第十三話 シリアスさんとかいう前フリ
フェレスク大森林の西方、ニヤカンド山の麓には巨人の通り道と呼ばれる大峡谷がある。その中間地点、丁度鼠返しのような構造の窪みに、いくつかの建造物があった。
というのもここは元は山越えルートの要衝で、獣人の里へと続く道の中継地点として今も機能していることから、ある程度の拠点としての備えや要員も詰めていた。本来は精々十数人の許容値に、今は二百人に迫る人間がテントを広げたりしてさながら難民キャンプの様相を呈している。
いや、まさしく難民そのものだ。彼らは、帝国の開拓村の住人なのだから。
着の身着のままでこそ無かったが、荷物は最小限、そしてある襲撃者達の追撃を躱しながらの逃避行。その際に失った人員も、怪我した人間もいる。皆が皆憔悴しており、いつ終わるかもわからないこの絶望的な状況に気力だけで抗っていた。発狂しないだけ不思議なぐらいだ。
その理由の1つが、ここにあった。
「ありがとう、ラティア殿………」
「気にすること無いわ。今はもう少し眠ってなさい」
「ああ………この恩は、いずれ必ず………」
難民キャンプ、そのテントの一角で治療に勤しむ旅装姿の女性がいた。長い金髪に碧眼、それが人間であれば誰もが一目を置く美しい容姿―――そして一番の特徴は、彼女の耳が穂先の様に長いこと。俗に、エルフと呼称される種族の女性だ。
ラティア・ファ・スウィン。
フェレスク大森林の奥地に住まうエルフ族の出で、一族の要請を受けて開拓村に出向していた女性だ。彼女も例に漏れず襲撃者達から這々の体で難民たちと逃げ出し、今はここで魔法を使った治療師として活動している。
(―――今日で一週間か………)
胸中で吐息して、窪みの外に視線をやる。
夜空の黒を彩るようにして、淡い虹のような壁が外界を遮断していた。結界魔法による障壁だ。それを窪みの蓋のように運用してラティアを含めた難民を閉じ込めていた。無論、彼等とて好き好んで閉じ込められているわけではない。
壁の先に、件の襲撃者達―――竜の群れがいた。
比喩でも揶揄でもない。翼こそ持っていない地竜種だが、体高4メートル、全長7メートルに迫る最強種の一角が群れをなして障壁の前を陣取っている。結界に阻まれているために動きこそ見せないが、今もじっとこちらの様子を伺っている。
およそ一週間前のことだ。
開拓村周辺の森に突如として地竜の群れが出現した。最初に発見したのは木々の間伐を指導していたラティア率いる外回り組だ。木々をなぎ倒すようにして暴れ狂う地竜達に、ラティアはそのまま人員を率いて村へと知らせに走った。折よく帝国軍輸送隊が来ていたので、方針を話し合っていると地竜の群れが開拓村へと迫っていると報告が入る。
不思議なことは山程ある。そもそもフェレスク大森林に地竜は生息していないのだ。彼等が好むのは草原で、はぐれならいざしらず何故あれ程の数がいるのか、そして何故あれ程暴れ狂っているのか―――不明な点はいくつも散見されるが、理由を探っている時間は残されていなかった。
結局、帝国軍輸送隊を殿に開拓村を放棄。最も近い獣人の里へと身を寄せるべく村人達は移動を始めて、しかし地竜の行進に追いつかれる。その際に逃げ込んだのがこの拠点だ。
そして唯一の出入り口である部分を、結界魔法の使い手である狐獣人が封じた。
「………どう?カズハ」
ラティアは結界の中心部のテントに顔を出すと、その中にいた人物へと声を掛ける。
狐獣人の少女だ。長い薄橙色の髪を先で結い、身に纏っているのは神職のもの。ラティアには馴染みがないが、それが女神官―――巫女服を示すというのは知っている。人としての相違は大きな耳が頭から生えていることと、同じ様に大きな尻尾が生えていることぐらいだ。正座している彼女の膝には、同じ狐人族の少女が横になって寝ていた。
カズハ、と呼ばれた彼女は小さく首を横に振った。
「申し訳ありません。明日の朝には、もう………」
「そう………。いいえ、貴方達は十分頑張ったわ。まさか一週間も耐えるだなんて思わなかったもの」
お世辞でもなく本心だ。そもそも地竜を相手にする場合、例え1匹でも白銀等級の冒険者パーティーが複数は必要になる。それが逃走時にざっとラティアが確認した時には40近くいたのだ。並の軍隊なら師団規模を持ってこなければどうにもならないほどの、最早厄災である。
そんな中、少ない被害でここに逃げ込み、籠城戦へと移行できたのは僥倖とも言えた。食料の関係はどうにか切り詰めるにしても、保って数日と考えていたが、この狐獣人の姉妹が有能だったのもあって今日まで持ちこたえたのだ。
「すまない………我々が不甲斐なかったばかりに」
テントの片隅に身を横たえていた騎士姿の男性が、声を絞り出すようにして口を開いた。
輸送隊の隊長であるガステン・リーバーだ。壮年の男で、尖った口髭が印象的な人物だ。ここまでひたすら殿を務め続け、部下を失い、自身も重症になりながらも可能な限り避難民達を守り続けた。ラティアという優秀な回復魔法の使い手がいたからこそ生き長らえたが、もしもいなければ今も生死の境を彷徨っていたことだろう。
今は明日の決戦に備えて体を休めているのだが、それだけでは中々寝付けず作戦の打ち合わせをカズハとしていたのだ。
「相手が地竜の群れだもの。仕方ないわ」
「せめて伝令が帝都にたどり着ければ良いのだが………」
「別方向に逃げて、囮まで使ったのに食いつかなかったわね。その癖、宵闇に紛れても感知されるだなんて」
不思議なことに、各方面にバラけさせた伝令も全滅した。いや、正確にはその様子を見たわけではないのだが、彼等が進んだ方向で悲鳴が上がったり、突如として獲物に気づいたかのように追跡を始める地竜が出たりしたのだ。
人の足と体力で、地竜の走破性能を超えるのは難しい。おそらくは全滅だろう、と皆は思っていた。
「ねーさま………」
「大丈夫、大丈夫よサクラ………もう少し寝てなさい。数時間後には変わってもらうから」
気の滅入る話ばかりしていると、カズハの膝で寝ていた少女―――サクラが目を覚ました。年の頃なら10にも満たないぐらいか。名前の由来にでもなったのか、カズハは彼女の桃色の髪を撫でてもう一度寝るように促す。
「うん………」
目を擦りつつ、再びサクラは眠りへと落ちた。
この難民キャンプが未だに地竜の餌になっていない理由の1つに、彼女の存在がある。カズハも優秀な結界魔法の使い手なのだが、だからといって四六時中結界を貼っていることも出来ない。1日2日はどうにか頑張れるだろうが、おそらく3日は保たない。だが、同じ結界魔法を得意とする妹のサクラがいた。そこで二人で交代で結界の維持をローテーションすることにしたのだ。
どうにか魔力と気力をやりくして、この一週間を乗り切った。
しかし。
「何れにせよ、明日には結界は保たなくなります」
サクラの頭を撫でつつ、カズハはそう白状した。取り繕っても仕方がない。明日が決戦になる。
「治療の方はどうでしょう?」
「一応、全員動けるまでには回復したわ。専門じゃないから、戦線復帰できるのは8割までだけれど」
「十分だ。―――我々が時間を稼ぐ。避難民を連れて逃げ………いや、あるいはバラけたほうが生存率が良いかもしれん。少なくとも、貴女達は逃げれるだろう」
この一週間、彼等も無為に過ごしたわけではない。傷ついた兵士達を癒やし、どうにか戦線復帰できるように整えた。長くはないが、後一当て、上手くすれば二当てぐらいは時間が稼げるだろう。その間に避難民を逃がす。
「援護は任せて」
「しかし、エルフである貴女は」
「確かに、お役目として私はここにいるわ。人間達が森を切り開きすぎないようにね。正直、最初は気の進まないお役目だったけれど」
ラティアは元々、フェレスク大森林に住まうエルフの一族だ。殆ど自由民ではあるが、建前上は帝国臣民でもある。だから帝国の開拓に手を貸すことになったのだ。
「だけど今回の話は人間から持ち上がったのよ。そしてエルフにそれを請うたの。森を尊重したのよ。その判断は正しく、そしてこの国の今代の皇帝は賢明だとエルフは判断したわ。義を外さぬ相手に、エルフは不義が出来ないの」
「我々獣人もです。里の近くにみだりに村を作れば、生活用水から交易から競合してしまうと計画段階時に帝国から気を遣われました。経済圏なるものに里も組み入れたいと。それで新しい村の建設地への派遣を命じられたのです」
帝国の力を持ってすればもっと大上段に事を進めても押し切れる。少なくとも、前皇帝ならばそのようにしていたはずだ。だが現皇帝はそれを望まず、あくまで融和の道を取った。
義に生きるエルフ族はそれに応え、恩を忘れぬ獣人族は報いる為に動いたのである。
「………すまない」
「言いっこなしよ。殺された兵士達も、逃げずに良く戦ったわ」
「はい。怯えても竦んでも、決して背を向けなかった。勇敢な戦士達です」
「感謝する………」
輸送隊の半数は既に命を落としている。中には今年入ってきたばかりの新米もいる。というよりは、輸送隊自体が軍人として慣らしを兼ねている部分もあって大半が新人だ。その実地を兼ねた行軍訓練で地竜に当たるとは何とも運がない。
「では明日、難民達を逃がす手伝いを願っても良いだろうか」
「ええ。あ、でもこの子は駄目よ?」
「そのために夜番に回すのですからね」
そういう彼女達の視線はサクラへ向いた。ガステンとて、可能な限り彼女を戦闘に巻き込みたくない。
「分かっている。こんなに小さいのに、なんとも強い子だ。いずれうちの子にも見習ってほしいぐらいさ」
「貴方、家族は?」
「ああ、帝都にいる。家内と、生まれたばかりの息子がな」
「貴方こそ逃げるべきでは?」
「そうしたいのは山々だ。だが、与えられた地位には見合った責任が伴うものさ。それを投げ出すことは、今までの自分さえも否定することだ。何より、それで生き残っても家族に顔向けできない。せめて息子が独り立ちするまでは、カッコいいパパでありたのだよ」
白い歯を見せるガステンに、ラティアとカズハは苦笑した。
「馬鹿ね」
「ああ、家内にも良く言われる」
「でも男前ですよ」
「知ってるさ。だからこんな不細工でも美人の嫁さんを捕まえれたんだ。生きて帰ったら、目一杯家族サービスしないとな」
避難最後の夜が更けていく。
夜明けまで、もう少し。
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