4
ムカデたちによる混乱は伝播していく。
ルナートスや宮廷魔導師の奮戦で切り払われて行くが、放たれた数は
うごめく小さな爆弾。
その処理に必死の討伐軍は、ふと足下に揺れを感じて止まる。
何事かとヴリトラを見れば――。
「なっ!?」
平原を薙ぎ払わんと巨大な尾が迫っていた。破格の重量との摩擦に、地面が捲れ上がって山を作っている。
団長の率いる部隊たちは後ろへと即座に撤退していたようだが、幾人かが逃れられず、上空へ高く撥ね上げられ、他は噴煙の濁流に飲み込まれた。
「こんなの……っ」
「く……」
誰もが息を呑んだ。
諦めと絶望がとぐろを巻いて討伐軍を包む。
「な……っ!?」
ルナートスの馬が暴れた。
迫る危険に狂燥する馬に振り回されて、他の隊員も
それでもヴリトラの間合いから逃れられない。
みずからが放った小さな蛇たちもろとも、巨大な尻尾が粗挽きの肉塊へと変える。次は自分だと覚悟して、兵士たちは目を閉じた。
恐怖に停止する軍。
その中から、一人が駆け出した。
「ミスト!?」
「押さえます!」
ミストが長杖を地面に突き立てる。
両手で握り、呼吸を整えて瞑目した。
燦然と杖先の宝玉が輝く。
ミストの前方に、半透明の壁が出現した。表面に幾何学模様の浮かぶそれは、範囲を急速に広めていく。
尾が目と鼻の先にある。
そのときには、討伐軍を覆うほどの
一見して壮観にして堅牢な
しかし、これでも不安にさせられる。
「我々も援護するぞ」
「ミスト様にお力添えを!」
「はあッ!」
宮廷魔導師が続いて、同じ魔法を展開した。
範囲はミストに及ばずとも、数名の魔素で練(ね)り上げられた壁が広域を包んだ。
「衝撃に備えて!」
ミストの声が注意を喚起する。
全員が身構えた。
雷鳴もかくやという轟音を打ち鳴らす。壁面と尻尾が激突した。
壁を魔力で生成したミストたちに、その衝撃が伝わる。骨のきしむような圧迫感に、膝を屈してしまいそうになった。
魔導師たちが必死に堪える。
防壁に亀裂が走り、粉砕される――その前に、尻尾の力が止まった。
地響きが止んだ。
ミストはその場にくずおれる。
守りおおせたと分かって、宮廷魔導師たちも胸を撫で下ろす。
ルナートスは慌ててミストへと駆け寄った。
馬から飛び降りて、彼女を抱き起こす。
「よくやった!」
「いえ、それより、も……」
「どうした?」
上を見上げて凍りつくミスト。
その反応を訝り、ルナートスも見上げた。
辛うじて維持された結界。
それを覆い尽くす、ヴリトラの口が迫っていた。
「え――」
戸惑いの声を漏らした一瞬。
結界が張られた地面もろとも、ヴリトラの口に飲み込まれた。
その光景を、離脱していたマリアが振り返って唖然とする。ヴリトラは閉じた口を持ち上げて、ゆっくりと
結界のあった場所。
そこは何もない
飲み込んだ後の喉元は、鳴嚢とは別のふくらみがある。まだ結界が維持されているのだ。
消化されるのを防いでいる。
まだ救出は間に合う。
しかし――。
「どうする……」
マリアは戦況を分析する。
団長率いる部隊は、いま撤退による隊列の乱れと尻尾の攻撃の被害で立ち直れない。
大魔法使いベルソートは、高空で観察を続けている。助勢を頼んでも無駄だろう。
いま動けるのは自分と。
あとは……。
「……動け、腰抜け!」
あそこに立ち尽くす、剣士だけだ。
マリアは駆け寄る。
タガネは剣の柄を握ったまま動かない。呼び掛けても応える素振りすらなかった。
失意のあまりもぬけの殻状態になっていた。
魂がここにない。
この佳境で文字通りの腑抜けになろうとしている。誰もが命を燃やしてヴリトラに立ち向かおうとしているのに。
マリアは怒りのままに、彼の胸ぐらを掴んだ。
自分に引き寄せて、その額に頭突きを繰り出す。
鈍い音とともに両者の頭に激痛が走る。
タガネの目が、わずかな生気の光を取り戻す。
マリアを見た。
「アタシがわかる?」
「…………」
タガネは答えない。
しかし、さっきとは違って意図的だった。
灰色の瞳には、まだ平時の鋭さが無い。
「戦いなさいよ」
「無理だろ」
「なぜ?」
「俺に、レインを斬れってか?」
「そうよ」
マリアは迷わず即答した。
タガネが一瞬目を見開き、儚げに笑う。
「おまえさんは鬼だな」
「違うわ。アタシは剣姫よ」
「そういうんじゃ……」
「アンタは、あの子のために鬼になるのよ」
「何を言ってる?」
「レインの為に、剣鬼になりなさい」
マリアは手を離した。
姿勢を戻したタガネを真っ直ぐに見る。
途方に暮れた顔に、しっかり向き合った。
「アンタ、どうしてここにいるの?」
「は?」
「どうして、ヴリトラと戦うって決めたの?」
「それは……」
タガネの目が、正面から逸れた。
どうして、ヴリトラ討伐を引き受けたか。
その要因は……。
「国王から話を聞いたわ」
「……」
「レインちゃんを守るために、交換条件で引き受けたって」
「ああ」
「どうして、あの子を助けたの?」
マリアは囁くように彼に訴えかけた。
タガネが顔を上げた。
「それは、俺が拾ったからだ」
「そう」
「拾った命の責任を、取るつもりで」
「そうね」
タガネは
道端に倒れるレインを助けてから、途中で投げ出してはならない。自分が救った命に、中途半端に関わっていけないのだと自らに課した。
だから、レインの健康を気遣い、王城に頼った。ヴリトラ討伐も、その理由があったから請け負った。
死ぬ覚悟で。
「今のアンタはどうなの!?」
「俺は……」
「アンタが拾った命が、こうして目の前で暴れてる。きっと、命が終わるまで延々と殺戮と略奪を続けるわ」
タガネは視線をヴリトラに映す。
ルナートスを飲み込んだ怪物が首を横に巡らせた。次は横合いから襲いかかった討伐軍を狙うつもりである。
このままでは全滅する。
全滅させる、あのレインが。
レインだったものが。
「このまま誰かに任せて良いの?」
「……」
「アンタがやらないなら、アタシが斬るわ」
マリアが細身の剣を抜いた。
ぎらりと刃が剣呑に光を照り返す。
紺碧の瞳は、一切の動揺も無い。
「アタシの手で、終わらせる。それで良いの!?」
「……っ」
「剣を抜きなさい!」
マリアが叱咤する。
タガネの手元の震えが止まった。
ヴリトラの咆哮が聞こえる。討伐軍の雄叫びが重なった。戦いはまだ続く。
討伐軍が全滅するか。
ヴリトラが――レインがすべてを食らうまで。
「行くわよ」
「俺に、できるのか」
「きっと、レインちゃんも、アンタ以外に斬られるなんて嫌だと思うわ」
至近距離で視線が交わる。
頭痛が、失意でかすんだ意識を鮮明にさせていく。
「『敵』の首は、アンタに譲るわ」
「……」
「アンタの責任を、全うしなさい」
マリアの声が心の芯に響く。
タガネの手に、力がみなぎった。
顔を伏せて、深呼吸する。
「そう、だな」
灰色の瞳が、ヴリトラを見据えた。
覚悟の色を宿して。
「俺が斬ろう。――レインのために」
静かに、鬼となる決意を固めた。
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