第36話 雨乞い下校3

 目線を逸らし本筋へ戻す。


雫紅しずくって一人暮らしでもしてんの?」

「ほよ、言ってなかったっけ?」

「さあ?」


 もしかしたら部活中に聞いていたのかもしれないが覚えはない。初期の頃なら興味を持とうとしていない人物の話なんて、深く聞き入る必要が無かったからだ。ほんとこの短期間で変わったと思う。


「で、その母親が無理難題を押しつけてきて、一六時には帰ってこいなんて言うんだよ。どんなに頑張っても無理なのにさ」

「家遠いのか?」

「学校から自転車飛ばして四〇分くらい?」


 遠いな。終礼終わるのがおよそ一五時半なので頑張っても無謀だろう。この方向で学校から四〇分もかかると言えば、


「雫紅の家、浜の方にあんの?」

「そうそう。あの辺にマンション出来たでしょ」

「あーやっぱそっちのほうか。浜風による劣化が激しそうなとこの辺りな?」

「やな言い方しないで⁉」


 この道の突き当たりには高校のクラブコートが邪魔をしてるので見えやしないが、もう少し南へ南へ下っていくと、ここ数年で再開発された新興住宅地が広がっている。彼女の家の在処は恐らくその辺りだろう。


「そんな無理難題ふっかけてくる癖に、約束守れなかったら怒るんだよ」

「じゃあ断ればいいだろ」

「前に言わなかったっけ?人の頼みを断るのが───」

「苦手なんだったな。思い出したわ」

「そっ正解。よっくでっきまっした~。よしよし~」


 彼女は俺の頭を撫でようと腕を掲げ……全然届かなくて諦めていた。代わりに空中で撫でる素振りを見せている。


「だから怒られない方法を色々考えてみたの。と言う訳で、『俺が雫紅を連れ回したせいで遅れたんです』って説明してくれるだけでいいよ。簡単でしょ?」

「俺が損するだけじゃねえか」

「ほよ、なら『初めて出来た恋人と少しでも長く居たくて連れ回してました』って説明してくれれば───」

「一〇年ボッチ舐めんなよ」

「ねーえー、お願いっ!恋人のふりしてよ~。恋人を連れてきてたから遅くなったって話せば許してくれると思うんだよねえ」

「自分が怒られないために俺を利用すんな」

「無償がだめならお金払ってレンタルで───」

「よっし、乗ってやんぜ。最低借用価格、二〇〇万からどうぞ」

「おっけー、年間一〇万円でどう?」

「低いなおい!二〇〇万つったろ!」


 まさかの年俸ねんぽう制だし。月給換算一万円以下だし。


「二〇〇万でしょ?何か間違ってた?」

「脳年齢四歳くらいまで低下してる?」

「そっちこそ。私と付き合うことにできるってだけで付加価値が一〇〇〇万円はくだらないのに何言ってるの?」

「自己評価高すぎんだろ」

「冗談♪年間三〇〇〇万でどう?」

「インフレしずぎだろ。イランリアルとかじゃねえだろうな」

「すごい!なんでわかったの⁉」

「馬鹿にすんな!」


 ちなみにイランリアルとは世界で一、二を争う価値の低さをもつ通貨のこと。日本円換算して一円当たり〇.〇〇三二円とか〇.〇〇三三円近辺を推移している。

 結論、年間現金一〇万円分の価値でしか借りてくれない。泣いていい?


「さてと分かれ道だね。颯希さつきどっち?」

「左」

「私は右」


 大型ショッピングセンターに沿う片側一車線ずつの道。開けた歩道の突き当たり。信号前。


「選択権は君にあげる」


 左か右か、雫紅家か自宅か選ぶだけ。単純だ。

 他人の領域に深く立ち入らない。

 最近揺らぎかけているこの核を再構築するには丁度良い機会だと思う。

 彼女の家までついて行く必要が無いことも分かったし、帰宅を選べば良いだけだ。雫紅と出会う前なら躊躇ちゅうちょ無く右を選んでいただろう。

 しかしそこに少々の迷いが生じている。量にして親指と人差し指の二本分。


 こういうところだ。

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