第26話 黄色い目、黒い目

 天文台の中央には、灰色の、ざらざらとした石造りの望遠鏡が設置されていた。リリィは物珍しさに兄のそばを離れて駆け寄る。


 望遠鏡は巨大だった。六歳のリリィの七倍ほどの幅と高さがある。天文学者のその弟子たちは天体観測に夜な夜なやってくるのだ。星空をのぞき込むには、この巨大な望遠鏡の中に入って、さらに階段を三段上がらなければならない。


 不意に背後で扉の開く音がした。魔女の到着だ。アレックスとエドの顔に緊張が走った。


 魔女は二人の衛兵に囲まれていた。アレックスが手配しておいた案内係である。魔女の顔は目深まぶかにかぶった頭巾ずきんでまともに見えない。


「妹だ。丁重に扱うように」

 アレックスが前に進んで言う。


「噂の皇女だね」魔女がしわがれた声で切り出した。「まるでお姫様だ。優しいお兄さまと衛兵たちに囲まれてね。きれいな瞳をしているよ。罪のない澄んだ瞳だ。この瞳は皇帝にも皇妃にも似ていない。アレックス、あんたにも似ていないが……」


 アレックスは魔女の曖昧な物言いに顔を険しくした。得体の知れない人物に謎かけされるのは不愉快なものだ。


「リリィ、こっちにおいで。そう男たちに囲まれていては、ろくに話もできない。あんたの小さいきれいな手を貸してくれないかね」


 リリィは兄たちを振り返った。アレックスがうなずく。恐る恐る魔女に近づいて手を差し出した。しぼんだ目がこちらをのぞく。恐ろしかった。両の目の色が違ったのだ。黄色と黒色。あやしげに光って、一時もリリィから視線をらさない。獲物を前にした猟人かりびとのように。


 思いがけず、老婆の手は湿っていた。

「あなたが魔女?」

 リリィが聞く。予想した通りの姿ではあった。吟遊詩人のうたや童話に出てくるような魔女である。


 おののいていたはずが、魔女の目を見ると恐怖がしぼんでいってしまった。もう怖くない。それどころか、不揃ふぞろいの目を見ると、ずっと前から友達だったような気さえする。リリィは言葉を交わす前から魔女に共感し、すっかり信じ切ってしまった。


「魔女だとも、お嬢さん。悪いことはしないがね」

 しゃがれ声で答える。


「もちろん、貴方あなたが悪いことなんでするはずないわ。だって、あなたと私は友だちなんですもの。私、あなたが大好き。ところであなた、名前はなんて言うの?」

 リリィが息を弾ませて言う。俄然がせん頬が赤みを帯びた。


 魔女は表情のない顔でしばしの間、リリィを見つめた。何かをためらっていたのだ。

 老婆は身振りでリリィにもっと近くに寄るよう伝えた。


「今日は教えられない。こんな大勢いてはね、全然だめだよ。だがいい。お姫様はこのわしとまた会うだろうからね」

 魔女が耳もとで囁いた。

 

 リリィが身震いして魔女を見つめた。


 アレックスはをエドと共に先に寝室へ帰した。妹が魔女に魅了されているのに気づいて、耐えられなくなったのだ。

 リリィは帰る道すがら何度も魔女の方を振り返った。胸が張り裂けそうなほど悲しく、切なかった。

 

「また会えるよ。皇女さま」

 振り返るたび、魔女が片手をあげる。


 妹が天文台からいなくなった途端、アレックスは魔女に詰め寄った。一体妹に何をしたのか、洗脳でもしたのか。それとも怪しい魔術でも施したのか。

 

 魔女は一瞬よろめいた。戦い盛りの若者に攻撃されては太刀打ちのしようがない。


「魔術なんて。そんなものしていないよ。あの子には見えないものを見抜く力がある。あんたと違って、目が澄んでいるのさ」

魔女はそう言うと不敵の笑みを浮かべた。


 

 アレックスはその晩に目当ての秘薬を受け取った。リリィには二度と会わせないと言ったが、魔女に気にするような気配はない。これからは皇女を魔女から守らなければならない。魔女に近づくことのないように。


 朝起きるとメアリーの枕元に小瓶が置いてあった。飛び上がってりんごの木の下に行く。アレックスが木の上で悠然として笑みを浮かべていた。

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