祈雨(3)
泉姫はしばらく空に波紋が立つ不思議な現象を声もなく見ていた。だがその光景は長く続かない。
――空から急に黒い物体が落ちてきた。いや、龍だ。龍が空から急降下してくる。龍は速度を落とすことなく降下していき、地面に追突した。
「「今景様!!!」」
泉姫と高桐は一斉に龍に駆け寄る。龍は瞳を閉じたまま呻き声を上げている。何より目を引いたのは体に影が巻き付いていたことだ。
「どうして。あの影はもういなくなったと思いましたのに」
泉姫が龍の鱗に触れようとすると高桐に「いけません」と止められた。
「あの影は今のところ今景様についていますが。この先、泉様に纏わりつくとも限りません」
そう言って高桐は「今景様、聞こえますか」と龍の体を軽く叩く。
「このままでは床に運ぶことが出来ません。どうか人の体に化けて下さい」
そう言うとわずかに龍は瞼を上げた。青い瞳が見えたと思ったら一瞬で龍は人の体に変わる。人の体に変わった今景を高桐は背負った。その姿を見て泉姫は「高桐は大丈夫なのですか」と声をかける。
「先程はあまり触れるのはよくないと言う話だったので」
「私は大丈夫なのです。私は今景様から出来た分身のようなものですから」
高桐は今景を背負って鳥居を抜ける。泉姫は扇で顔を隠しながら高桐の後を早足で着いていく。
「ひとまずは泉様のお部屋をお借りしていいでしょうか。ここからでは泉様の部屋が一番近いのです」
泉姫が頷いたのを確認すると高桐は歩く速度を上げる。やがて泉姫が元いた御簾に入ると、ゆっくりと今景を寝かせた。今景の体はまだ影に巻き付かれている。
泉姫は今景が寝そべった横に座る。
「今景様……」
そう呼びかけると今景の美しい青い瞳が泉姫を捉える。
「泉姫には迷惑をかけてばかりいますね。かっこいい姿をお見せしたかったのに、こんなことになって申し訳ありません」
「いえ」
泉姫は首を振ることしか出来ない。そこに高桐が「また歌を詠んで下されば影が離れるかもしれません」と泉姫の隣に腰かける。
突然にそのようなことを言われて泉姫は視線をさ迷わせた。
「前は上手くいきましたけど。正直今も上手くいくとは思いません」
すると今景は「分かっています。私も泉姫に無理をさせるつもりはないのです。泉姫がいてくださるだけで私は十分癒されていますから」と答える。
今景は笑顔を浮かべるが、肩で息をしており呼吸が苦しそうである。どう考えても無理をしている。
私がここに来たのは雨を降らせるためです。その雨を今景様しか降らせることが出来ないのであれば、私が歌を詠むしかありません。それに。こんな私に優しい言葉をかけて下さる今景様をお助けしたい。
泉姫はそっと瞼を閉じて今日あった出来事を思い出した。
桜が強く香って上空に波紋がいくつも広がる幻想的な世界でした。きっと私はこの景色を一生忘れることなど無いのでしょう。そして今景様との出会いも。これからの私にとって素敵な出会いになっていくのだと分かります。だからこそ。歌に願いを込めて――。
泉姫は目を閉じたまま顔を上げ、一気に息を吸った。
「花かおる 雨降る水面 眺めこふ 君の煩うことなかれ」
――――――――――
【歌解説】
花かおる 雨降る水面 眺めこふ 君の煩うことなかれ
(訳:桜の匂いがしていて雨が降っている日に水面を眺めて、恋しいあなたに願いを乞います。あなたが困ることが無いようにと)
(泉姫(自作))
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます