春月(4)

 泉姫はゆっくりと龍の体を手ぬぐいで拭う。とはいえ、龍の姿となった今景の体は大きくまだ三分の一しか拭けていないが。


「失礼します」


 今景の父、頼貞は神社のやしろ内に入ってくる。


 あの後、頼貞が信頼しているものが数人来て龍の姿となった今景を近くの神社まで運んだ。

 神社は小さく、手入れをしていないのか蔦が絡み荒れているものの、空気が澄んでおり格式高い神がいることが分かる。


 社に入るのは抵抗感があったが今は非常事態だ。それに今景は龍神なのだから同じ神同士で許されるだろう、という強引なこじつけもあった。


 頼貞は水を入れた椀を臥せっている今景の口へと運ぶ。今景の口から細長い牙が顔を覗かせているが、頼貞は臆することなく口に手を突っ込み水を飲ませた。

 今景はゴクゴクと喉を鳴らして水を飲む。水を飲むたびに今景を巻き付けていた黒い影が薄くなっていった。


 今景は「お二人とも、ありがとうございました。だいぶ良くなりました」と掠れた声だったがようやく声を出した。


「今景様! 調子が戻られたようで本当に良かったです」

「泉姫、あなたのおかげです。いろいろとご迷惑をおかけしました」

「いえ、今景様の体調が良くなったのですからそれに勝るものはありません」


 そう言って泉姫は瞳に涙を浮かべる。


 その姿を見て、今景はこれ以上泉姫に迷惑はかけられませんと気力を振り絞り人の姿へと変わった。


 薄茶色の髪、青い鱗の肌、そして青い瞳。どれをとっても異様な容姿であったが、頼貞は泉姫と同様にその姿でさえも美しいと感じてしまう。


 今景は泉姫に支えながらも状態を起こし、頼貞の前に対面する形で座った。


「この度は助けていただき、ありがとうございました。この御恩、どうお返ししていいか」

「それには及びません。大切な娘の頼みですし、相手が雨の恵みをもたらして下さる龍です。どうして助けないという選択など出来るでしょうか」


 そう頼貞は返すも今景は納得できず、眉をしかめる。


「そうは言っても、私は泉姫……。あなたにとっては大切に育てた娘を攫ったようなものです。それなのにお助けいただけるとは」

「今景様。そう言われますと確かにその通りでございます。実際私はあなた様にお会いするまで複雑な感情を抱いておりました。ですが、最後は娘を信じることにしたのです」

「父上……」


 頼貞は泉姫に温かい視線を向けてから、次いで今景を見る。


「泉姫は今景様のことを信頼しているようですから。父である私が一番に娘の泉姫を信じなければなりません」


「それに」と頼貞が口を開いたところでふふ、と吹き出した。


「「?」」


 泉姫と今景は吹き出した頼貞を不思議そうに見つめる。頼貞は「すみません」と苦笑いしてから言葉を続ける。


「泉姫はその容貌から男性にあまり心を開くことができなかったものですから。今、そうして今景様と寄り添っているのがなんだか感慨深いのですよ」

「「!」」


 その言葉に泉姫と今景は一瞬見つめ合い、お互いにバッと距離をとる。


「ももも、申し訳ございません」


 泉姫が顔を赤くしながら頭を下げると「いえ、こちらこそ」とどこか歯切れの悪い返事がきた。


 泉姫の父親の前でこのような醜態を晒してしまうとは……。なんとも恥ずかしい事です。もう少し頼りがいのある姿を泉姫にも、そして父親にもお見せしたかったのですが。


 今景が瞳を伏せていると「そういえば」と泉姫は口を開いた。


「父上は何故あのような場所にいたのですか」


 頼貞がいた場所は家の近くでも、都の近くでもない。泉姫はそのことが気にかかっていた。


「!」


 泉姫の疑問を聞いて、頼貞は目を見開いてパシッと膝を打つ。


「そうでした。大切な話があるのです。泉姫、そして今景様――。どうか今から話すことを心して聞いて下さい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る