戦争編

第三十一話 ジオグリフが故郷でやらかしたこととロータス愚連隊誕生秘話

 幼少期のルドグリフ・トライアードは生まれながらの敗北者だと絶望していた。


 レオネスタ帝国トライアード辺境伯の次男としてこの世に生を受けた彼に求められた役割は、長男のスペアであったからだ。とは言っても、これはトライアードが特殊な事例ではない。家を存続させることを第一とする封建社会では極普通のことで、早々に疑問を持ってしまったルドグリフの方が特殊な個体だったと言えよう。


 兄であるミドグリフは当代トライアード家にとって初めての子供、それも嫡男ということもあって幼い頃から過密とも言える教育を叩き込まれ、そしてそれに応えるだけの才覚を示した。


 一方で、ルドグリフも教育こそされたものの常に優秀な兄と比べられて、それなりの才覚を示してはいたがどうしても先を行く兄よりも優れた面を見せられず周囲を、そして自らも落胆させていた。


 そんな中、トライアード家に三人目の子供が生まれる。そろそろ政略結婚可能な女児をと周囲から望まれていた中、生まれたのは男児であった。しかしこれがとんでもない麒麟児であった。


 ジオグリフである。


 幼児期からありえない程の魔力量を保持しており、それが日に日に爆速で増大していくという異常事態。ハイハイが出来る頃になると自ら書庫に赴いては魔導書を読み漁り、たどたどしく言葉を喋りだす頃には初級魔法を使い始めた。間違いなく後世に名を残す魔導師になると踏んだ父、ラドグリフは隠居した宮廷魔導師やら在野の有名な魔導師を集めては家庭教師として雇った。だが、彼等は程なくしてトライアード家を去っていく。


 曰く、『教えることなど何もない。彼は既に自分で魔導を極め始めている―――まるで魔法の申し子だ』。


 魔法を感覚で扱う者もいるが、段階を踏んで大成するのは理論的に魔法式を組んでいくリアリストだ。故に、彼等にとってジオグリフの存在はその才覚に嫉妬にこそ値するが、幼児であることは色眼鏡にならない。


 ある種のお墨付きを与えられたことによって、ジオグリフは自由に魔法を極めるための環境を手に入れた。


 それから4年程経った頃―――ルドグリフは腐っていた。


 さもありなん。優秀な兄と天才児な弟に挟まれ、兄のスペアという役割ですら弟がいれば問題ないのだ。自分の存在価値がまるごとなくなって、当時8歳だった彼が耐えられるはずもない。下々を見下し、乱暴狼藉を行う物語に出てくるような悪い貴族の見本となっていたのも無理からぬ話であった。


 無論、両親も含め周囲も説教したり諭したりと手を尽くしたが―――率直に言って悪手である。


 自己肯定感が足りない人間に、お前は自己肯定感が足りないから高めろと告げてもネガティブ人間が素直に頷くわけがない。そんなのは、挫折や自己否定をさわりだけしかしたことがない人間の妄言だし、それで立ち直るならまだ手遅れに至っていない。どん底まで自己否定をした真のネガティブ人間は、自責にしろ他責にしろ基礎部分まで螺子曲がってしまっているのだ。地面から生えた鉄骨を見えるところだけ叩いて直した所で、基礎がひん曲がっていては見た目だけの解決で、地震などの問題が起こればすぐに倒壊する。酷い時には、他人さえも巻き込んで。


 5歳になって「そろそろ手を打たないとお家騒動コースだな」と危機感を覚えていたジオグリフは前世の経験からそれを知っていた。だから、ルドグリフが癇癪起こして暴れている場面に遭遇した時、介入を決めた。


 方法は単純。一方的にボコしたのだ。魔力で強化した体で殴って蹴って髪の毛掴んで引きずり倒してと、やっていることは完全に幼児虐待である。ただし、やっている側も幼児なので周囲も坊っちゃん同士の喧嘩に介入できずにいた。いや、体を張って介入すべきなのだが、ジオグリフが感情を一切見せず、何が悪いのか一々指摘しながら淡々とボコしていくので冷静なのか怒っているのか判断がつかなかったのだ。もはや教育を通り越して狂育である。


 大の字になって気を失ったルドグリフに、ジオグリフは水魔法をぶつけて叩き起こし、開口一番にこう言った。


「ルド兄様には仲間が必要ですね」

「仲間、だぁ………?」

「ええ。部下だけど、魂の義兄弟のような―――そんな仲間です」


 ボコボコにされ半泣きになりながらも、しかし逃げ去ることだけはしなかった兄に弟は悪辣な笑みを見せる。


「行きますよ兄様。悔しさを堪えて蹴り上げた石ころは―――跳ね返ればダイヤモンドにもなるってところを見せてあげます」


 SFオタがとあるアニメOPの歌詞を引用して兄を助け起こし、その手を取って城下町へと足を向けた。流石に我に返った家臣たちが静止しようとするが、ジオグリフは風魔法を駆使して弾き飛ばし、兄の首根っこを掴んで逃走。「後で怒られるぞ!」と叫ぶルドグリフに、弟は「兄様がひねくれた原因は父様達ですから、怒る資格なんぞありません。何か言ってきたら逆に説教して理詰めしますから安心して下さい」とゲラゲラ笑う。


 そして街のスラム―――その酒場へと繰り出して、「たのもー!」と扉を蹴破って侵入した。


 深酒が祟ったのか、それともそのまま宴会でも続行していたのか、薄暗い店内には朝っぱらだと言うのに未だに客がいて、しかもその全てがゴロツキのような見た目の連中だった。そんな連中が一斉に胡乱げな視線を向けるものだから、まだ8歳のルドグリフが「ひぅっ!」と身を竦めてもおかしな話ではなかった。


 だが、そんな彼より年下なジオグリフは兄を引きずったまま店内を進み、お立ち台に丁度良さげなテーブルを見つけると飛び乗って声を張り上げる。


「諸君。諸君。諸君。聞いているかね諸君」


 こほん、と咳払い一つして


「そう、諸君だ。こんな朝っぱらから酒場で飲んだくれているロクデナシ共。仕事がない。それを熟す腕もない。腕を身につける根性もない」


 唐突に一席ぶち始めた5歳児に集まった注目が熱を帯び始める。


「やる気がない。将来もない。だから生産性もない。生み出すものはケツからひり出すのと同じ、文字通りの糞ども。まるでウ◯コ製造機だな」


 危険な熱だ。突然治安の悪い場所の酒場に現れてその場にいる不特定多数を罵倒をし始めているのだ。ジオグリフの後ろにいるルドグリフなど周囲の青筋浮かべたゴロツキ連中を見て顔を青くしている。


 しかしジオグリフは容赦なく拳を掲げ―――。


「敢えて言おう。―――カスであると!」


 喧嘩を売った。それが言いたかっただけかも知れない。


『テメェこのガキ!』


 弾かれたようにゴロツキ達がジオグリフに殺到し、しかし彼は先頭の男にドロップキックを一発見舞って兄に叫ぶ。


「行きますよ兄様!今こそ隠れてこそこそ鍛えていた筋肉の使い所です!」

「は?おいちょっと待て!何でお前が俺の秘密特訓を知ってるんだ!?」


 意外と努力家であることを知られ、あたふたするルドグリフに、ジオグリフはゲラゲラ笑って言葉を続ける。


「良いですか!?合言葉は―――ぶっ倒れるまでインファイト!!」

「ど、どうなっても知らねぇからな!?」


 スラムの酒場を舞台に、大乱闘が始まった。




 ●




 結局、大乱闘は騒ぎを聞きつけて集まった警備隊によって鎮圧された。


 その中に最上位者の子息二人がいて警備隊長は元より大乱闘を繰り広げたゴロツキ達も顔面蒼白になったが、ジオグリフが「取り敢えず今日は牢屋に突っ込んどいて。明日回収に来るから」と華麗にスルー。ルドグリフを引きずるようにして自宅である城へと帰城。


 当然、帰ってみれば報告を聞いたラドグリフが眉と髪の毛を逆立てて激怒していたが、そこで宣言通りジオグリフが説教を開始。「ルド兄様が荒れてたのは父様たちのせいなんですよ?」と始まって「頑張れって何を頑張れっていうのです?ふわっとしただけの応援とか言われる方は方向性が分からなくなってドツボにはまるだけなんですけど」とか「自分の功績を誇るのは良いですけど、やらかしたことも教えてあげないと人間味がなくなって父様の虚像にルド兄様が押しつぶされますよ?」とか「他の貴族の気持ちは読み取るのに、自分の息子の気持ちは読み取れないんですか?なら、その貴族たちと家族になったらどうです?」とか「得意不得意を見極めてあげるのも親の役割でしょう?ミド兄様の複製品じゃないんですよ?ルド兄様は」とか時にチクチク、時にグサグサと言葉の千本ノックを行うものだから周囲の家臣たちも流石にそろそろと止めに入るが、「黙れ。今しているのは家族の話だ。それとも、お前も家族にしてやろうか?」と魔法をぶっ放して一蹴。最終的には「はい………はい………すんません………駄目な親ですんません………」と現当主を追い込んで有耶無耶にした。尚、あまりに心に傷を負ったラドグリフはこの後2日程政務が不可能なほどにまで落ち込んだという。


「何でこうなった………」

「どうもこうもありません。兄様の為なんですよ?」

「いや、そうなのは分かってるが………」


 翌朝、留置所にブチ込んだゴロツキ達を回収しに行く騎士団を頭を抱えて見送るルドグリフに、ジオグリフは続ける。


「言うならば彼等はこれから作る兄様の親衛隊です。既に士分の騎士はルド兄様ではなくミド兄様に付いてますから。当然ですね、次期当主ですもの」

「なら、自分で見つけて作る必要がある―――てのはさっきも聞いた。だが、使えるのか?平民しかいないんだぜ?しかもゴロツキ………」

「兄様。決闘ではなく戦争で一番重要な兵種は何だと思います?」

「そりゃ騎士だろ?後は魔導師とか」

「不正解。決闘ではなく、と言ったじゃないですか。戦争で一番重要で必要なのは―――荷駄を任せられる足軽なんですよ」

「アシガル?」

「歩兵ですね」

「えー?歩兵?」


 一番下っ端じゃん、と渋るルドグリフにジオグリフはケラケラ笑った。兵站の重要性を理解していない子供が、歩兵の重要性を理解は出来まいと。まぁ、これから訪れる苦難を前に不満など言っていられなくなるから今は言わせておけと。


「まぁ、見てて下さい。父様にお願いして騎士の一人に教官役の協力を取り付けました。このように鍛えてくれと注文も付けました。だから安心して―――訓練を受けて下さいね?」

「は?」


 そしてルドグリフは、地獄を経験することになる。




 ●




 ルドグリフにとって―――いや、ゴロツキ達にとってもその出会いは強烈であった。


「訓練教官のガーデルマン・アーメイ副騎士団長である!話し掛けられた時以外口を開くな!口でクソたれる前と後に“サー”と言え!分かったか!?ウジ虫ども!」


 およそ8歳児が経験するべきではない地獄の訓練。


「貴様ら雌豚が俺の訓練に生き残れたら各人が戦士となる。戦争に祈りをささげる死の司祭だ。その日まではウジ虫だ!この世界で最下等の生命体だ!貴様らは人間ではない!両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!」


 貴族の子息として浴びせられたことのない罵詈雑言の数々。


「貴様らは厳しい俺を嫌う。だが憎めばそれだけ学ぶ。俺は厳しいが公平だ。人種差別は許さん。人間、獣人、亜人、魔族すら俺は見下さん。全て平等に価値がない!俺の使命は役立たずを刈り取ることだ!愛する騎士団の害虫を!分かったかウジ虫!」


 歩く、走る、登る、降りるをひたすら繰り返す毎日。


「じっくり可愛がってやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる!さっさと立て!」


 魔力の使用は許可されていたので身体的にはギリギリ追いついたが、それでも何度も倒れ、その度に容赦なく立たされる。


「パパの精液がシーツのシミになり、ママの割れ目に残ったカスがお前だ!どこの穴で育った!?」


 矢を外せば、罵倒が飛んできて。


「じじいのファックの方がまだ気合いが入ってる!」


 剣を振れば、雑言が叩きつけられる。


「豚娘共は騎士団を愛しているか?」

『生涯忠誠!命懸けて!闘魂!闘魂!闘魂!』

「草を育てるものは?」

『熱き血だ!血だ!血だ!』

「俺達の商売は何だ、お嬢様方?」

『殺しだ!殺しだ!殺しだ!』

「愚連隊の合言葉は!?」

『ぶっ倒れるまでインファイト!』


 ゴロツキ達に混じって、ルドグリフは走る。泥をすすり、血と汗を流し、10カウント数える前に立ち上がる。汚い言葉で歌を歌い、ゴロツキ達と共に。


 最早、こんな極限状況で出自など関係がなかった。同じ飯を食い、同じ訓練を受け、同じ罵詈雑言で詰られ―――彼等は同じ心を共にする仲間になっていく。


 そんな地獄の8週間を超えて―――。


「本日をもって貴様らはウジ虫を卒業する!本日から貴様らは第四騎士団、特殊編制群、ロータス愚連隊の一員である。貴様らは兄弟の絆で結ばれる。くたばるその日までどこにいようと愚連隊員は貴様らの兄弟だ。多くは戦地へ向かう。ある者は二度と戻らないこともあるだろう。だが肝に銘じておけ。兵士は死ぬ。死ぬために我々は存在する。だが兵士は永遠である。つまり―――貴様らも永遠である!」


 元ゴロツキ達は泣いて皆で抱き合った。当然、その中にはルドグリフも混ざっていた。


 異世界海兵隊式人格改造は、この世界でも有用であった。




 ●




 それから十年後、ルドグリフはロータス愚連隊の隊長となっていた。


 18歳になった彼の身長は大きく伸び、そろそろ190に届こうとしている。筋肉もよくついており、偉丈夫と呼んでも差し支えがない恵体。そして貴族としての血筋の成果だろう。顔も整っているので女性からの人気も高い。兄のミドグリフが結婚したので、そろそろとルドグリフも婚約した。実は相手はあの地獄の訓練を行ったガーデルマンの孫娘であったりする。


 15の成人時に隊長として就任し、最近では指揮を過不足なく行えるようになって貫禄も出てきた。失敗しても慌てず冷静に捌けるほどの余裕もあるし、同じ訓練を受けたロータス愚連隊故にその身に受ける忠誠も高い。文字通り手足となって動いてくれる愚連隊をルドグリフも心底信頼していた。


 そんな充実した毎日の朝のことである。


「団長。どちらへ?」

「ああ、ミド兄貴のところへ。朝、地竜の素材が送られてきただろ?可能ならウチにも回してもらおうと思ってな」


 朝礼もそこそこに席を外そうとするルドグリフに、副団長のリードリヒが尋ねた。ロータス愚連隊一期生にして、スラムの酒場でジオグリフからドロップキックを食らっていの一番に脱落した男だ。当時はまだ少年のあどけなさが残っていたが、今では体中を傷だらけにして歴戦の猛者の風格を纏っていた。


「ジオ坊っちゃんの成果らしいですね。元気なようで何よりです」

「元気………いやまぁ、元気なんだろうが………」


 さっそく他所様の領地でもやらかしてんなアイツ、と遠い目をするルドグリフである。しかし、リードリヒや他の一期生はそうでないようで。


「あの日、団長とジオ坊っちゃんに出会わなければ今も我々は酒場で飲んだくれていたでしょう。感謝しているのです。だから貴方がたが元気なのは喜ばしいことですよ」

「お、おう」

「では、我々はいつものように訓練に励んでおきます。総員、行進開始!」

「これが我が剣、こっちは我が大槍」

『これが我が剣、こっちは我が大槍』


 抜いた剣を肩に担ぎ、空いた手で自らの股間を掴み歌いながら行進を始めるロータス愚連隊に、ルドグリフはふと思う。


「果たしてコレで良かったんだろうか………」


 兄様の不貞腐れた性格が矯正できたから良いんですよ、とSFオタのゲラゲラ笑いが聞こえた気がした。

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