期限は四日。

 もうその半分が削られた頃である。

 まだヴリトラの位置について予想が付く者がいない。ベルソートの解答が用意されているので、期限についての憂慮はない。

 四人はそう考えている。

 ただ、タガネだけは別の危機感があった。

 あのベルソートが、そんな易しい課題で済ませるはずがない。この試練の裏に、大魔法使いが気付かせようとしている落とし穴がある。

 果たして、当日に彼が教えてくれるかさえ疑わしい。

 タガネは物憂く視線をレインに投げる。

 部屋で遊ぶレインが著しい成長を遂げていた。


「タガネ、外出たい」


 発音も覚束なかった声が、滑らかな語調で言葉を紡ぐ。今では外見に伴う共感能力と常識が備わっていた。

 外出を求め、タガネの服を引く。

 目は好奇心に輝いていた。

 舌足らずだったが、言葉を得るなり活発に行動する。王城の中を自由に往き来するが、タガネが傍を離れるのを断固として許さない。

 知識を得た分、以前よりも面倒が増えた。

 その最たる例が言語能力の発達。


「勝手にしろ」

「判った。勝手にタガネ連れてく」

「独りで行け」


 端的に言えば駄々の捏ね方が成長した。

 タガネと離れたくない言い訳の付き方を覚え始めたのである。

 自分の感情を他人に伝えやすくなり、それが言葉を弄して相手を惑わせる術の体得に繋がる。

 そして、人を連れ回す口実や理由をあつらえるまでに至った。

 この王城に来てから、レインは寝る時もと一緒。それが言葉を覚えてから、寝る位置や体勢まで指定する。

 タガネとしては厄介極まりない。


「レイン怒る」

「知らないね」

「レイン拗ねる」

「そうかい」

「レイン独りで寝る」

「喜ばしいな」

「…………タガネ嫌い」

「ありがとよ」


 レインが小さくうずくまる。

 タガネは肩を竦めた。

 膝の上に座る少女は、強情にも諦めない。


「……タガネ」

「うん?」

「レイン、嫌い?」

「……嫌いだな」


 レインの顔が落胆に暗くなった。

 タガネは意地の悪い笑みを浮かべる。


「特に」

「ん?」

「わがまま言うところはな」

「……性悪、ゴクアク」

「おい。誰に教わった、そんな言葉? 」

「青い髪のぴかぴかが言ってた」


 青い髪――マリアである。

 出会えばタガネに面罵しかないマリア。タガネと行動を共にする事で、口汚い部分も学習してしまったらしい。彼女の言葉は教育上、あまり善くない。

 タガネは額を手で押さえた。


「教育って、そもそもどの口が……」


 着実に絆されている。

 この甘さがヴリトラと対峙した戦場で危険を嗅ぎ分け、一瞬の後の死を回避する感覚を鈍らせてしまっていない事をタガネは祈るしかなかった。

 レインの年の頃の子供は、甘え盛り遊び盛りである。

 その矛先が近しいタガネに向くのは当然の結果だった。

 そこで、ふとタガネは思う。

 小さい頃の自分は――と想像し、舌打ちする。


「タガネ、外」

「外は暑いぞ」

「レイン平気」

「俺は嫌だね」

「……タガネ弱い?」

「あ?」


 タガネのこめかみに青筋が浮かぶ。

 レインを肩に担ぎ上げ、三階へと向かった。そのまま王都を見下ろせるバルコニーまで直進する。

 二人で陽向に出た。

 レインを下ろして、バルコニーの塀に凭れて、澄んだ空を振り仰ぐ。

 照りつける太陽に目を眇めた。


「暑い」

「何やってんのよ」


 不意にレインとは別人の声がした。

 タガネが振り向くと、マリアが立っている。


「子守り」

「無様ね」

「やかましい」


 悪態をつくタガネの隣。

 そこにマリアが肩を並べた。

 二人で、バルコニーで陽射しと戯れるレインを静観する。無邪気に駆け回る姿に、二人は普段の険悪な関係性を忘れていた。

 ただぼうと眺める。


「意外よね」

「ああ。騒々しいもんだ」

「レインちゃんじゃないわ」


 タガネが小首を傾げる。

 マリアが微笑んでいた。


「アンタのこと」

「俺……?」


 その時、タガネはマリアの格好に気づいた。

 いつも武装している彼女が、平服の装いで隣に立っている。異常気象で彼女が、あるいは自分が幻覚を見ているのかと不安になった。

 特に、こんな穏やかなマリアは見たことがない。

 憮然とするタガネに、マリアが笑う。


「アタシが初めて会ったとき、アンタは冷たかったし、他人を寄せ付けなかった」

「…………」

「そのアンタが子守、なんてね」

「うるせ」

「自信も何も見せない。そのくせ、アタシにとっての誇りだった剣を真正面から打ち負かしておいて、勝ち誇りもせず淡々としてる」

「そうか?」

「まるで、アタシの剣の情熱が嘲られた気がしたわ。その程度か、って軽んじられてると思ったのよ」


 間違いではない。

 タガネは己の過去を省みる。

 たしかに、当時は傭兵として名が立ち始め、生きる為に必死だったので、剣を学ぶ貴族などが滑稽に思えて、それこそ眼中になくて半ば無視していた。

 今や自分は剣鬼、彼女は剣姫。

 互いに剣の腕で双璧を成すまでに成長した。


「ねえ」

「……」

「どうして、アンタは人を信用しないのよ」


 マリアが正面に回り込んで問う。

 タガネは、またあの真っ直ぐな眼差しを受けて顔を苦々しくさせた。マリアのそれは、沈黙が辛くなる独特の力があった。

 暫しの静寂。

 タガネは躊躇いがちに答えた。


「ある辺境の町の話だが 」

「え?」

「魔獣に襲われた時、町民全員が町を捨てて逃げようとした。だが、魔獣の追走はそれだけじゃ撒けない」

「……一体何の話?」

「大人たちは、子供を囮として町に残した。事情を知らない子供は、突如として襲い来る魔獣から逃げ惑った。いなくなった大人に助けを求めたり、必死に隠れたりして、ただ理不尽に食われた」


 マリアが慄然と、口を両手で覆う。

 語っているときの瞳は、光が無い。

 タガネは滔々と続けた。


「そんな中、短剣を片手に魔獣に対抗したヤツがいた。そいつは運良く並外れた力があって、生き延びた」

「そ、そうなんだ……」

「襲撃が終えて、魔獣が散った後に帰ってきた大人たちは、その子を見て……化け物と言った」

「はあ!?」

「一団の中には、その子の親もいた」

「うそ」


 タガネの顔に色濃い影が差す。


「それから町を追われた。子供は生きる為に別の町に移動した。だが、辺境の噂が広がっていてから、憐憫と畏怖に晒されて、何処も子供を受け入れなかった」

「………」

「騙されて売られたり、好色家に夜這いをかけられそうになったり、時に見世物にされそうになったりと、人の世は世間知らずな子には過酷だった」

「……」

「いつしか、子供は居場所が戦場にしかないと知った。そうして戦って人の悪意に触れていく内に……剣鬼と呼ばれる捻くれ者の完成だな」


 灰色の双眸が炯々と光っていた。

 憎悪、憤怒、絶望……それらが綯い混ぜになって、瞳の奥で情念の炎を滾らせている。

 タガネが拳を強く握った。


「もう他人なんざ信用しない。自分の安寧だけ考えて、独りで生きていく」

「……そう」

「――その、積もりだった」


 タガネが固い拳固を解いた。

 力の抜けた顔でレインを見守る。


「絆されちまってる」

「アンタらしくないわね」

「ふん」


 タガネは鼻で笑った。

 この体たらくを、レインの存在に鉄則を破った醜態を自嘲する。過去の己が見れば、首を斬り落とされているところだった。


「でも、ちょっとだけ見直した」


 マリアが笑顔を咲かせる。

 今日は槍でも降るのだろうか。――そう考えたのを悟られないよう顔を逸らす。

 タガネはその場に腰を下ろす。


「こんな俺と、ヴリトラが共感できるか?」

「共感……」

「俺の求めるモノと、ヴリトラの渇望するモノ」

「それが合致してるってこと?」

「大魔法使い様が言うにはな」


 ベルソートの口振りはそうだった。

 ヴリトラが求める何かが、タガネの欲する物と共通している。だからこそ共感できる。

 タガネ自身にもわからなかった。

 マリアが黙って思索する。

 熟思したところで他人には理解できない。――タガネはそう告げようとした。

 その前に、マリアの顔が上がる。


「……わかったかも」

「何?」

「もしそうなら、納得できる。でも、そんなの……」


 マリアが再び黙る。

 すると、遠くからレインが駆け戻って来た。


「タガネ、抱っこ」

「無理だ」

「できない?」

「あ?」


 レインの軽い挑発。

 タガネはまんまと乗せられ、彼女を両腕に抱え上げた。はしゃいだ小さな体が、首筋に腕を回してくる。

 至近距離でこもる熱気に眉を顰めつつ、タガネはレインが満足するまで付き合った。

 マリアはその様子を見ていた。

 ずっと。


「そんなの」


 ずっと。


「何かの間違いであってよ」


 何かを、必死に否定して。



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