目覚めのとき
学校に向かう途中、いつも富士山が見えるところで立ち止まる。
最初にその場所に気づいたのは輝凛奈(きりな)だ。
中学校の登校初日、それまでの通学路が変わって、二人でキョロキョロしながら歩いていた。
「はな、見て! あそこ!」
建物の間から、白い頂きと左右対称のきれいな山が見えた。
「富士山見えたら特別いい日。見えなかったら普通にいい日♪」
輝凛奈は鼻歌を歌って、以来、毎朝富士山占いをしている。いっしょに登校する私は験担ぎをしないけれど、富士山が見えると何となく気分はいい。
今朝は輝凛奈が日直で、別々に登校した。昇降口で靴を履き替えていると、職員室に向かう輝凛奈とすれちがう。
「はな、おはよ。もう一人の日直の子、今日は休みだって」
「じゃあ手伝ったげる。後から職員室行くよ」
職員室のドアの前で待っていたら、四十人分の国語のノートを抱えた輝凛奈が出てきた。山の半分を引き受けて二人で教室に向かっていると、後ろから走ってきた男子にぶつかられた。
「おわっ」
輝凛奈がすっころんで、ノートが廊下に散らばる。
朝からついてない。
二人で拾い集めていたら、横で輝凛奈が叫んだ。
「はな見て! この字、めっちゃ上手い!」
輝凛奈が手にしているノートには、書写のお手本みたいな字が並んでいた。
表紙を見ると「堅野 貴美(かたの きみ)」と書いてある。うちのクラスの学級委員だ。
「堅野さんて真面目だよね。冗談も通じないし」
そう言って振り返ると、輝凛奈は堅野さんのノートを見つめたまま突っ立っていた。雷に打たれたみたいに。
ぴんときた。
輝凛奈は目覚めちゃったんだ。堅野さんの字に。
この幼なじみが何かに目覚める場面には、何度も立ち会っている。
一時間目の国語が終わっても、輝凛奈はノートに向かって何か書いていた。背中からはモクモクと『気』が発散されている。
「キリ、目覚めたでしょ」
「ん。朝一番に堅野さんに、『字上手いね』って言った。どうやったらそんな風に書けるか聞いたのに、素っ気ないんだ。話が続かない。そんで、堅野さんからコツを聞き出す方法を書き出してみた」
「キリは散々、字が下手ってからかわれてたじゃん。ずっと平気だったのになんで今なのさ?」
返事も待たずに、ちょっと見せてみ、とノートを取り上げた。返事なんて決まってるんだ。輝凛奈の目覚めはいつも突然だから。
薄くてミミズが這ったような字でいろいろ書いてある。
―パターン1 家族を誉める。
キ「堅野さんのお母さんってきっと美人だよね?」
堅「なんで?」
キ「きれいな字を書く人って美人のイメージがある。堅野さんに似て、お母さんもきれいな字を書く美人なんだろうな」
堅「そう?」(うれしそうに笑う)
キ「その美人の娘に教えて欲しいことがあるんだけど」……
―パターン2 生い立ちを聞く。
―パターン3 手相を見せてもらう。
―パターン4 筆記用具を調べる。
―パターン5 ……
いろんなパターンの会話劇が書いてあった。でもどのパターンもなんかずれてる。
「どのパターンで堅野さんに話しかけたらいい?」
「あのさ、キリ。こんな風に話しかけられたら相手は引くよ。堅野さんみたいな字が書きたいなら、とりあえず動画とかネットの検索とか、もっと手っ取り早い方法があるっしょ」
「確かに」
輝凛奈は素直に認めたものの、でも、と言いつのった。
「歩くお手本を師匠にしたいんだ。こんなに近くにいるんだから」
「キリは、これ、ってものに出会ったら、まっしぐらだからね」
「まっしぐら」と言いながら両腕をピシッと前に伸ばしたところで、数学の先生が入ってきて休み時間が終わった。
輝凛奈を見ると、またノートに何か書き足していた。
放課後、輝凛奈は堅野さんの真っ正面に立って話しかけていた。
止めた方がいいんだろうか。それとも応援した方がいいんだろうか。
迷っているうちに堅野さんがスタスタと教室を出て行き、輝凛奈は肩を落として私の所にやってきた。
「だめだ。全然思った通りに話が進まない」
「そりゃそうでしょ。作戦変えた方がいいと思うよ」
帰り道、輝凛奈はうわの空だった。長い付き合いだから思考回路は想像できる。
多分、堅野さん攻略法を考えてるんだ。
突然、輝凛奈が立ち止まった。
「そうか!」
私に向き直ってうなずいてみせる。
「なんで堅野さんが素っ気ないかわかった。学級委員だからだ。私だけに字を上手く書くコツを教えるわけにいかない。みんなに平等でなきゃいけないんだ」
そうきたか。
長い付き合いだけど、輝凛奈の思考回路は、ときどき想定の斜め上を行く。
いつもの富士山スポットに来た。今は雲が出ていて遠くまで見通せない。
「今朝は富士山が見えたんだ」
もう一度見ようとしているのか、輝凛奈は雲の上を覗くみたいに首を伸ばして、ぴょんぴょん跳びはねている。
私は富士山のことなんてすっかり忘れて、今朝は通り過ぎちゃった。
跳びはねていた輝凛奈が、「あっ」と叫んですっころんだ。
「だいじょうぶ? 転ぶの、今日で二回目だよ」
輝凛奈は転んだことなんて忘れたみたいに、目をキラキラさせて立ち上がった。
「堅野さんがあそこの家に入ってくのが見えた。行こう!」
さすが。何回転んでも、ただでは起きない。
引っ張られるようにして、いつもは通らない道に入っていく。
立ち止まったのは古い一軒家の前で、表札の横に小さな札が並んでいた。
―翠雲書道教室―
「これだ! 堅野さんがきれいな字を書くコツ」
納得顔の輝凛奈だけど、字の上手い人がお習字をやっているのは予想の範囲内。コツも何も、たどり着いたのは当たり前のことだった。
「やっぱり今日は特別いい日だ」
輝凛奈はすごく満足そうなため息をついた。
信じる者は救われる。信じ切ったからこそ、いいことを引き寄せたんだ。
ここで、はたと冷静になる。
「で、キリ、これからどうすんの?」
輝凛奈は平然と答えた。
「これから教室に入門する」
「これからって、いつ?」
「今日」
「今日⁉」
「思い立ったが吉日」
夕日を受けて輝凛奈の頬が赤く染まる。
我が幼なじみの本領発揮はこれからだ。
(おわり)
字が下手なのを逆手にとる方法 @kurikuriboz
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