第57話 呪慕
そういうことか。前から違和感のあった謎が、彼女の話を聞いて解けた。
以前
彼女が赤裸々に語った真実に驚かなかったのかと問われれば嘘になる。驚きと悲しみと、ほんの少しの恐怖すら感じた。
だからといって嫌いになったり関わりたくないなんて思うことがなかった自分にホッとする。
「雫紅が
「優しいね。嘘でも嬉しい」
「だからさ、もう死のうなんて考えるなよ。さっきクローゼットの中に隠れてたのもそういうことなんだろ?」
乳児や幼児がクローゼットの中で窒息死する事故はたまに起こる。ある程度成熟した人間でも同じ事が起こるかなんて調べる気すら起こらないけど、可能性としては十分に起こり得る話だ。
「私にとっては本当にどっちでも良かったの。生きていれば
顔が見えなくても自嘲気味に
彼女の声音はどんどんか細くなっていき今や風前の灯火だ。
「窒息死することはなくても、あのまま外に出なければ餓死できたのもあるからさ。あんな奥まった所じゃ、臭いが他の部屋に充満することも少ないだろうし、死体の発見も遅れるかなって。あ、でも今思えば学校に行ってないから、通報されちゃうかな?」
「そんなことを…………、そんなことをヘラヘラ笑って言うなよ」
俺は語気を強めて怒りを露わにする。
死にたいなんて、もう思って欲しくない。
それから彼女の心により強く響くよう体の向きを反転させ、雫紅の凍った芯を解きほぐすように優しく、そして力強く言葉を掛けた。
「なあ雫紅。俺はお前の
「もういいんだよ。私は満足できたんだから。このままバッドエンドで終幕を飾っても後悔はない。なのになんで私に辛い選択肢を与えるの?」
ガサガサと布団のカサつく音がして僅かに向こうへ引っ張られる。どうやら雫紅もこちらに向き直したようだ。
「幸せな終幕を諦めるにはまだ早いからな」
「望んで手に入る物なの?」
「望まないと手に入らない物だろ」
どこかで聞いたことがある。幸せになろうとしない人は幸せになれないのだと。
雫紅が本気で幸せを求めるなら、掴む努力をするべきだ。
その手伝いくらいなら、俺がいくらでも買って出てやるんだから。
「いじわる…。どう
「雫紅がいつまでも引きずってる初恋を終わらせるまでは楽にしてやれないな~」
「いじわる!」
先程までの陰鬱な空気感は
「そこまで言うなら、私の願いを聞いてくれるよね?」
「何だ?」
「私の心も体も含めて、この身全てを一生涯君に捧げるって誓うから。……だから私と付き合って」
重いなあ……。愛情が溢れ出るどころか火砕流のように流れ出てるんだけど。
『体も』とか『一生涯』とか言葉の端々に重さが滲み出てるし。想えば今までにも何度かその兆候はあったか。
本音を言ってしまえば、どれだけ重かろうと雫紅と付き合うこと自体はやぶさかではない。あの記憶さえ無ければ俺は彼女の願いに応えていただろう。
でもそれが赦せない。
ここで雫紅と付き合うと、なんだかあの少女のことを裏切ってしまったような後ろめたい気持ちになってしまうから。
「ごめん。雫紅の期待には応えられない」
「どうして?やっぱり私の事なんて嫌い?」
「いいや、俺の問題。雫紅と同じように俺にも忘れられない子がいるんだよ。そんな中途半端な気持ちを抱えたまま付き合うなんて、健全な関係とは言えないだろ」
「その人の代替物として扱ってくれても構わないから。それでもだめ……?」
「雫紅はそれでも良いって言うのか?」
「私にはそれしかないから」
瞬間。
それまで凪いでいた風がヒュッと吹き、カーテンの隙間から差し込む月光が彼女の顔を白く照らす。
一枚絵に出来そうなくらいに印象的な瞬間に映る彼女の表情はまさしく本物だった。
「雫紅を代替物に出来るのか~。……そそられる」
「ほよ⁉私、世界で一番結んじゃいけない誓いを立てちゃった?」
「冗談だよ。そんなことしない。………って信じてる」
「じゃあその時は。ね?」
その後の言葉がとっても不安なんですけど!
「ま、とにかく。今日からよろしく」
「うん。こちらこそ」
そう言って俺達はそのまま静かに眠りに落ちていく。
やっぱり俺も人のことなんて言えないな。
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