7
バルコニーから戻る最中だった。
深刻な顔で別れたマリアに疑問を抱きつつ、必死に手を捕まえようとするレインに根負けして繋いだ手を優しく引く。
「タガネ、の話?」
「ん? ああ、さっきのか」
子供に聴かせていい話ではなかったとタガネは苦い顔になる。
「気にするな。昔の話だ」
「ん」
「ヴリトラを倒せば、人の居ない場所で優雅に暮らすとするさ」
「人居ない……レインは?」
レインに尋ねられて足が止まる。
ヴリトラを倒したとしても、そもそも生き残れるかという話でもあるが、任務を完遂した暁には大きな報奨を得て、静かに暮らせる場所を探す――ともいかない。
まだレインの問題が残っている。
孤児であり適当に捨てる事が許されない故に慎重に扱わなければならない。
まだまだやる事は戦い以外にも山積みだ。
「おまえはどうしたい?」
「タガネと一緒」
「……一緒か。俺は親にはなれんぞ」
レインはきゅ、と握る手に力を込める。
細やかで縋るような弱々しさを感じる握力にタガネはため息しか出なかった。
弱いくせに、それを振りほどく強さのない自分にもほとほと呆れる。
「レイン、一人寂しい」
「あっそ」
「タガネ、一人寂しそう」
「……俺が?」
「だから、レイン一緒」
レインが胸を張って言い放った内容に、タガネは応える気力が無かった。
ただ、自分の小さな手を握る力が強くなったのにタガネは気付かなかった。
ベルソートの期限、残り一日。
円卓でマリアが挙手した。
「ヴリトラの居場所が判ったわ」
その一言に、ルナートスが立ち上がる。
この十日ほどで王都もかなり荒んでいた。異常気象で離れていった人民を取り戻すには、ヴリトラの打倒が先決である。
このときを待っていたのか。
ルナートスも団長も、武装を調えていた。
ミストも戦支度を済ませた様子である。
ベルソートが目を伏せた。
「うむ。そうか」
マリアが沈痛な面持ちで円卓を睨む。
タガネは、その姿に疑問を覚えていた。ヴリトラの討伐は、彼女に心痛を伴うことなのだろうか。
ベルソートに一枚の紙が渡される。畳んでいて、誰にも内容は見えない。
ベルソートが頷いた。
「手伝って、いただけますか?」
「本当に、いいんじゃな?」
「はい」
ベルソートの視線が翻ってタガネを見据える。
「タガネよ」
「何だい」
「覚悟を決めるのじゃぞ」
「……三大魔獣を相手にするんだ。とうに決まってる」
緩やかに手を振って応える。
そのとき、ベルソートは悲しげに目を伏せた。
円卓は解散となり、体力の消費も考えて今晩に決定された。日に照らされてままの戦闘は、地獄の戦場となる。
甲冑を着込む軍の白兵戦には向かない。
タガネもそれに賛同した。
自室で剣を磨き、夜の決戦に備える。
隣では、レインが不思議そうに作業を眺めていた。
「剣ぴかぴか」
「今晩は一緒に寝ない」
「ん?」
「少し外出する」
「レイン一緒行く」
「だめだ」
タガネは剣を鞘に叩き込む。
固い音が鳴ってレインは反射的に口を閉じる。そのまま頬を膨らませて俯いた。
当初に比べて感情表現も豊かになっている。
もう人の子かと疑う者はいないだろう。
レインの傍に、タガネが屈み込む。
「レイン」
「ん」
「夜の仕事が終わったら、何処かに家を建てて暮らそう」
「家?」
レインがきょとんと途方に暮れた顔になる。
タガネは強く頷いた。
「そうだ」
「一緒寝れる?」
「……かもな」
承諾しかねるわがままにも応える。
タガネは、久しく傍に居ても良いと思える人間を見つけた。手を引いて、定住の地を探す旅も悪くないと思えるまでにレインを認めている。
この子となら剣の道ではなく、人としてやり直せる。
レインの頭に掌を乗せた。
「なら、家暮らす」
「……そうか」
「タガネ早く帰って来る?」
「待っていてくれな」
無邪気な問いに、微笑みを返した。
その晩、軍は東へと出陣した。
先頭に勇者パーティーを据えて、錐形の陣で進行する。タガネも一団の前列に顔を揃えていた。
隣には、馬を駆る剣姫マリアが並ぶ。
この戦場で、一等活躍を期待される二人だ。
六百年振りに三大魔獣との戦が始まる。そうあって、軍隊の空気は凍てつくような緊張感に包まれていた。
タガネは夜空を見上げる。
ずっと軍の頭上を浮遊していたベルソートが消えた。何処に行ったか、夜闇に紛れてしまっている。
タガネは視線を巡らせた。
「あの爺は?」
「落ち着きなさいよバカ」
「おまえさんはガチガチみたいだが」
「なッ……」
マリアの顔が暗くともわかるほど赤くなる。
タガネは飄々と前に向き直った。
「それにしても」
「何よ」
「よく怪物の場所が判ったな」
タガネが何気なく言った。
その言葉に、マリアの顔が暗くなる。
「……アンタが正しかった」
「うん?」
「ヤツは擬態してるの。どうしてそうなったかを考えると悲惨でしかないけど」
タガネは意味が理解できずに眉根を寄せた。
月の無い漆黒の夜空。
その下でマリアの面に差した陰り。不穏な予感しかしない反応だった。
「ねえ、憶えてる?」
「何を」
「レインちゃんが老人から名前を貰ったとき」
「あ、ああ」
どうして、突然レインの名が。
そう訊ねたい声を必死に飲んで記憶を手繰る。
あのとき、レインはたしか……。
『でも、レインくれた、水くれた』
拙い言葉で必死に訴えていた。
タガネとしても、勇者パーティーとしても苦い記憶である。無害な子供を弾圧しようとした、隠したいほどに恥ずべきこと。
マリアが剣の柄を強く握る。
「そう、『レインくれた』と言った」
「ああ」
「アタシは最初、それは『名前をくれた』と解釈していたけど」
「……何を言って――」
「別の捉え方もあるわよ」
マリアが何を言わんとしているか。
それを理解する前に、タガネはマリアの胸ぐらを掴み上げていた。馬上から転落しない程度だが、灰色の瞳は殺意すら湛える。
苦し気な声に、慌てて手を離す。
襟を正したマリアが儚げに笑った。
「今でも、そうでないと願ってる」
「やめろ」
「……わかった」
そこから二人は押し黙った。
蹄が地面を踏み鳴らす音だけが耳をくすぐる。
やがて、軍は平原に出た。
そこで、先頭の勇者パーティーが止まる。
一人ひとりが、全景を眺め回す。禍々しい大蛇の姿は何処か、今にも地殻を突き破って下から現れるのではないかと。
小さく伝播する不安。
先頭のミストが手にした長杖を掲げる。
湾曲した杖先にある緑の宝玉が光った。
「照明します」
ミストが杖を
すると、宝玉に宿っていた光が砲弾のごとく頭上へと
平原の全貌が晒される。
光は消失せず、太陽のように空に固定された。
事前に聞き及んでいたので、それが明日の明け方まで効果が持続する魔法だと軍全体が織り込み済みである。
昼夜が反転する光量に、誰もが感嘆の声を上げた。これならば、闇に惑わされずに戦える
そんな援護で喜びに震える軍。
それに先んじてタガネは、平原を見回す。
ヴリトラの影はない。
だが、前方の平原に立っている人影があった。
「あれは……」
平原の中心に長杖を持つベルソート。
静かに軍の真正面に待ち構えていた。
そして。
「何で……」
タガネは掠れた声を漏らす。
ベルソートの隣――乾いた大地の上に、レインの姿があった。
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