第15話 黄金色のドレス

 成人に達したリリィとアレックスは、それぞれ馬を連れて〈競技場〉の中を歩いていた。原っぱから移動したのだ。


「とにかく、メアリーはお目当てのものを手に入れたわ。天晴あっぱれね。でもメアリーが本当に魔女と会ってたなんて。私、あの記憶は夢のものだと思っていたのよ。本当にメアリーの金髪は魔女の秘薬のおかげだったのね」

 リリィがひどく楽しそうな様子で言った。メアリーが大好きだったし、アレックスとこうして外出できるのは嬉しかった。


 微風が吹いて、競技場の中の砂が小さなうずを巻き起こす。リリィがクスクスと笑い声を漏らした。アレックスが妹と視線を交わして笑う。


「全部本当に起こったことさ。僕は後悔してる。メアリーには言いたくないけれど、秘薬には何か邪悪なものがひそんでいる。あの薬をのんだせいで、メアリーは高熱を出して、三日三晩寝込んだんだ。三日目には髪色も変わって、お望みの金髪娘が出来上がったわけだけど。でもそんな単純な話じゃない。魔女は何度もお前に会おうとした。我らが親愛なる義母上ははうえ殿どののおかげで、実現しなかったが、魔女はお前に執着しゅうちゃくしすぎている」


 リリィにはなぜ父や義兄が小島の魔女を逮捕たいほしないのかわからない。リチャードは魔女狩りに力を入れていたし、アレックスの代になっても、それは受け継がれるだろう。だが、イリヤ帝国は小島の魔女にだけは手出ししなかった。何か逮捕できない理由があるのではないか。


「あの魔女は、悪い魔女じゃないわ」

 リリィが魔女をかばう。


 アレックスは眉間みけんにしわを寄せて、かぶりを振った。いくら言い聞かせようとも、リリィは魔女への信頼をひるがえそうとしない。もう十五歳で、十分な判断力を持っているべき年齢としなのに。


「どうしてそう思う?」


「お父さまもお義兄さまも最初から疑ってかかってるわ。言い分を聞こうともしない。私、あの人たちに同情しているわ。処刑広場には入れないけれど、何が行われているかは知っている。残酷で恐ろしいことよ。あの匂いも、裁判の日の叫び声も、耐えられない。つらいの。あの人たちが死ぬたびに、私も死んでいるの……」

 リリィが声を震わして語る。


 魔女裁判の日、つまり処刑の日、リリィは気が狂いそうなほど苦しい。どうか彼女たちを救ってください、と祈り、いつか父が魔女狩りをやめてくれるように、と願う。心臓が真っ二つに裂けてしまいそうなほど苦しい。夢の中で、リリィは彼女たちと火に包まれている。全身は熱いのに、悪寒がする。呼吸ができない。叫ぼうにも喉が焼けついて声が出ない。彼女たち—魔女たち—がリリィに手を差し伸べる……


「リリィ、気持ちはわかる。だが、魔女の存在は実際に害をもたらし、民を苦しめるんだ。もし、イリヤの繁栄はんえいを願い、父上や僕の治世の安泰あんたいを祈るなら……」


 〈競技場〉に騎士たちが入ってきて、アレックスの演説が中断された。騎士たちは皇子と皇女に遠くから会釈をよこす。他の者は遠慮してやってこなかったが、その内の一人が近づいてきた。


 どうやらアレックスの知り合いらしい。アレックスは歩み寄って騎士の肩を叩いた。騎士は鎖帷子くさりかたびらをきて、腰に剣をたずさえている。剣のつかには人魚の刻印がおされていた。


「〈兵舎〉の有望な兵士だ」

 アレックスが妹に耳打ちする。


 リリィは兵士を盗み見た。若く、男としては背の低い方だが、頑強な肉体の持ち主だ。身のこなしには軍人特有の無駄のない美しさがあった。


「マットだ。ジョンの悪友だよ」

 アレックスが紹介する。

 マットは皇子に向けてニヤッと笑うとリリィに頭を下げた。どうやらリリィが皇女だと知っているらしい。リリィは失望を隠すように、そそくさとお辞儀した。


「〈兵舎〉中の人間が、姫君と侍女殿じじょどのの姿を一目見ようと浜辺に出るんです。馬鹿な連中でしょう?」

 マットが言う。


「いいえ。メアリーでしょう?」

 リリィがそう言って頬を赤らめた。

 初対面の男と話すのは気恥ずかしい。皇女の身分も、男のリリィへの関心も状況を悪くするばかりだ。


「リー・トマスの娘だ。なかなかの美人だが、肝っ玉がすわっている。彼女にはちょっかいかけない方がいいな。じゃじゃ馬だよ」

 アレックスが口をはさむ。


「止めるなよ、殿下。俺はあのと踊れるなら、明日戦場に舞い戻ってもいい。なんて娘なんだ!」

 マットが興奮した口ぶりで言った。


「メアリーは確かに素晴らしいさ。だが、俺はあてにするな。お前とメアリーは引きあわせられない。理由はわかってるだろ。メアリーはあれでも大事に育てられてきた娘だ」

 アレックスがキッパリと言う。


「冷たい奴だな。だがいい。今度、馬上槍試合ばじょうやりじあいがある。その時に会えるさ」


「メアリーなら喜ぶわ。紹介してあげてもいいのに」

 リリィがマットのたくましい背中を見ながら言った。メアリーは社交好きなのだ。〈兵舎〉にはトルナドーレ兄弟以外に知り合いがいないはずだから、マットを取り巻きの一人にできたらさぞ嬉しがることだろう。だが、アレックスはとりつく島もない。


「社交界の中だったら、火遊びも安全だ。だが、宮廷の外に出て、それ以上の刺激を求めてはいけない」


「本気でおっしゃっているの、お兄さま?」リリィが思わず言った。「メアリーがお兄さまの言うことを聞くかしら?」


「聞かないだろうね。だけど、黙って見てられない。もし何かあったら一生ものだ」


 アレックスもリリィもメアリーの激しい気性を知りすぎていた。メアリーが望むなら、マットは必ずのうちの一人になるだろう。


「マットは良い人に見えたわ。問題はマットじゃない。メアリーの性格でしょう?」


 アレックスは苦笑いした。

黄金色こがねいろのドレスのこと、覚えているか。テディア卿夫人の身につけていたガウンだよ。メアリーが欲しがっていた。そっくり同じものを着てきたときは驚いたよ。メアリーってそういう子だ」


 リリィは微笑んで兄を見つめた。ジュリア・テディアがメアリーにドレスの型を送ってやったのだ。

「驚くわね。ああいう性格でも崇拝者が絶えないのは。お世辞にも心優しいなんて言えないでしょ。ジョンもマティアスはメアリーの我慢ならない気性を知りすぎるくらい知っているのに、恋人になろうとしている」


「それだけじゃないのさ。メアリーってやり手だよ。頭がきれる。美人だし」

 アレックスがほがらかな口調で言う。


「メアリーって、私の嫁入りについてくるって言うけれど、王や将軍の妻になった方がいいわ。実際、そうなるような気がするの」

 

 アレックスが怪訝けげんな顔をしてかぶりを振った。

「メアリーが王妃になったら国が滅ぶよ」


「それか繁栄するかも。私、求婚者が王だろうが皇帝だろうが、一文無しの騎士だろうが、メアリーは手放すつもりよ。彼女が独身を貫くなんて、世界中の男性方の大いなる損失だもの」


 メアリーは衣装部屋で、たくさんのドレスの中に埋もれていた。リリィお披露目ひろめの舞踏会に向けて、衣装部屋を整理しようとしていたのだ。


 あまりにドレスやら宝飾品やらが多すぎて、手のつけようがない。サテンのドレスも紅玉の首飾りも毛皮のマントも、部屋のいたるところ、箪笥たんすの角や鏡、椅子いすの上に引っ掛けられている。部屋はぐしゃぐしゃだ。足の踏み場もなかった。


 なんの気なしに、金と黄色のダイヤモンドの首飾りを手に取る。鏡の前に立ってつけてみた。首飾りは素敵だ。だが、自分には似合わない。リリィだったら似合うかしら。きっと似合うだろう。灰色の瞳の、透き通るような肌をした、あの子なら。


 浅いため息をつくと、首飾りは宝石箱に入れて箪笥の中にしまった。自分が憎たらしい。


 誰かが部屋に入ってきた。向こうの方の、メアリーの居室だ。軽やかな足音が聴こえる。メアリーはさっと鏡から離れると、笑みを浮かべて振り向いた。


「探してたのよ。まさか部屋にこもってるなんて。あなたらしくないわね。今夜も夜会に出るの、じゃあ?」

 リリィは頬を上気じょうきさせて衣装部屋に入ってきた。乗馬の帰りなのだろう。晴れやかな瞳をしている。


「夜会に行くわ。でもドレスで悩んでるんじゃないの。この散らかり具合、どうにかしたくって。もう心が折れたわ」

 メアリーは弱々しい笑みを浮かべて、手近な椅子に座った。


「手伝うわ。それにしても多いわね。私よりも多い」

 リリィがそう言って、部屋に散らばったドレスを見回す。ちょうど白のレースの襟飾えりかざりとレモン色の夏物のガウンを足で踏んでいた。


「手伝わなくていいわ。捨てるかゆずるつもりなの。踏んだからって謝らないでね。それ、似合わないの」

 メアリーが覇気はきのない声を出す。


 赤毛だったらよく似合っただろうに。そう思ったけれど、口には出さなかった。リリィが言ったところで、メアリーがお気に入りの金髪を捨てるわけない。


 衣装部屋はとにかく乱雑だった。リリィの整理された、質素な衣装部屋とは大違いだ。メアリーはしょうで、次から次へとドレスを替える。から贈り物をもらうこともあるらしい。


 窓の近くの椅子にかかった絹のガウンがリリィの目をひいた。夕暮れ前の薄暗い部屋の中、そのガウンは淡い金色こんじきの光を放っている。十八歳の女が着るにしては小さなドレスだ。


「テディア卿夫人のドレスね。あなたがよく自慢してきてたわ。まだあったなんて」

 リリィが嬉しそうな声を出した。


「想い出なの。娘に着せるつもりよ。それかあなたの娘に」

「あら、可愛らしい」

 二人はひっそりと微笑んだ。


「私を探してたって言ってたけれど、嘘ね。乗馬に行ってきたんでしょう?草の匂いがするわ」

 出し抜けにメアリーが鏡に向き直って言う。

 鏡のある机にはなぜか本が一冊とココナッツ油の入った瓶が置かれていた。瓶は赤色で、人魚の模様が入っている。なかなかに綺麗だ。


「ええ、お兄さまとね。あなたの話をしてたの」

 鏡の中のきつい感じの目がこちらを見据えている。


「どんな話?」

 メアリーが探りを入れる。


「そうね。ちょうどこのドレスの話とか。魔女って覚えてる?金髪にしてくれたでしょ。もちろんあなたの悪口も言ったわ」

 リリィはおどけてみせた。メアリーは風見鶏かざみどりのようだ。気分がころころと変わる。いちいち不機嫌に付き合ってられなかった。


「悪口ですって。それも嘘ね」

 メアリーがクスクス笑って言った。


「いいえ、本当なんだから。あなたって大胆不敵。美人で男たちを手玉にとって……。その上、性悪しょうわるよ!お兄さまもあなたの無謀ぶりに頭を抱えてらっしゃるの」


 リリィが茶目っ気たっぷりの目でメアリーを見る。メアリーがたちまち機嫌をなおして立ち上がった。魅惑的みわくてきな曲線美が露わになる。


「アレックスがどうこう悩むことじゃないのよ。でも何をそう悩んでるのかしら」


「お兄さまは私とメアリーのこととなると、過保護よね。さっきなんて〈兵舎〉の騎士があなたにだって言うのに、退しりぞけてしまうんですもの」


「まあ変な人。それだったら馬上槍試合で会うことになるでしょうに」

 メアリーが髪をくしでとかしながら言った。


「ええ、マットがそう言っていたわ。でもアレックス、あの人にメアリーはやめといた方がいいって説得しようとしてた。メアリーを振り向かせるにはまず千着せんちゃくのドレスが必要だからって」

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