玉座の間での報告を完了した。

 盗賊団の中枢は殲滅したが、残党の危険性も示唆すると国王は大笑していた。

 里に潜伏していた者全員を鏖殺おうさつした冷酷な所業に、相変わらずと笑声を上げられるのは王国で王一人である。

 そばで聞いていた宰相、はたまた集った公爵などは慄然として硬直していた。

 タガネに始終警戒している。


「タガネよ、ご苦労だった」

「傭兵の仕事です。礼は言葉じゃない」

「後で褒賞金は用意させる」


 タガネは報酬の額を想起した。

 懐が潤う量なので、貯蓄と合わせれば何処かに家を建てることすら可能だ。持ち金の多彩になる使途の行方を考え、内心で一人ほくそ笑んでいた。――が。


「……ううむ」


 その前にレインのことが脳裏を過る。

 身許不明の少女の始末が優先であった。何処かに預けるか、或いは……売るか。

 そんなほの暗い勘案に耽っていたタガネに、国王が玉座から下りて傍まで近寄った。一人の傭兵に対し、わざわざ自ら動く国王の行動に貴族が騒めく。

 ぎょっとしてタガネも固まった。


「タガネよ、相談がある」

「依頼ですか?」

「王家の剣術指南官に――」

「ごめんだね」

「……だと思ったわ」


 にべもなく即答した。

 三年前から、タガネには王家専属の剣術指導を担当する指南官として招聘しょうへいする整えがある。それを何度も通知しているが、タガネの一顧だにしないので王も半ば諦め気味だった。

 王家にもへりくだらない。

 誰よりも剣の腕がありながら、それを見込んだ数多くの勧誘も一蹴している。

 さすがは【剣鬼】タガネと、全員が呆れを通り越して感心するのだった。

 変わらない様子に国王も微笑する。


「まあ、それは良い」

「……嫌に素直だな」

「実は、別件で頼みたいことがある」


 タガネの顔が曇る。

 先刻の第一王子を思い出した。


「勇者パーティーも無理です」

「それも違う」

「……?」


 意外な言葉に目を剥いた。

 これまで勧誘してきた各国でも、この王国は特別執拗だった。三年が経った今でも取り下げない、顔を合わせれば引き留めてまで要請していた彼らにしては、些か拍子抜けな引き方である。

 ますます怪しい。

 タガネは疑り深くなって睨む。


「そんな顔をするな」

「傭兵の領分で頼みます」

「うーん……難しいな。タガネだから、という話だ」


 国王が腕を組んで唸る。

 その顔が第一王子によく似ているが、雰囲気が対照的とあって嫌悪を誘わない。穏やかで朗らかな春の陽気をまとったような彼を、タガネも邪険にせず対する。

 やがて、深刻そうに碧眼が伏せられた。


「実は、魔獣退治だ」

魔獣まじゅう退治?」


 タガネも顔に渋面を作る。

 一般的な傭兵の仕事にも、そういった案件は多いが、王家直々の依頼となると、想定される規模や相手の強さも比較になら無い。

 その予想があったからだ。


 魔獣――動植物とは異なる生命系統。

 起源は三千年前、突如として現れて世界を滅ぼさんとした怪物『魔神』の亡骸を、復活を恐れた古代の王たちが各地に分解して葬った。

 しかし、程なくして亡骸の欠片を中心に異空間を内包する『胎窟たいくつ』が生じ、その中から際限なく人を食らう怪物が出現した。

 それこそが魔獣である。

 これに対処する際、世界は国境を取り払って脅威に立ち向かうという、唯一の協定を結んでいた。

 その最たる例が『冒険者』である。

 国籍は関係なく、各地に支店を置いて彼らは魔獣の生態及び『胎窟』の調査と対処を専門としていた。


 魔獣の討伐。

 それはタガネも時折請け負っていた。

 冒険者では手が回らない仕事が傭兵の食い扶持となる事は屡々ある。魔獣の繁殖する夏は特にタガネもそれで生計を助けられている。

 いつもと変わらない仕事。

 しかし、今までと異なるのは依頼主が王家であること。その奥に潜む対象の厄介さ窺い知れた。

 加えて、「タガネだから」という実力の信頼を前提条件とする辺り、よほど討伐の困難な強敵だとは言わずとも判る。

 タガネは国王の目を覗く。


「それで、相手は?」

「この異常気象の原因だ」

「……強そう、だな」

「相手は三大魔獣だからな」


 タガネが面食らって固まった。

 聞き間違いかと再度尋ねるが、国王の返答は変わらない。彼の顔に神妙さが増しただけだった。

 異常気象の原因。

 タガネも王都までの道中、干上がった河や水田を幾つも見てきたので、その被害規模の甚大さは承知している。

 それが三大魔獣の一角。

 そう聞けば、嫌でも納得した。

 三大魔獣は、万の数を超える魔獣の種の中でも、世界に一体しかいないとされる驚異の個体である。

 数百年に一度現れ、討伐すればまた数百年を置いて生まれ変わる。一見、たった一体を倒せば終わりかと思われるが、その魔獣は各国が連動して戦わなければ勝てない破格の難敵。

 昔話や童話にも登場する伝説の化け物だった。

 タガネも唖然として黙り込む。


「相手は『ヴリトラ』だ」

「……本当に三大魔獣かよ」


 ヴリトラ――。

 地方によって『飢え渇くもの』とも呼ばれる。

 川を飲み干し、存在するだけで大気中から水分を奪い続ける大蛇として、民話などに伝承があった。

 まさしく人類の敵。


「それを、俺に倒せと」

「勇者パーティーと協力してくれんか」

「…………」


 タガネは顔を苦々しく歪めた。

 勇者パーティーとは、第一王子が率いる特殊作戦部隊。少数精鋭で、各国でも最強の部隊とさえ嘯かれる異彩際立つ強者たちである。

 彼らは魔獣と戦うのが主だが、戦争にも参戦する。比類なき魔法と剣で、幾多の魔獣や軍を撃退してきた。

 タガネも過去に、勧誘を受けている。

 そして断った結果、第一王子とは顔を会わせる度に剣突くする険悪な間柄になってしまった。

 討伐対象、協力する面子。

 どちらも悪条件だった。


「倒せるとは思えない」

「……三大魔獣の出現は連鎖する」

「てことは――」

「じき、『ケティルノース』も出現する」


 玉座の間が静まり返った。

 ケティルノース。

 古い北の言葉で『星を喚ぶもの』。

 白い獣の姿で、その周囲は常に極光オーロラに照らされ、一つ吼えるだけで大陸を焦土に変貌させた伝説がある。

 最も魔神に近しい魔。

 三大魔獣でも最強だとされる。


「ヴリトラの出現は六百年振り、ケティルノースもそろそろだろう」

「……王子だけじゃ心許ない?」

「相手が強大すぎる」


 国王の沈痛な声が耳朶を打つ。

 三大魔獣の相手は死の覚悟を要する。歴史に存在した大魔法使いでもなければ、伝説の勇者ですらないタガネに太刀打ちできる代物ではないのだ。

 大衆のために命を張る。

 それがどういう意味か。

 タガネは横に首を振った。


「悪いが、俺は死にたくないんでね」

「……」

「期待させて悪かった。でも、俺の手に負える範疇じゃない」

「……」

「世界の存亡だの何だのは、知ったこっちゃない」


 タガネは背を向けて歩き出す。

 途端に、貴族家や宰相から批難や罵倒の声が降り注いだ。騎士でもなければ、勇者パーティーでもない傭兵なので請け負う必要性は皆無なのだ。

 自身の命が第一優先のタガネには譲歩する余地などない。

 そのまま去ろうとして――。


「待ちなさい!」


 玉座の間の扉が盛大に開け放たれた。

 全員の視線が募る。

 タガネも例に漏れず、そちらを見て……げんなりした顔になった。


「やはりか……」

「逃がさないわよ」


 重い空気を切り裂いて。


「この……腰抜け!」


 剣を佩いた少女が怒号を放ちながら迫って来た。


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