一路平安(3)

 頼貞は泉の近くの木陰に腰を下ろした。それからまともに寝ることもせず頼貞は泉姫が飛び込んだ水面をジッと見続けた。


 泉姫が飛び込んでからどれくらい経ったのでしょうか。まさかあの浦島みたいに歳をとって帰ってくるなんてことはないと思いますが。不安だけが残ります。


 それからしばらくして泉がブクブクと泡立ってくる。


「!」


 頼貞は思わず立ち上がる。程なくして泉姫が仰向け状態で水面から上がってきた。


「泉姫!!!」


 頼貞は泉に飛び込む。泉姫の元まで泳ぐと頼貞は泉姫を抱きかかえ陸に上がった。


「泉姫! しっかりなさい。泉姫!」


 頼貞はゆっくり地面に泉姫の体を横たわらせ、呼びかける。だが泉姫は目を開ける事は無い。


「泉姫!!!」


 そう声を荒げた。その瞬間「大丈夫ですよ」と泉の中から声が響いてくる。


「泉様はお疲れで寝てしまっているだけです」


 そういえば。今景様と別れてからというもの泉姫は一睡もしていませんでしたね。


 頼貞は泉へと体を向ける。


 おそらく先程の声の主が泉姫が言っていたお世話になった方でしょう。


「泉姫が大変お世話になりました」


 頼貞は泉に向かって深くお辞儀をした。それから再び泉姫を抱えて牛車へと戻っていった。




 体が揺れている感覚がして泉姫はぼんやりと目を覚ました。目を覚ましたはいいものの中が薄暗く、辺りがよく見えない。だが独特の揺れ方で、今いる場所が牛車の中だと言う事は分かっていた。


 高桐に歌を詠んで一度部屋に戻って。それから。もしや寝てしまったのでしょうか。


 泉姫は牛車からわずかに顔を覗かせた。馬に乗った父の頼貞が牛車の前にいる。


「父上!!!」


 泉姫が声を張り上げると、頼貞は馬と牛車を止めた。頼貞は馬を下りて泉姫の元へ近づく。


「体調は大丈夫ですか。大変疲れていたようですが」

「はい。私は大丈夫です」


 そう答えた瞬間、泉姫はハッとして頼貞を質問攻めにした。


「私は大丈夫ですが高桐は!? 今景様は!? 私はどのくらい寝ていたんですか。今どこへ向かっているのですか」

「泉姫、落ち着きなさい。今から説明しますので」

「……」


 頼貞は泉姫が泉の中から浮かび上がってきたところからゆっくりと話始めた。


「そこから泉姫は丸一日寝ていましたよ。平 忠常は甲斐の国(現:山梨県)にいるという噂を聞いて今はそこへ向かっているところです」

「甲斐の国!?」


 かなり距離のある場所で思わず目を丸くしてしまう。と同時に泉姫は寝ている場合ではありませんでしたのに……と悔しく思う。


 丸一日寝ていたのにさらに牛車で移動となると今景様に追いつけなくなってしまいます。今景様に追いつくには……。


 泉姫はグッと拳を握りしめて牛車から出た。外はカンカン照りであり、かなり明るい。泉姫の顔立ちがよく分かってしまう明るさだ。

 泉姫は頼貞に真っすぐに向き合う。


「父上。私も馬に乗せて下さい」

「っ! 泉姫。それはなりません。落馬したら危険です」

「父上。私は龍の…………今景様の背に乗って空を飛んだこともあるのです。何を今さら落馬など恐れることがありましょうか」

「そうは言いましても」


 頼貞はしばらく苦い顔をして考え込んだ後「仕方がありませんね」とため息を吐いた。


「泉姫のことも心配ですが。私は今景様のことも心配しているのです。私もなるべく早く今景様に追いつきたいと思っているのです」


 そう言って頼貞は先程まで乗っていた馬をひいてくる。頼貞は馬の頬を優しく撫でると泉姫に優しい目を向けた。


「この馬は私の愛馬です。大人しい性格で人の言うことをよく聞きますし。人の気持ちも組んでくれます」

「……」


 泉姫はマジマジと父の愛馬を見る。青毛で優しい顔をしている。何より目を引いたのは瞳が薄い青色をしていることだ。


 この瞳。今景様を思い出します――。


 泉姫は先程頼貞がしていたように馬の頬を撫でた。そして泉姫は馬の頬に顔を摺り寄せてそっと瞳を閉じる。


 今景様を助けるために。どうか私にも力を貸してくださいね。


 その泉姫の気持ちに答える様に馬はブルルンと小さく嘶いた。


「それでは泉姫。申し訳ないのですが馬に乗せるまで少し我慢して下さいね」


 そう言って頼貞は泉姫の脇の下にグッと手を入れた。驚いた泉姫をよそに頼貞はそのまま体を持ち上げて馬の鞍に乗せる。


 頼貞は泉姫を馬に乗せた後、従者から赤毛の馬をもらった。

 頼貞は赤毛の馬に颯爽と飛び乗ると「それでは甲斐の国へ急いで向かいましょう」と馬の腹を軽く蹴った。

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