第25話 天文台の塔の上で

 アレックスは約束通り、密会の場所に天文台を選んだ。天文台は〈皇帝の宮〉や〈皇妃の館〉から遠いので人目につきにくい。

 護衛役の従者エドとは天文台の下で合流した。エドは文字通りリリィをお姫様扱いする。うやうやしい青年だ。


 天文台の上には白くまるい月が浮かんでいた。兄に付き添われて螺旋階段らせんかいだんを登ってゆく。上にたどり着くまでに、とてつもなく長い時間が過ぎたような気がした。


 天文台はイリヤ城の中でもっとも高さのある塔である。リリィは一度も足を踏み入れたことがなかった。そもそも人の出入りが滅多にない建物である。下仕えの者も勝手に入ることはできない。掃除や身の回りの世話はもっぱら学者の弟子たちが担当していた。噂によると、天文台には世捨て人の天文学者がいるらしい。リチャードがその天文学者をからかくまっているという話もある。


「アレックスの先生に会うの?もしかして夜中にしか起きてないのかしら」

 リリィが鈴の音のような声を出した。


 アレックスの家庭教師の一人がその学者だった。だがら二人は天文台に立ち入ることができるのだ。教師の専門分野を考えれば、皇子が夜更けに訪ねてきたとしても不思議はない。


「いや、生憎あいにくだけど、僕の先生は男だ。それに間違っても父は魔女を僕の家庭教師に雇わない」

 アレックスが正論を言う。


「じゃあどんな人なの?名前は?」

 リリィは好奇心を抑えられなかった。眠気が取れてきたのだ。


「魔女は魔女です、姫君」

 わきからエドが言った。


「でも魔女にだって名前があるでしょう?」

 リリィは納得できなかった。エドの言い分では何の説明にもならない。


「リリィ、魔女には名前はないんだ。もしあるとしたら、罪なき人から盗んだ名前だ」

 アレックスが断固とした口調で言った。リリィもそれ以上追及しない。兄の厳しい声に驚いたのだ。

 

 三人は階段の一番上まで来ていた。リリィはエドの手をぎゅっと握った。エドは果敢にもリリィに笑いかけて、手を離さないでいてくれる。


 塔の上は吹きさらしだった。天井もなく、四方の壁もない。

 満天の星が空に輝いていた。夜風が吹いている。昼間なら、この塔の上からイリヤ城の全景や海と断崖、〈王の森〉やさらにその先まで見えたことだろう。だが、夜の景色もなかなかの絶景だった。満天の星々に、赤い断崖と黒く光る海、海、海……。海がどこまでも続いている。海は鋭利な黒曜石のナイフのようだった。

 

「魔女が来るまで少し時間がある。眺めを楽しもう」

 アレックスが言う。

 リリィは壮麗な眺めに胸が熱くなった。言葉も出ないくらい……

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