タガネは悠々と坂を下りた。

 坂道の終端か里の「二段目」と合流している。

 改めて振り返ると、軒を借りた家屋が中々に高い場所にあったのだと知った。鮮やかな緑に彩られた木々の隙間に屋根が覗く。

 ふと、タガネは目を細めた。


「妙だな」


 ぽつりと建つ家屋。

 その屋根の軒木が広く右手に伸びていた。屋敷に見劣りしない長さが続いている。

 訪ねたときは、囲炉裏のある空間しかなかったはずだった。よく考えれば、その屋根は戸口の死角で伸びている。

 篠突しのづく雨に打たれながら森の中を突っ切って、そのまま戸口に直行したから、正面になって気づかなかったのか。


「面妖な家だな」


 タガネは前を向いて歩く。


「それにしても」


 周囲を見渡して、鮮やかな緑の豊かな景観に感嘆する。

 どれも生命力の強い新緑に優るとも劣らぬ色合いでありながら、一色に染まらず陰陽に富んでいた。遠くまで眺めれば、風に揺れる木々の挙動だけで波打つ緑の海のようである。

 昨晩の雨より葉肉の上に落ちて眠る雫がなおもまぶしい。そこかしこで雫が落ちれば、ひらめきとなって目に届く。

 タガネはふ、と口許を緩める。


美事みごとなもんだな」


 タガネは歩を進める。

 坂を下りる足先は、ゆっくりと「二段目」の地を踏んだ。

 里に下りたタガネは、辺りを見回す。

 建ち並ぶ家屋は、支柱の木目が色褪せていた。鮮やかな緑を目の当たりにした後では、幾分かくすんでいると錯覚する。

 盗賊団についての聴き込みをしたい。

 タガネは人を探すべく、里の中を散策した。

 家の密集する「二段目」は、軒の数に比べて静かだった。タガネ自身の呼吸音だけが空気に溶ける。

 人の気配がしない。

 神経を尖らせて探るも、全く人を示す声も物音も、もちろん姿すら見当たらなかった。

 少し足を止めて、直近の家の戸を叩く。


「もし」


 尋ねる声を大きく発した。


「人はおられるだろうか」

「…………」


 返ってくるのは沈黙だけだった。格子の窓ガラスの所為せいで、中の様子は窺い知れない。耳を澄ましても、たしかにわずかな生活音も拾えなかった。

 タガネは肩を竦めて独り唸る。


「やれやれ」


 家の隙間を縫って歩き出す。そのまま傾斜した道を見つけて、その下へと視線を馳せた。

 幾つか屋根が見える「一段目」。

 振り返れば屋敷のある「三段目」。

 タガネは道の中央に立ち止まって黙考する。

 しばし経って、下の方へと向かった。


「ま、概ね見当は付くがね」


 仕方なし、と卑屈に笑った。


 里のふもとに下りる。

 木々の騒めきがよく聞こえる「一段目」には、脚絆きゃはんや外套などの旅の道具を売るたなが並んでいた。数少ない小屋は商店だったのだ。

 店前には人がいる。

 ようやく認めた人の姿に、タガネは細く息を吐く。そそくさと近くの店を覗き込むように接近した。

 店前にタガネが立つと、店番と思しき男が反応する。椅子を置いて、膝に突いた頬杖から持ち上がった顔は倦怠感に満ちていた。

 タガネは揚々と店内を眺める。


「へえ」

「なんだい」

「見るかぎり物が良いな」

「何か買ってくか?」


 男が腰を上げる。


「いや」


 タガネは首を横に振った。


「生憎と備えは充分でね」

「何だよ、期待させやがって」


 男は再び椅子に体を預ける。また顰めっ面になって、頬杖に顎を隠した。

 タガネは周囲一帯を眺め回す。


「もし。一つ尋ねたい」

「あんだい?」

「ここらの警衛する傭兵団は、どこにいるんだい?」

「あー。ヨルシアの旦那たちなら屋敷だ」


 男が顔に寄る虫を手で払う。

 屋敷となれば――「一段目」である。傭兵団の居所はそこなのだろう。

 そして。


「ヨルシア」


 タガネは唯一の人名に耳を立てる。

 男は顎で坂上の方を示した。


「傭兵団のかしらさ」

「へえ」


 タガネは感心したように坂の上を仰ぐ。

 屋敷の影が村を堂々と見下ろしていた。先刻見た姉弟の家の迫力で見劣りするが、なるほど十人ほどならばもてなせる余裕がありそうだ。

 男の目が恍惚と屋敷を映す。


「彼らが来てから、里は安泰だ。屋敷に住む長老たちも気に入ってな」

「全員、屋敷でもてなしてるのか」

「里の英雄みたいなもんだからな」


 タガネは再び、へえと感心する。

 その口許に、また卑屈な笑みを浮かべた。


「そりゃ、大層なもんで」


 タガネは身を翻して別の店に向かう。


「それにしても兄ちゃん」

「ん?」


 タガネは振り返る。

 男は顎を手でさすりながら、まるで値踏みするような眼差しをタガネに注ぐ。主に銀の髪から、その整った目鼻立ちを目でなぞった。

 口許に、笑みが浮かんだ。


「羨ましいね」

「なにが」


 男の目が真っ直ぐタガネを見つめる。


「綺麗な顔だ」


 男はそれから無言になってタガネを眺める。恍惚の忘我ぼうがに浸るような顔で動かない。

 タガネは苦笑する。


「乞われてもやれんよ」


 再び踵を返した。


「顔だけはね」


 男の視線を背に浴びて、別の店を訪ねた。

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