討伐軍が制圧に死力を尽くす。

 それをタガネは静観していた。

 馬の手綱を握る手に力はなく、灰色の瞳は焦点が合わない。隣にいた温もりが、巨大な怪物として本性をあらわした現実を受け止められなかった。

 そして。


「くそ」


 そんな怪物になっても冷酷になれない自分。

 剣を突き立てる討伐軍を悪魔にさえ見紛う。散々鬼だと言われた自分が人に言えることではないが。

 頭痛すらして、タガネは顔を俯かせる。

 脳裏にレインの面影がちらついて離れず、網膜に焼き付いた出陣前の笑顔がまだ鮮やかに思い出せる。


 剣を握れない。

 裏切られたのか、また。


 たとえ悪意が無くとも、欺かれていたことに変わりはない。あの少女の姿だって、食った相手の皮を借りただけだ。

 なんと悪辣で卑劣なのか。

 悪意が無いのだから、なおたちが悪い。

 だからこそか。

 タガネにはレインを捨てきれない。

 そして初めてだった。

 父親に裏切られたときと違い、自ら大切にしたものを剣で斬る覚悟を決めるのは。

 あれから、大切な物なんて作りもしなかった。

 出来もしなかった。

 手元が拒否感と未知への恐怖に震える。


「レイン」


 大蛇に向けて名を囁く。

 けれど、金の獰猛な眸は一瞥もくれない。

 名を呼べば、すぐに飛んできたのに。

 波打つ巨体が地面を揺らす。

 群がる人間を叩き潰すためだけに。


「また、俺は裏切られたのか」


 ただ独り。

 タガネはその場に立ち尽くした。

 その失意と絶望の淵に沈む姿を、一旦後ろに下がって息を整える団長とマリアが見咎める。前では、大蛇の肉を裂く部下の猛撃が続く。

 誰もが戦意を昂らせる中、最も猛威をふるうと思われていた剣鬼が動けない状態に陥っている。

 団長が舌打ちした。


「何をやっとるのだ、腑抜けめ」

「…………」

「マリア、もうすぐ我々も出るぞ」


 団長が前を見据えた。

 狂い咲く血飛沫ちしぶきの花、誰よりも派手な物を作ろうと、団長も息巻く。

 気勢を上げる軍の勢いは凄まじい。

 これならば討伐も夢ではない。


「よし、行くか」

「アタシ、少し見てきます」

「あ、おい!?」


 マリアが方向転換し、部隊から離脱する。

 呼び止める間もない速度でタガネへと一直線に向かった。

 マリアから視線を外し、団長は大剣を掲げる。

 剣姫も離れるのは手痛いが、今の攻勢ならば問題ない。このままならば、川幅ほどある胴体を半分まで斬り込める。

 団長が大蛇の傷口に渾身の力で大剣を叩き込む。


「このまま行けぇ!!」


 肉を深々と裂く手応え。

 抉りながら一気に引き抜き――。


「……何だ?」


 団長や、他の部隊も手を止める。

 大蛇から、流血が止まった。

 いくら切っても、出血は無い。むしろ、傷口の肉が少しずつ膨れ上がり、血とは異なる粘液を分泌し始めた。剣が絡め取られて斬れない。

 団長が大剣の先端で頭上に円を描く。

 それを見た隊員が、次々とヴリトラから距離を置いた。

 胴体を強襲していた団長たちが撤退を始める頃、先頭で注意を惹き付けていたルナートスたちも後方へと下がる。

 ヴリトラは動きを止めていた。

 しかし、死んではいない。

 金の眸が忙しなく周囲をたしかめている。

 そして、口が開いた。


『ギィィィイイイイッッ!!』


 高音域の音波が放たれる。

 全員が耳を塞いだ。

 鼓膜を苛む衝撃に、苦しさで重い瞼をこじ開けてルナートスはヴリトラを見る。

 凄烈な音波で、景色が歪んでいた。鳴嚢が強く脈動し、その都度に音が放出される。

 軍の何人かは、もう耳の穴から流血している者が見受けられた。物理的な衝撃もだが、あれだけで精神を掻き乱される。


「一撃、叩き込むか……!」


 ルナートスは鼓膜が破れるのを覚悟で宝剣を構えた。

 剣身が膨大な魔素を吸収して光る。

 充分な量を装填した剣先を、ルナートスが前方へとなげうつ。暴力的な光の竜巻がヴリトラめがけて疾走した。

 正面から音波と激突する。

 噛み合って、ヴリトラの口腔から大気に伝わる振動を相殺した。

 音波が止んで、隊員たちが解放感に安堵する。

 ルナートスが剣を掲げた。


「行くぞ、次はヤツの喉を狙え!」


 そうして駆け出そうとする。

 すると。


「……バカな」


 ヴリトラの開けられた口。

 そこから、無数の蛇が雪崩なだれのように漆黒の物体が流れ出た。蛇行しながら、重なりながら、全方位へと拡散する。

 ルナートスが目を凝らす。

 いや、蛇ではない。

 体の側面に足を持っていた。

 これは――ムカデ!


「気色が悪いな……」

「カエル、ムカデ、角……どこまで変わるんだ」


 かしゃかしゃと、輻輳した大群の足音。

 蛇の体に、ムカデの足。

 ヴリトラから無数に生産された異形の蛇が、討伐軍へと走った。

 宮廷魔導師が魔法の砲撃で迎え撃つ。

 炎の弾丸、氷塊の雨、突風が大群を薙ぎ払った。一撃で大量の蛇が肉塊と化す。

 それでも、撃退した数以上がヴリトラの口からは再現なく排出される。

 最初より数も勢いも増していた。次第に、魔法の攻撃を上回ってムカデの波頭が肉薄した。


「何なんだ、コイツら……!?」


 その内、一匹が隊列の中に入り込んだ。

 一体の馬の足に噛みつく。

 いなないて暴れる馬。すると、その体が急速にしぼみ始めた。隆起していた立派な筋肉が、空気を抜いたように小さくなる。

 それに反比例してムカデの体が膨張する。


「血を……水を、吸っているのか?」


 落馬した兵士が唖然とする。

 馬が骨と皮になるまで吸収したムカデは、やがて膨らんだ腹の中から何かを発光させる。至近距離で受けると目がくらむ。

 そして。


「ぎゃああああ―――クパッッ!?」


 ムカデが馬の足から口を離した瞬間、烈風を撒き散らして爆発した。

 隣にいた兵士なども、爆風にあおられて弾き飛ばされる。飛散した肉片が貼り付いた人間にも、同じ現象が起きた。

 隊列の中で爆発が連鎖する。

 被害をまぬがれた者たちも、戦慄で固まった。

 全員の顔から血の気が引いていく。


「これが、三大魔獣のやり方か……」


 ムカデを吐き出すのを止めて、ヴリトラが起き上がる。

 首をもたげ、再び人間を見下ろした。

 さっきとは違う。

 まるで、嘲っているようだった。



 

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