春月(5)
「実は平 忠常を討伐しに行く途中なのです」
「!」
頼貞の言葉に泉姫はヒュウッと喉を鳴らす。
「父上は皇族の護衛をされている帯刀舎人ではないですか。それなのにそんな危ない場所に向かわれるのですか」
「長い間膠着状態が続いているので向かうことになったのです。それに兄の頼光から嫌な噂を聞いたのです」
「噂、でございますか」
泉姫も今景も姿勢を正して頼貞を見る。頼貞は二人を見て頷くとコホンと軽く咳払いをして「噂というのは」と話し始めた。
「平 忠常が大層名の通った陰陽師を雇っているそうで。どうもその陰陽師に天候を操るよう命じているらしいのです」
「「!」」
思わず泉姫と今景は顔を見合わせる。
もしやその天候を操る
頼貞は「二人が考えている通りです」と膝の上に置いた拳をギュッと握りしめる。
「おそらくその陰陽師、いえ。忠常は今景様に操る術をかけているのです」
「それがあの体に纏わりつく影というわけですね」
今景は少し考え込むと真剣な顔で泉姫に向き直った。今景の青い瞳を向けられて泉姫は恥ずかしくなり、あちこちに視線をさ迷わせる。
今景はそんな泉姫から目を逸らすことなく、スッと息を吸った。
「泉姫。私も忠常の元へ向かおうと思います」
「え……」
「忠常が私を狙っているのならいくべきだと思うのです」
「ですが」
泉姫は思わず眉をしかめる。
ただでさえ影に巻き付かれて体調が芳しくないのに。忠常を追うなんて。いくら今景様が龍とはいえ、危険なことです。
泉姫はゴクリと唾を飲みこんで、今景の手にそっと自身の手を重ねる。
「今景様。それでしたら私も一緒についていきます」
先程は歌で影が消えませんでしたが。次に影が来た時は上手くいくかもしれません。何にせよ私がいないよりもいた方がいいに決まっています。
そんな泉姫と対照的に今景は首を振った。
「いえ。泉姫は来てはなりません。それに……私からも離れた方がいいでしょう」
今景は重ねられた泉姫の手をどかすと、泉姫の肩に手を置く。今景の青い瞳には強い覚悟が灯っていた。
「泉姫。私が言えたことではありませんが、お父君と一緒に家に帰られた方がいいかと思います」
「!」
「そもそも私が眠ることができず、泉姫の歌を聞くことが出来ればゆっくりと眠ることが出来ると思い、泉姫に来ていただいたのです。ですからこの影さえ何とか出来るのであれば泉姫は私のことなど気にすることなく……普通の生活をするべきなのです」
今景はそう言いながらわずかに瞳に涙を浮かべてしまう。
短い間でしたが泉姫にはお世話になりました。そしてお世話になったからこそ泉姫には幸せに生きていてほしいのです。例え泉姫の隣に私がいなくても――。
泉姫を心の底から愛おしいと思っているからこそ、泉姫と離れなければなりません。
泉姫も涙を浮かべるものの、今景の提案には頑として頷かなかった。
「私は……。今さらここで引くことなど出来ません。それに今景様と一緒にいたいのです」
そう勇気をだして伝えるものの、今景は泉姫を見ることなく父の頼貞へ視線を移す。
「お父君。ずっと大切な娘様を預かってしまっていて申し訳ありません。私はこれから忠常の元へ行こうと思います。どうか泉姫をお願いいたします」
今景はそう言うと凛と立ち上がり、社から出て行ってしまう。
「今景様!」
泉姫も立ち上がり、今景を引き留めようとするものの――。外に出た今景の体は細長く伸びていき、龍の姿に変わりつつある。
「お待ちください。今景様! 私も、どうか私も一緒にっ」
「連れて行ってください」と言う間もなく、今景は上空をふらふらと飛んで行ってしまった。
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