一路平安(2)
泉姫は御簾の中に通される。龍が描かれた壁代に隅には厨子棚。厨子棚の上には香や化粧道具が置かれている。中央には御帳。その御帳の中には丈夫で高価な畳がある。
泉姫がこの場所に来て与えられた部屋だった。
高桐は御帳の中の畳に泉姫をゆっくりと座らせる。泉姫は少し強く濡れた瞳を袖で拭ってから目の前の高桐に向かい合った。
「今景様がっ。今景様がっ!」
「泉様。落ち着きましょう。きちんと話を聞きますから」
泉姫は頷いてからゆくりと父と会ったことから話始めた。
「――……なるほど。そういうことだったのですね。今景様を狙っている人物、平 忠常の元へ一人で行ってしまわれた、と」
「はい。私も後を追おうと思います。けれど。その前に。高桐にきちんと挨拶したくて。しばらく会えなくなってしまいますから――」
そう言った泉姫の瞳には先程の涙はどこへやら。強い覚悟が灯っている。
高桐は泉姫のそんな強い瞳を見ていると愛おしさが溢れてくる。
今景様のことはもちろん心配ですが。わざわざ今景様を追うために私に挨拶してくるとは。どうか泉様にも危険な事など起きませんように。
高桐は膝の上で固く結ばれた泉姫の手にそっと自身の手を重ねる。
「高桐……」
「泉様。どうかこれを私の代わりに連れて行ってもらえませんか」
そう言って高桐は泉姫の髪を優しく梳くと、桐の花が特徴的な簪を泉姫の波打った髪に挿した。
「っ! その簪は高桐にとって大切なものではないのですか」
泉姫は高桐がどこで簪を手に入れたのか、この簪にどういう思い入れがあるのか聞いた事は無い。けれども以前、簪の話をした時に自虐めいた笑みを浮かべていたのを強烈に覚えていた。
高桐は静かに首を振る。
「いいのです。どうかこの簪を泉様へ」
泉姫は「そこまで言うのなら……」と挿してある簪を優しく撫でる。
「高桐。ありがとうございます。この簪、大事にしますね」
「ええ。泉様。どうか、どうかご無事で」
「私のことは大丈夫です。父がいますから。それよりも……」
泉姫は少し俯く。頭の中にあるのは今景のことばかり。
今景様。もう平 忠常と会ったのでしょうか。それともまた影に苦しめられて地面に追突なんて……。
そんな泉姫の気持ちを察して高桐は「大丈夫ですよ」と微笑む。
「今景様は龍神ですから。並大抵のことでは傷ついたりしませんよ」
高桐の言葉に泉姫は「そうですよね」と無理に笑ってみせる。
せっかく挨拶にきたのに高桐に心配をかけさせるわけにはいきません。それに私は今景様のことを助けに行くのですから。今から落ち込んでなどいられません。
そうと決まれば……と泉姫は立ち上がった。
「高桐。私、そろそろ行きます」
「……はい。どうかお気をつけて」
瞳に強く光が灯った泉姫に対して、高桐の瞳に少し影が落ちる。それを見て泉姫は高桐の手を強く握り、歌を贈った。
「桐の香を 袖に移して 別るれば 忘ることなき おもひでにせむ」
――――――
【歌解説】
「桐の香を 袖に移して 別るれば 忘ることなき おもひでにせむ」
(訳:桐の花の香りを袖に移して別れたならば、あなたとの記憶は忘れることのない思い出になるでしょう)
(泉姫(自作))
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