ムカデたちによる混乱は伝播していく。

 ルナートスや宮廷魔導師の奮戦で切り払われて行くが、放たれた数はキリが無い。

 うごめく小さな爆弾。

 その処理に必死の討伐軍は、ふと足下に揺れを感じて止まる。

 何事かとヴリトラを見れば――。


「なっ!?」


 平原を薙ぎ払わんと巨大な尾が迫っていた。破格の重量との摩擦に、地面が捲れ上がって山を作っている。

 団長の率いる部隊たちは後ろへと即座に撤退していたようだが、幾人かが逃れられず、上空へ高く撥ね上げられ、他は噴煙の濁流に飲み込まれた。


「こんなの……っ」

「く……」


 誰もが息を呑んだ。

 かわせはしない。

 諦めと絶望がとぐろを巻いて討伐軍を包む。


「な……っ!?」


 ルナートスの馬が暴れた。

 迫る危険に狂燥する馬に振り回されて、他の隊員も散々ちりぢりになった。隊列は原型を留めない。

 それでもヴリトラの間合いから逃れられない。

 みずからが放った小さな蛇たちもろとも、巨大な尻尾が粗挽きの肉塊へと変える。次は自分だと覚悟して、兵士たちは目を閉じた。

 恐怖に停止する軍。

 その中から、一人が駆け出した。


「ミスト!?」

「押さえます!」


 ミストが長杖を地面に突き立てる。

 両手で握り、呼吸を整えて瞑目した。

 燦然と杖先の宝玉が輝く。

 ミストの前方に、半透明の壁が出現した。表面に幾何学模様の浮かぶそれは、範囲を急速に広めていく。

 尾が目と鼻の先にある。

 そのときには、討伐軍を覆うほどの半円ドーム状の防壁が完成した。

 一見して壮観にして堅牢な結界けっかい

 しかし、これでも不安にさせられる。


「我々も援護するぞ」

「ミスト様にお力添えを!」

「はあッ!」


 宮廷魔導師が続いて、同じ魔法を展開した。

 範囲はミストに及ばずとも、数名の魔素で練(ね)り上げられた壁が広域を包んだ。


「衝撃に備えて!」


 ミストの声が注意を喚起する。

 全員が身構えた。

 雷鳴もかくやという轟音を打ち鳴らす。壁面と尻尾が激突した。

 壁を魔力で生成したミストたちに、その衝撃が伝わる。骨のきしむような圧迫感に、膝を屈してしまいそうになった。

 魔導師たちが必死に堪える。

 防壁に亀裂が走り、粉砕される――その前に、尻尾の力が止まった。

 地響きが止んだ。

 ミストはその場にくずおれる。

 しのいだ。

 守りおおせたと分かって、宮廷魔導師たちも胸を撫で下ろす。

 ルナートスは慌ててミストへと駆け寄った。

 馬から飛び降りて、彼女を抱き起こす。


「よくやった!」

「いえ、それより、も……」

「どうした?」


 上を見上げて凍りつくミスト。

 その反応を訝り、ルナートスも見上げた。

 辛うじて維持された結界。

 それを覆い尽くす、ヴリトラの口が迫っていた。


「え――」


 戸惑いの声を漏らした一瞬。

 結界が張られた地面もろとも、ヴリトラの口に飲み込まれた。

 その光景を、離脱していたマリアが振り返って唖然とする。ヴリトラは閉じた口を持ち上げて、ゆっくりと嚥下えんかした。

 結界のあった場所。

 そこは何もない窪地くぼちになった。

 飲み込んだ後の喉元は、鳴嚢とは別のふくらみがある。まだ結界が維持されているのだ。

 消化されるのを防いでいる。

 まだ救出は間に合う。

 しかし――。


「どうする……」


 マリアは戦況を分析する。

 団長率いる部隊は、いま撤退による隊列の乱れと尻尾の攻撃の被害で立ち直れない。

 大魔法使いベルソートは、高空で観察を続けている。助勢を頼んでも無駄だろう。

 いま動けるのは自分と。

 あとは……。


「……動け、腰抜け!」


 あそこに立ち尽くす、剣士だけだ。


 マリアは駆け寄る。

 タガネは剣の柄を握ったまま動かない。呼び掛けても応える素振りすらなかった。

 失意のあまりもぬけの殻状態になっていた。

 魂がここにない。

 この佳境で文字通りの腑抜けになろうとしている。誰もが命を燃やしてヴリトラに立ち向かおうとしているのに。

 マリアは怒りのままに、彼の胸ぐらを掴んだ。

 自分に引き寄せて、その額に頭突きを繰り出す。

 鈍い音とともに両者の頭に激痛が走る。

 タガネの目が、わずかな生気の光を取り戻す。

 マリアを見た。


「アタシがわかる?」

「…………」


 タガネは答えない。

 しかし、さっきとは違って意図的だった。

 灰色の瞳には、まだ平時の鋭さが無い。


「戦いなさいよ」

「無理だろ」

「なぜ?」

「俺に、レインを斬れってか?」

「そうよ」


 マリアは迷わず即答した。

 タガネが一瞬目を見開き、儚げに笑う。


「おまえさんは鬼だな」

「違うわ。アタシは剣姫よ」

「そういうんじゃ……」

「アンタは、あの子のために鬼になるのよ」

「何を言ってる?」

「レインの為に、剣鬼になりなさい」


 マリアは手を離した。

 姿勢を戻したタガネを真っ直ぐに見る。

 途方に暮れた顔に、しっかり向き合った。


「アンタ、どうしてここにいるの?」

「は?」

「どうして、ヴリトラと戦うって決めたの?」

「それは……」


 タガネの目が、正面から逸れた。

 どうして、ヴリトラ討伐を引き受けたか。

 その要因は……。


「国王から話を聞いたわ」

「……」

「レインちゃんを守るために、交換条件で引き受けたって」

「ああ」

「どうして、あの子を助けたの?」


 マリアは囁くように彼に訴えかけた。

 タガネが顔を上げた。


「それは、俺が拾ったからだ」

「そう」

「拾った命の責任を、取るつもりで」

「そうね」

 タガネは訥々とつとつと答えた。

 道端に倒れるレインを助けてから、途中で投げ出してはならない。自分が救った命に、中途半端に関わっていけないのだと自らに課した。

 だから、レインの健康を気遣い、王城に頼った。ヴリトラ討伐も、その理由があったから請け負った。

 死ぬ覚悟で。


「今のアンタはどうなの!?」

「俺は……」

「アンタが拾った命が、こうして目の前で暴れてる。きっと、命が終わるまで延々と殺戮と略奪を続けるわ」


 タガネは視線をヴリトラに映す。

 ルナートスを飲み込んだ怪物が首を横に巡らせた。次は横合いから襲いかかった討伐軍を狙うつもりである。

 このままでは全滅する。

 全滅させる、あのレインが。

 レインだったものが。


「このまま誰かに任せて良いの?」

「……」

「アンタがやらないなら、アタシが斬るわ」


 マリアが細身の剣を抜いた。

 ぎらりと刃が剣呑に光を照り返す。

 紺碧の瞳は、一切の動揺も無い。


「アタシの手で、終わらせる。それで良いの!?」

「……っ」

「剣を抜きなさい!」


 マリアが叱咤する。

 タガネの手元の震えが止まった。

 ヴリトラの咆哮が聞こえる。討伐軍の雄叫びが重なった。戦いはまだ続く。

 討伐軍が全滅するか。

 ヴリトラが――レインがすべてを食らうまで。


「行くわよ」

「俺に、できるのか」

「きっと、レインちゃんも、アンタ以外に斬られるなんて嫌だと思うわ」


 至近距離で視線が交わる。

 頭痛が、失意でかすんだ意識を鮮明にさせていく。


「『敵』の首は、アンタに譲るわ」

「……」

「アンタの責任を、全うしなさい」


 マリアの声が心の芯に響く。

 タガネの手に、力がみなぎった。

 顔を伏せて、深呼吸する。


「そう、だな」


 灰色の瞳が、ヴリトラを見据えた。

 覚悟の色を宿して。


「俺が斬ろう。――レインのために」


 静かに、鬼となる決意を固めた。






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