、続くミストたちの魔法の砲撃も軽微な損傷で済んでいる。


 ただ、問題はあの未知の体液。


 ある程度の傷になると、体内から分泌されて刀剣による負傷を防ぐ効果を発揮する。斬り進むほどに、肉体自体もかたくなっていく。

 生態関連の文献はしこたま読んだ。

 それに有効な戦術も練った。

 ところが、ヴリトラには初見な部分が多い。

 開戦から、ずっと驚かされてばかりだ。


「団長!」

「どうした!?」

「隊列が整いました。いつでも行けます」


 部下の報告を受けてうなずく。

 相手は予想を上回ってくる。

 それでも倒さなければ何もかも失う。

 大剣で切っ先をヴリトラに向ける。


「行くぞ皆の者、王子を奪還するぞ!!」

「待ちな」


 発進しようとした団長。

 その襟首を、誰かの手が掴んで止める。

 危うく落馬しかけて、体勢を整えてから振り向いた。


「何事だ!?」

「俺の言う通りにしてくれ」

「貴様……!」


 首を掴んだ人物に目を見開いた。

 その団長の背後で、ヴリトラが魔法を長い舌で払い落としていた。舌に触れると、炎も風も氷もすべて霧散する。

 宮廷魔導師たちがうろたえた。

 ヴリトラの舌。

 それは振り払って掻き消しているのではない。

 魔素そのものを吸収して無力化している、まるで水のように。


 これが『飢え渇くもの』か!


 その名の由来が言い得て妙だと戦慄きとともに納得した。

 ヴリトラの舌先が微かに震える。

 頭を低くして、ゆっくりと接近していた。

 緩慢な動作で、獲物を追い詰めることを楽しんでいる。ただ本能的に動いていた災厄が、いよいよ悪意を持って迫って来た。

 誰もが攻めあぐねて立ち止まる。

 打つ手無し。

 それを読み取って、ヴリトラが口を大きく広げて食い尽くそうとした。

 そのとき。


「レイン!!」


 強く呼ぶ声がした。

 ヴリトラは、動きを止める。

 聞き覚えがあった。

 それは、自分が借りていた名前である。

 声は後ろから聞こえた。首ごと体をそちらに巡らせる。

 声した方向を見る。

 団長が大剣を水平にして構えていた。

 そして、その剣の平に人が乗っている。


「本当に良いんだな?」

「ああ、思いっきり頼む」

「行くぞ!!」


 団長が一歩前に踏み込む。

 強い踏み込みに足がくるぶしまで地面に沈んだ。


「おおおおお……!!」


 体の芯をその場に据えたまま、腰を駆動させた。

 力の爆発に備え、筋肉が大きく膨らむ。

 剣の上にいる影が霞んだ。


「うおおおおお――――飛んでけ!!」


 大剣が振り抜かれる。

 そこに乗っていた人影が消えた。

 何をした?――ヴリトラが瞼をしばたかせる。

 そもそも、さっきの声の主は何処にいるのか。

 よく目を凝らして探る。


「ここだよ」


 一瞬、小さな光が閃いた。

 それを目視したヴリトラの右の視界が赤く染まる。

 目元から頭頂を激痛が駆け抜けた。


『ギィィィイイイイッッ!?』


 血が噴き出している。

 斬られた。……でも、何に?

 困惑して首を振る。


「おい、言葉はわかるよな」


 また声がした。

 聞き覚えのあるそれは、頭上からしている。

 誰のものだったか。

 記憶の糸を手繰っていくと、一人の人間の姿が思い浮かんだ。

 目に焼き付く銀の髪。いつも仏頂面で、それでも時折見せる笑顔が印象的だった。

 そう、名前は……。


『た、が、ね』

「おまえには、言い忘れてたことがある」


 声の主――タガネが頭上にいる。

 大剣の上に乗っていたのは彼だった。団長の腕力を味方につけて跳躍し、そのまま頭の上に乗ったのだろう。

 まさか、タガネに斬られんなんて。

 予想だにしない出来事にヴリトラが固まる。


「青い髪の女、偉そうな男も危険だが」


 空気が冷たくなっていく。

 ヴリトラは本能的な危険を察知した。

 頭の上にいるのはタガネではない。


「一等駄目なは……」


 そこにいるのは









「――俺だよ」


 泣く子も黙る鬼だと。



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