一路平安(1)
社から出て頼貞は牛車をよんだ。泉姫はその牛車に乗って移動を始める。時々馬に乗っている頼貞に休憩を入れるか聞かれたが、泉姫は頑として首を縦に振らなかった。
少しでも早く今景様のところへ。そのためには高桐にきちんと挨拶しなければ――。
泉姫はそう思って張り切るものの、実は眠くて仕方が無かった。今景と夜に出かけてからというもの、泉姫は一睡もしていなかったからである。泉姫は眠気が襲ってくる中、気合で目を開く。
そうして眠気に耐えてようやく太陽が上り始めた頃、「着きましたよ」と頼貞から声がかかった。
泉姫は人目を気にせず牛車から跳ぶようにして降りる。
目の前には慣れ親しんだ大きな泉がある。周りの草花は昨日の雨で濡れ、露が太陽の光に当たって輝いていた。
「父上」
泉姫は馬上の頼貞へ真っすぐに視線を向ける。
「父上。私、行ってきます。すぐに戻ってきますから。ですから父上にはここで待っていてほしいのです」
「ああ、ここで待っているよ。泉姫、どうか気をつけて行ってらっしゃい」
頼貞は馬から降りてしっかりと頷く。そして温かい瞳で泉姫を見つめた。
自分の娘がこんなに立派になるとは。なんとも嬉しいものですね。もちろんそれと同じくらい寂しくもありますが。
そんな少し寂しい父の心情など露知らず、泉姫も頼貞に頷いて泉へと目を向ける。泉姫は目を閉じて大きく深呼吸してから、春とはいえまだ冷たい水の中へ跳び込んだ。
冷たい……。けれどもっ。
泉姫は寒さに耐え、水の中で目を開く。龍の姿となった今景に半ば強引に連れられた時は気絶していて分からなかったものの、こうして目を開いてみてみると水の中は透き通っていて日の光と共に水深にある桜の木が見えてくる。桜の木から花びらが舞い上がり、泉姫は桃色に包まれながら泉の中へ降りていく。
なんだか惜しいことをしてしまいました。こんな素敵な光景ならばはじめにここに来た時にしっかりと見ておくべきでした……。
そう過去を悔いていると、いくつもある桜の木の中央に美しい女性が佇んでいるのが見えた。
「高桐!」
泉姫は声を大にして女性の名を呼ぶ。高桐はハッと頭上を見上げたかと思うと、泉姫の姿を確認して手を伸ばした。泉姫も自身の手を伸ばして、高桐の手を取る。そのまま泉姫はそ高桐と熱い抱擁を交わした。
泉姫がわずかに瞳に涙をためているのを見て、高桐は激しく動揺する。
「い、泉様? 一体どうなされたのでっ」
「高桐。今景様がっ」
高桐は泉姫の背を優しく撫でる。
「泉様。どうか落ち着いて下さい。ひとまずは屋敷の中に入りましょう」
そう優しく声をかけると泉姫は袖で涙を拭いながら頷いた。
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