侍女長は困り果てていた。

 理由は一つ。

 剣鬼から預かった少女である。

 王家も贔屓にしている相手とあって、無碍にはできなかったが、今考えれば断らなかった後悔が募った。

 仕事があるので、面倒を見きれない。なので、休憩中の同僚に委ねて一時間後に様子見に戻る積もりでいた。

 しかし――。


「侍女長!」

「何事です?」


 一時間もしない内に、一人が駆け込んで来た。

 驚く侍女長は、子供に不祥事が起きたのだと考え、慌てて案内を借りて少女の下へと向かう。もし取り返しのつかない事態なら、剣鬼によって両断されるやもしれない……。

 そんな暗い未来図が浮かぶ。

 侍女長は、少女のいる休憩室に到着した。


「もう助けて下さい侍女長」

「何事ですの」


 努めて平静を装いながら問う。

 疲労困憊といった様子の侍女が、部屋の隅を指差した。示された方向に視線を滑らせると、水の入った桶を抱えてうずくまる少女がいる。

 外傷は無い。顔色も、来たときより幾分か良い。

 何ら問題は無さそうだった。


「どうしたのです?」

「実は……あの、異様に水を求めるんです。何度も持ってくるのが面倒で桶ごと渡したんですが、それすら飲み干して……」

「何度も汲み直させた挙げ句、無言で空の桶を差し出してくるし、大変なんですよ!」


 決河の勢いで流れる文句。

 侍女長は冷静に一つずつ受け止めた。

 頻りに水を求める少女、今も器で掬った分をちびちびと飲んでいる。

 侍女長はふと、その器が薄汚れているのに気付いた。衛生的にも悪い、一見して健康状態が悪い少女に使わせるには不適切な物だ。

 ゆっくり接近し、少女の隣に屈み込んだ。

 替えの器を差し出す。


「器を替えましょう」

「んん」


 少女が首を振った。


「でも、それだと水も汚くなるわ」


 手を差し出して交換を要求する。

 それでも、少女は拒否した。器を庇うように胸に抱く。

 特に外観から高価な物でもない。むしろ旅人が気軽に使う品だった。貴賤の価値など計るまでもないほど粗末である。

 だがしかし、少女は拒絶した。


「強情な子ね」


 困り果てて、ふと侍女長は気付いた。

 この器、もしや剣鬼の所持品では。

 確かめようにも少女の掌中だが、器を庇う態度などからも心情の概ね把握した。


「どうします、侍女長」

「このままでいいわ」

「どうして?」


 侍女長が顔を綻ばせる。


「剣鬼様になついてる様子だわ」

「ええ……あの鬼にですか?」

「美形ですけど、犯罪者予備軍でしょ」

「いや、もう予備軍でも無いな」


 口々に剣鬼の悪印象な部分が上げられる。

 侍女長も、それを強く否めなかった。

 数々の戦場で武功を立て、その分だけ周囲から強い恐怖を抱かれる少年。どんな過去を辿ったのか、全く人を信用していない。

 心の奥底で、人を冷めた目で見ている。

 侍女長は手を叩いて全員を制した。


「この子は私が面倒を見ます。苦労をかけましたね、あなた方はゆっくり休みなさい」


 執事や侍女が、ほっと安堵のため息。

 すると、少女が立ち上がった。

 音もなく立った姿に、全員が思わず沈黙して注視する。さっきと一変して、不機嫌そうな顔だった。

 とてとてと、まだ覚束ない足取りで進んで行く。

 そして。


「え?」


 一人の執事の足を掴んだ。

 突然のことで誰もが戸惑う。

 意図を理解できずに見ていると、捕まれた執事の足から、だんだんと蒸気が立ち始めた。

 異常な現象。

 執事が思わず足で少女を突き飛ばす。

 倒れた少女を無視し、慌ててズボンの裾を捲った。


「な、何だこれッ!?」


 執事がズボンから出した生肌きはだは、枯れた樹皮のごとく黒くなり、骨と筋だけになっていた。


「ぎゃああああ!!」


 執事が驚怖に震え、見ている者も悲鳴を上げた。侍女長も愕然として立ち尽くす。


「ん」


 少女が起き上がる。

 その場の全員が萎縮した。


「あなた、何者なの……?」


 侍女長が震えながら問う。

 しかし。


「ん?」


 少女はただ小首を傾げるだけだった。




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