ベルソート・クロノスタシア。

 生ける伝説。

 世にたった一人の大魔法使い。

 時間に干渉する魔法で、三千年前の『魔神戦線』の立役者となった偉人である。歴史でも名が記され、英雄譚の数々が書物として綴られた。

 魔神討滅後は、諸国を漫遊して魔法の研究と探険に興じている。

 出身国は不明、各国からの宮廷魔導師として勧誘されているが、地位、名誉、財産、それらに全く無頓着である。自由人なため、各国に別邸を所持し、実質的に世界で唯一、無国籍でありながら全世界に住民権を有する異例中の異例である。

 そんな伝説そのものが、目の前にいた。


 タガネは会議室に戻っていた。

 再びあの四人と円卓を囲んでいる。

 新たな一員を座に加えて。


「いや、腰が疲れるのう」


 大魔法使いベルソートが呑気に腰を擦る。

 侍女に供された茶を啜って満悦の相だった。

 そんな老人をタガネは怪訝な顔で見る。如何にも英雄、豪傑、神話という威厳とは程遠い人柄と空気の持ち主であった。

 それを隣のマリアに咎められる。


「ちょっと、無礼よ!」

「……」

「そんなに睨まれると照れるわい」


 豊かな口髭の下から嗄れた笑声。

 タガネの顔がますます疑念に曇り、その反応にベルソートが頬を掻く。


「久しく王国に帰れば」


 円卓の面子をぐるりと見回した。


「ヴリトラがいると聞いての」


 移りゆく視線が、やがてタガネに固定される。

 何が琴線に触れたのか。

 広間での言動もしかり、まるで怪物の目に留まってしまったかのような漠然とした危機感にタガネは警戒心を抱かずにはいられなかった。


「ベルソート様」

「何じゃい」

「ヴリトラは何処にいるか、あなたはご存知ですか?」


 ルナートスが卓上に身を乗り出した。

 偉人ならば、膠着状態を脱却する知恵を貸してくれる。その伝説から形成する偏見で編まれた期待を一心に訊ねた。

 すると。


「知っとる」


 呆気ない返答だった。

 誰もが唖然とする。

 少しの沈黙の後、円卓に歓声が湧いた。ヴリトラ討伐のかなめという重責を担い、そんな中で味わった長い暗闇で、遂に光明を得た気分だった。

 これで現状打破が望める。

 誰もが随喜ずいきに震える中、タガネだけは愁眉を開かなかった。

 ルナートスが立ち上がる。


「では、早速その場所を教えて頂き――」

「じゃが、教えられん」

「……え?」


 ベルソートの言葉に一同が耳を疑う。

 情報提供を拒む。

 そう言っていた。

 ルナートスが震えながら席に着く。


「そ、それは何故?」

「見た限り、今回は前例にない複雑な状況じゃ」


 茶を一口啜る。

 ベルソートの目が細められた。


「ワシは、これを観測したい」

「そ、それでは王国が滅んでしまう!」

「天災によって滅ぶなら、それは歴史の必定。数ある不幸の内の一つとし、人類史に教訓として刻まれるだけ。ワシは観測者、傍観しかせんよ」


 その言葉に、タガネが目を伏せた。

 おおよそ、ベルソートの魂胆が読めた。韜晦する真意は、至って単純な解だったのだ。

 ベルソートが呵々と大笑する。


「ヴリトラは天災として分類できる。何せ、魔獣の対応に国境は無いんじゃからな。一個体ではなく、云わば災害に立ち向かうのと同義じゃ」


 ベルソートは淡々と告げた。

 沈黙していたタガネが口を開く。


じいさん」

「何じゃ?」

「この干魃は、本当にヴリトラの仕業か?」

「そうじゃよ」

「……アンタは、ヴリトラをいつ見た?」

「…………」


 ベルソートが、にやりと笑った。

 タガネの背筋に粟肌が立つ。


「疑り深いのは、恐ろしいからか?」


 タガネが黙り込む。

 全員の注視が集中した。

 二人が共有している物がわからない。


「『飢え渇くもの』。ヴリトラは常に何かを求める」

「ヴリトラが求める?」

「存在するだけで干魃を起こす天災が、今は一体何を求めておるんじゃろうな?」


 タガネが背凭れに体を預ける。

 河を涸れさせ、大気を乾かして、大地を焦がしてなおも飽き足らず、ヴリトラは何かを渇望している。その予測が付けば、おのずと正体に辿り着く。

 ベルソートがそう示唆していた。


「……判らない」

「本当にそうかのう?」

「何が言いたい?」

「ヌシならば、誰よりも共感できるはずじゃ」

「……知った風な口を」


 タガネは顔を逸らした。

 ベルソートが杖で卓を叩く。

 すると、卓上の虚空に光の数字が現れた。それは刻々と変化し、減っている。

 全員が瞬時に察した。

 これは――制限時間だと。


「ヌシらに時間をやろう」

「……」

「期限は数字の通り。仮に真相に辿り着けられなければ、可哀想じゃしワシがヴリトラの元まで案内する」


 全員が互いを見合う。

 断る理由がない。

 全員が首を縦に振って了承した。


「では、開始スタートじゃ」


 大魔法使いの余興が始まった。




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