第56話 激情

 よし‼


「で、何でそんなことしてたんだよ。只の趣味か?」


 俺が聞くと彼女はそうじゃないと小さな声でつぶやいた。


「……颯希さつきはさ、私が抱えるみにくさを受け入れる自信はある?私が抱えるゆがみを受け入れる自信はある?」


 顔が見えなくても、声だけしか聞こえなくても、その言葉を言うのにどれだけの勇気が要ったのか如実に伝わってくる。何があったか聞いた後で引き返すことなんて許さないと、強迫されているかのようだ。

 この場における最も正しい選択は、彼女の話を聞かなかったことにして目を逸らすことだろう。

 でも、完全にとは言えないけど、いつかの雨の日に大きく変わったのだ。


「自慢じゃないけど、俺だって相当いびつな想いを抱えてるんだ。だからきっと雫紅しずくの期待にも応えてやれるよ」


 俺が告げると、


「信じてるから」


と言って、彼女は己の内に溜め込んだ感情を吐き出し始めた。


「二年くらい前なんだけど、思春期の真っ只中で一番心が不安定な時期にネットへ上げてたんだ。コスプレってかなり見た目が変わるから、自分じゃない自分になることで母親の呪縛から解き放たれたような気分に浸ることが出来たの。私は月涙つきなみ雫紅って人間のことが大嫌いでね。多くの人に愛されている笑顔満面の可愛い子って月涙雫紅像が大っ嫌い。いつまでもいつまでも母親に縛られて生きている彼女のことが大嫌い。雁字搦がんじがらめに捕らわれて逃れられない彼女のことが大嫌い。それでも親には逆らえなかった私のことが大嫌い。月涙雫紅って人間を構成するほとんど全てが、可愛く見せて、良い子ぶって、皆に好かれるためのキャラでしかないの。一番人気者になれる性格がこんな感じだっただけ。彼女を作って彼女を演じて、演じた彼女が私になるなんてほんっと歪んでる。私ってなんなの?って自分で自分が分からなくなるの」


 激情に駆られるまま紡いでいく雫紅の言葉は際限なく溢れていく。

 俺には彼女が秘め続けた苦しみなんて理解出来る筈もない。


「でもそうやって友達が沢山居るんだって、友達と仲良いんだって、可愛くてチヤホヤされてモテるんだって、いつもまぶしい笑顔を浮かべて楽しそうなんだって、近所の人にも人当たりが良くてとても良い子なんだって姿を見せていないと母親に怒られる。なんとなくだけど三歳くらいの記憶で、『娘さん愛想が良くって良い子ね』ってそんなことを言われてた気がするの。自慢の娘だって舞い上がっていた記憶は朧気おぼろげだけど残ってる。でもそのすぐ後くらいから少しずつおかしくなっていったの。段々自分の理想を押しつけるようになっていって、エスカレートしていった。殴る蹴るなんてあからさまな暴力は無かったけど、平手打ちくらいなら何回かされたかな。だから私は母親の求める理想で居る事が、一番彼女を刺激しないって気がついてずっと言いなりになってきたし、そのせいで好かれるための私を作る羽目になったんだけどね。そりゃ、日常的に暴力を振るわれる子や今にも死にそうな子なんていくらでも居るから、それに比べれば私のなんて大したことじゃ無いと思う。その子達にこの話をすれば『贅沢言うな』って怒られちゃうかもね。この家だって親がお金を出してくれてる訳だし、一応生活はできてるんだから」


 一体何をもって生活していると呼ぶのだろう。生きることが出来ていれば生活していることになるなんて間違っていると思う。


「でも私にとってはそれが辛かったし、ストレスでしかなかった。助けを求めるなんて出来ないし、吐き出す場所もなかった。出来ることなら信頼の置ける友達に相談したかったけど、外面そとづらを貼り付けてるせいで、自分にとって信頼できる友達なんていなかったし。それにこんな相談しちゃったら今まで作り上げてきたイメージも壊れて、全部破綻はたんしちゃうでしょ?私は外面を張り付けた『良い子』で、皆の明るい人気者なんだからさ」


 僅かな隙間が空いた背中越しで、雫紅が肩を震わせ小さく笑う。

 何が可笑おかしいんだよ。


「だから母親から逃げるために自殺だって何度も考えた。睡眠薬の過剰摂取とか、ここからの飛び降りとかくらいなら割に簡単にできそうだったし。勿論他の方法も色々調べてみたんだよ?一酸化炭素中毒とか、薬物摂取とかね。でも結局そんな勇気は出ない小心者すぎて、出来たことはと言えば腕に傷を与えるくらい。あれってね?痛みはあるんだけど、緋い血がプチュプチュ出てくるのを見ながら、自分って最悪だなって思って切ると凄く気持ちが良いんだよ?これ豆知識ね?ともかく、苦しくって辛くって逃げ出したくなった時に死ねる人はすごいって思ったよ」

「……………………」

「ごめんごめん、困らせちゃったね。昼ご飯を食べたとき、嗜好しこう調査表の書く順番を代わって貰ったことは覚えてる?」

「そりゃあな」

「あのとき私は自分の嗜好調査証をどうしても見られたくなかったの。特に嗜好タイプに関する部分はね。だってそこにはこんな私を象徴するかのように、空白が広がってるんだもん」


 そして締めくくるように言う。


「だから陽気で可愛くて男子の憧れの的なんて、そんな女の子は現実にいないの。幻滅したでしょ?」

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