字が下手なのを逆手にとる方法

@kurikuriboz

卒業文集

「今日は国語の時間を使って、卒業文集にのせる作文を書きます」


 先生の言葉に、えー、と一斉にブーイングが上がった。

 うちの小学校では毎年、「みのり」という卒業文集をつくる。卒業までには書かなきゃいけないのだけれど、みんな作文が好きじゃないから反発してみる。

 文句で騒がしい中、斜め前の席に座っている輝凛奈(きりな)の様子をうかがった。涼しい顔をしている。わたしは、輝凛奈に危機感がないことに危機感を持った。

 心の中で呼びかけてみる。


 キリ、だいじょうぶ? 卒業文集ってみんなに読まれるんだよ? 


 家が近くて赤ちゃんのころから知っている(らしい。二人並んだ赤ちゃん時代の写真がある)輝凛奈には、重大な欠点がある。いや、そう思っているのはわたしだけで、本人はまったく気にしていないのだけれど。


 輝凛奈は絶望的に字が下手だ。


 三年生から始まった習字では、クラス全員の半紙が教室の後ろに貼り出される。「一」というシンプルな字でも、輝凛奈のは、蛇がくねくねと紙を横切ったようだ。

 クラスのみんなが冷やかしても、輝凛奈は平気だ。


「簡単な字ほど実は難しい。それにあたしの『一』は誰にも真似できない」


 そう言って胸を張るんだ。

 輝凛奈はなんだってそう。調理実習のときも、ちゃんと切れていなくてずらっとつながったキュウリの輪切りに、「ほら、芸術作品!」と喜んでいたし、テスト返しで先生に「誰の答案かわかりません」と氏名欄に赤で書かれても、「誰のかわからないのは、あたしの答案だと思ってください」と開き直る。


 勉強ができないわけじゃない。でも、とにかく字を書くことに関しては全然だめで、それが輝凛奈を実際よりバカっぽく見せているのが悔しい。



「山川さん、作文書けますか? 何か困ってますか?」

 先生の声にはっとする。とにかく今は卒業文集にのせる作文だ。わたしは何をしてもぱっとしないんだから、自分の心配をしなくちゃ。

 

 その日は下書きで、とりあえず書いたものを先生に提出した。

 帰り道、輝凛奈に聞いてみる。


「キリ、作文、何書いた?」

「んー、普通のこと」

「普通って何よ」

「だから、運動会とか修学旅行みたいな、特別な行事の話じゃないってこと。

 はなは?」

 

 わたしはまさにその修学旅行について書いた。題名も「楽しかった修学旅行」っていう、同じ題の人がほかにもいそうなやつ。


 輝凛奈が作文に書いたのは、「名前」のことらしい。「卒業文集ができたら読めるよ」と言われたけど、ほんとかなぁ。字が読めなかったら、何が書いてあるか知りようがないじゃないか。


 字が下手なのを気にしない輝凛奈だけど、自分の名前を書くのは苦手と言う。

「濱﨑 輝凛奈」というやたら画数の多い字は、テストで名前を書くのにも時間がかかる。輝凛奈にはよく言われる。


「いいよね、はなは」


 わたしの「山川はな」という名前は、小一で習う字ばっかりだ。画数も少ないし、紙に書いても隙間が多くて、すーすーと風が通り抜けていきそうだ。

 それに比べると「濱﨑 輝凛奈」は、一文字書くたびに目がチカチカするらしい。


 そんなわけで輝凛奈は自分の名前をずっとひらがなで書いていた。でも六年生になると、さすがに漢字で書き始めた。でも画数が多いからどうしても字が膨らんで、またみんなにからかわれる。クラスの男子が、


「きりなのへろ字!」

 

 とはやし立てると、輝凛奈は腰に手を当てて叫び返す。


「へろ字でけっこう! へろ字はアート!」


 わたしとしては、けっこう、と言ってほしくない。全力で文字を書くことに立ち向かって極めてほしいんだ。



 五年生の時、輝凛奈はお店で食べたクレープを異常に気に入った。

「決めた。クレープを極める」

 クレープの皮を毎日五十枚焼くと決めて、輝凛奈はせっせと台所に立った。わたしは遊びに行くたびにクレープを食べさせてもらって、その腕前がどんどん上がっていくのを横で見ていた。いつの間にか二人とも体重が五キロも増えて、さすがにこれ以上はやばいね、ってことで終わりになったけど。


 極めたのはクレープ作りだけじゃない。お父さんの靴をピッカピカになるまで磨く方法、好きな歌手の歌詞を全曲(輝凛奈にしか読めない字で)書き写して暗唱、庭の虫を捕まえて解体、などなど、はまったら極めるのが輝凛奈だ。

 もし輝凛奈が「字が上手になりたい!」と思えば、絶対に極められるはずなのに。


 次の国語の時間、先生はみんなが書いた下書きにコメントをつけて返してくれた。


「今度は清書です。ていねいに書きましょう」


 いつもおバカなことばっかり言う男子も、この時間は真剣だ。教室ではあちこちから、カリカリと鉛筆を走らせる音が聞こえてくる。

 顔を上げると、輝凛奈も真面目に書いていた。背中から「極める」オーラが出ていたから、もしかしたら超ていねいに書いているかもしれない。




 卒業式の前日に先生から、製本された「みのり」が配られた。

 受け取った「みのり」をパラパラとめくる。やっぱり修学旅行の思い出を書いている人は多い。わたしの作文は平凡だな。字だって、すごく上手でもないし下手でもないし。

 輝凛奈の作文を探した。


 やっぱり。


 心配した通り、輝凛奈の作文は、最初の方はなんとか読めるけど、後半は何が書いてあるのかわからない。

 いつも輝凛奈の字をからかう男子が声をあげた。


「濱﨑の作文、何書いてるのか読めませーん」


 失礼なやつ。思っても黙ってりゃいいのに。

 その男子を心の中でぶん殴ってやった。それにしてもわたしだって読めない。

 そのとき、輝凛奈がすっくと立ち上がった。


「わたしの作文が読めない人のために、今ここで声に出して読みます」


 輝凛奈の音声作文が始まった。


「わたしは何でも楽しむのが好きです、楽しむというのは……」

 

 聞いていると、輝凛奈の頭の中が見えるようだ。

 何か失敗したとき、つい『わたしってだめだな』とか『自分がいけないからこうなったんだ』と考えてしまう。でも輝凛奈は失敗した自分を面白がって、「もっと面白くするには」と考えるらしい。


 作文は続く。

「………で、わたしは小学校を卒業する前に、自分の名前も面白がることに決めました。模様だと思って見てください」

 

 改めて輝凛奈の作文を見直す。

 後ろ半分に、模様? 呪文? 暗号? みたいなものが並んでいて、お父さんの印鑑の字みたいにも見える。


 これ、「濱崎輝凛奈」って書いてあったんだ。

 確かにアート⁉ 


 クラスのみんなも、文集に顔を近づけて「ほー」なんて感心している。

 この模様を答案用紙の名前欄に書いたら、それだけでテストの時間が終わりそう。でもセンスのある先生なら、名前欄に百点をつけてくれるかもしれない。


 輝凛奈が卒業文集で名前をアートにした話は、何十年たっても忘れないと思う。

 ついでに、苦手なことを逆転させる考え方も。

                                

                                 (おわり)

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