祈雨(1)

「泉姫。泉姫」


 どこからか泉姫を呼ぶ声が聞こえる。中世的な声だ。


「私の愛しい泉姫。どうか起きてください」

「……?」


 泉姫は聞きなれない声にゆっくりと目を覚ます。と、目の前に今景の顔が見える。


「!」


 泉姫はいつの間にか寝ていたらしい。しかも今景に腕枕される形で寝ていた。泉姫がゆっくりと体を起こすと高桐が持ってきた衾がはらりと落ちた。

 泉姫は瞬きを繰り返し寝ぼけた頭を覚醒させていた。それを見て今景は寝ぼけている泉姫も可愛らしいと思い、後ろから腕を回す。


「! 今景様!? どうなされたのですか」

「あなたのことが愛おしくてたまらないのです」


 今景の美しい青い瞳に見つめられ、泉姫は思わず視線を逸らしてしまう。


「き、今景様。私、顔を洗いたいのです。それにこの服に着替えてから香をつけていませんから、きっと臭うはずでしょう」


 泉姫はそれっぽい理由をつけて今景から離れる。だが今景は「そのようなことはありませんよ」と泉姫の髪を撫でる。


「とはいえ、女性の身だしなみは男性より大事だと言いますからね。高桐を呼んできましょう。それにせっかくですから泉姫にも儀式を見ていただきたいものです」

「儀式、ですか」

「ええ。雨を降らせる儀式です。せっかく泉姫のおかげで体調が戻ったのですから、私も務めを果たさなければなりません」


 そう言って今景は御簾から出ていく。それと入れ違いになるように高桐が入ってきた。真っすぐで艶々とした黒髪が今日は一段と磨きがかかっている。


「泉様。おはようございます。よく眠れたようですね」

「……」


 今景だけでなく高桐にも寝顔を見られていたと泉姫は今更ながら恥ずかしくなる。


「それではお疲れかと思いますが儀式用の着替えを致しましょう」


 そう言ってどこからともなく高桐は着物を何枚も取り出した。


「今の流行は十二単じゅうにひとえだと聞いております。明るい色合いも泉様は似合うと思うのですが、今回は今景様と並ぶことも考え落ち着いた色合いにしてみました」と高桐は紫の袴を泉姫に差し出す。泉姫が袴を着ると次から次へと着物が差し出された。泉姫は高桐に言われるがまま着物を何枚も重ねていく。


 やがて高桐は泉姫を見て満足そうに頷いた。


「ああ。やはり私の目に間違いはありませんでした。とても美しくていらっしゃいます」


 紫の袴に淡い黄色、橙、薄緑、濃い渋めの緑と重ね合わせてある。(腰に当てて結ぎ、後ろに垂らして引く布)に龍の模様が入っているのが泉姫はとても気に入った。

 けれども。


「本当に似合っているのでしょうか」


 今まで容姿を褒められたことがない泉姫は素直に言葉を受け取ることが出来ない。


「そんなことはありませんよ。きっと。いえ、必ず。今景様も同じようにおっしゃるはずです。さあ、それでは儀式の場まで参りましょう」


 高桐に手を取られる。その高桐の行動に泉姫はギョッとして思わず手を引く。


「どうかされましたか」

「このまま外に出るのは抵抗があります。どうか顔を隠すものを下さい」

「ああ、そういえば今はそうでしたね」


 高桐はグッと泉姫に顔を近付ける。泉姫が目をパチクリとさせていると「泉様は御顔立ちも美しいですから堂々とみせてしまえばいいのに。勿体無いことですね」と言いつつ、これまたどこからともなく水色の扇を取り出した。

 泉姫は「ありがとうございます」とおずおずと扇を受け取って顔を隠す。


 その様子を見て高桐は心の底から勿体無いと思う。


 泉様はこの国では醜女なのかもしれませんが、海を越えた国では美人と言われる容姿でしょうね。今は顔を隠すのが常識だそうですが、この美しい顔を見られないのが残念です。


 高桐はほんの少し肩を落としながら「それでは今度こそ儀式の場まで参りましょうか」と泉姫に向かって手を差し出した。

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