第31話 女、女ども!

 リチャードは傷病室に入るとすぐに、忠臣リー・トマスの方へ大股おおまたで歩いていった。


 リー・トマスは寝床の白いシーツの上で上体じょうたいを起こして、夕食を取っている。包帯もとれて元気そうだ。リチャードの姿を見ると、打ち解けた様子で声をかけた。無口な男だ。妻や娘にはああいう態度を取ることは決してないだろう。


「リー、無事で何よりだ。傷病室は気に入ったか?兵士のために作ったのだが。命を懸けて戦ってくれている」

 リチャードが気さくな口調で言った。


「壁も天井も何もかも真っ白で気が滅入めいる。だが、悪くない。食事は美味しいし、手入れが行き届いている」

 リーが渋々しぶしぶ批評した。こんな傷病室、部屋ごと地獄にちてしまえ、とでも言いそうな、険しい顔つきである。


 たしかに部屋の中は全て白だった。死人も病室があまりにまぶしくて死にきれないに相違そういない。看護婦の衣服も白、食器も白、包帯も白、カーテンも白、窓からのぞくのも、白い雲……。きわめつけは傷病者に着せられる白いガウン!出陣しゅつじんして傷を負った大の男が喜びそうな代物しろものである。


「おかげで傷も早く治った。明日には妻と娘を連れて領地に帰るつもりだ」

 リーはそう言い放つと、チラリとリリィの方を見た。そう言えば彼はまだ皇女に挨拶あいさつしていない。


「ずいぶん急だな。アビゲイルもメアリーも連れ帰ってしまうのか。それは困るな。ヘレナが許すはずがない」リチャードがそう言って、静かにしてる娘の方を振り向いた。「リリィ、お前もメアリーと別れるのはつらいだろう?どうして二人を都から連れ去ろうなんて思い立った?いや、俺だってお前が後継あとつぎの顔を早く見たいのはわかる。止めようっていう気もない。だが、メアリーは宮廷で申し分のない教育をしてやってるだろう?結婚相手にだって欠かない。聞いたところでは、トルナドーレの弟の方と相思相愛そうしそうあいだそうだ。悪くない縁組えんぐみじゃないか。それをどうして、あんな寂しい城に閉じ込めようとする?」


「問題は跡継あとつぎのことではない。死後のことなどどうでもいいんだ。トマス家にも他に男がいるだろう。女、女だ。アビゲイルを妻としてめとったのが間違いだった……」


 リリィはリーの嘆きように不穏な顔をした。アビゲイルを妻としてめとったのが間違いだった、なんて。ひどく残酷な言葉だ。だが、リーの言ってること全部は理解できなかった。知らない真実があるらしい。


「アビゲイルを正妻にするようすすめたのはヘレナだ。だが、私もこれに関しては同意見だ。彼女を妻として認めればメアリーの権利を守ることができる」

 リチャードが文句をさえぎった。

 リーが呆れるよ、とばかりに首を振る。


 間合まあい悪く、皇子が傷病室に入ってきた。夜会に参加するつもりが、止めて父親とリリィのところに来たらしい。洒落しゃれた服を着ている。リーの顔がさっとくもった。アレックスはリーの不機嫌に気づかずに、子羊のように善良そうな顔をして声をかけに来た。


「どうやら二人で話し込んでいるようですね。僕たちは先に兵士たちの見舞いにまわっていましょうか」

 アレックスがリーの言外の拒絶と悪意をって提案した。


 リリィは救われた気がした。アビゲイルやメアリーのことを思うと悲しい。父とリー・トマスにはさまれて空気になるのも嫌だった。


 リチャードはリリィと兵士たちの見舞いをアレックスに任せた。リーとの対話はどうやらまだ続くらしい。


「リーに何か言っちゃいけないことでも言ったの?まるでお兄さまを憎んでるみたいな顔してたわ」

 リリィが歩きながら言った。


 アレックスは唖然あぜんとして一瞬言葉を失う。リリィはクスクス笑って、兄と手を繋いだ。

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