第37話 雨乞い下校4

 太陽は沈み、月は雲に隠れ、雨も降らず風も吹かず。そんな退屈な自己世界に彩りを加えてくれる女の子に興味を持つ。ただしその色彩が頭上に広がるような黒くにごった泥色どろいろだとも知らずに。それでかれて深みにまって、抜け出せない泥船みたくなっていくのだ。

 

 学べ。繰り返すな。

 

 自分自身に言い聞かせ、気持ちにケリを付ける。心苦しいがここからは一人で帰って貰う方向で。

「じゃあ俺はこのまま帰るんで───」

 言いながら彼女の方を向く。


 瞳が捉えたのは頬に流れる一筋の涙だった。


 え………。まずいこと言った………?

 だが、


「ありゃりゃ、降ってきちゃったね」


 てのひらを皿にして雨を受けながら雫紅しずくが言う。

 俺も同様に手をかざすと雫が当たる。

 俺が泣かせてしまったのかと少し焦ったが杞憂きゆうだったらしい。


「よくった方だろ」

「だね。綺麗だなぁ」


 天から降り注ぐそれは、今し方雲間から顔を出した夕陽に照れされ、血のように紅く照り輝いている。

 話している間にもますます雨脚は強くなっていた。

 熱かったのか邪魔だったのか、そもそも持っていないのか。いずれにせよ彼女はブレザーを着ておらず、まとった白布しらぬのが喉の渇きをうるおすように雨露をゴクゴクと飲み干してゆく。

 雨が降る度浸透する水分がブラウスを透かし、インナーすらも透過し、肌に張り付いてひだ模様が浮かび上がった先には、しなやかな体のラインが強調されていく。瞬きをする度にワンシーンずつ変化していくその様子は一種のドラマのようだった。

 風呂上がりのように髪はびしょびしょ。しまいには身につけた純白の下着がブラウス越しにくっきりと露わになっていく。

 グラビアアイドルじゃあるまいし、ずいぶん刺激の強い扇情せんじょう的な姿になったものだ。


「ね、ねえ、そんな血眼ちまなこになって眺めないでよ……」

「っ!」


 おかしな息を漏らし我に返ると慌てて目を逸らす。

 彼女に声をかけられるまで、完全に女子高生を物色している不審者と化していた。通報されても文句を言える立場にいなかったのは確かだ。


「じゃあお別れかな。ここまでありがと、バイバイ」

「………………」


 反応の無い俺を見て、少しばかり残念そうな、悲しそうな顔をして去って行く。カラカラと回る自転車のタイヤの音だけが、いやに大きく聞こえていた。

 このまま放って帰って良いものか。

 湧き上がる答えのない問い。

 声を掛けるな、呼び止めるな。幾度となく制止を促す警鐘けいしょうが鳴らされる。

 しかし元々泥団子のようにもろい決心は、追い打ちを掛ける夕立によって瓦解がかいしていく。

 そしてまた同じ過ちを繰り返すのだろう。


「なあ」


 距離は離れてしまったが、篠突く雨の中でも聞こえるように呼び止める。


「ウチ寄ってけよ」


 最終章へ向けてうねる第二幕は荒れ狂う海のように荒々しく力強い、不協和音にも似た音楽だ。

 一度聞いてしまえばやみつきになってしまう中毒性。

 もう後には戻れない。

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