第19話 わがままなメアリー

「メアリーはリリィの嫁入りについていくつもりらしいぞ」

 アレックスがそう言って妹を見やった。

 二人は馬を木に繋いで歩き回るにまかせ、自分たちは原っぱに寝っ転がっている。木の根元にすみれの花が咲いていた。紫の可愛らしいすみれだ。馬たちは仲良く草をはみ、鼻面はなづらをすみれにくっつけている。

 この原っぱは〈競技場〉と天文台の塔の間に広がっていた。乗馬やピクニックに打ってつけの場所である。平時には城門が開いていて、そのまま城壁の外と繋がっている。本来ならリリィがこの原っぱに来るのは禁じられていた。だが、アレックスと行動すると制限もゆるくなるのだ。


「私は嬉しいわ。どこに行くかわかんないですもの。気のおけない人がいなくちゃ。でもメアリーがいなくなったらイリヤ城も随分ずいぶんと寂しくなるでしょうね」

 リリィが晴れやかな声でいった。


 限りなく自由な気がした。アレックスは外国土産に持ち帰った悩ましげな表情なんかせずに、朗らかな様子だ。鼻歌まで歌っている。リリィは澄みわたった青空を眺めて、幸福な未来を思い描いた。


 まずリリィに夫はいない。船に乗っているはずだ。メアリーやアレックスも一緒の船に乗っている。二人は恋人同士になっているかもしれない。リリィは二人を祝福し、熱烈に愛するだろう。大海原おおうなばらを越え、さらに遠くへ……。

 夜は皆で人魚の歌声を聴こう。船室に戻れば、簡易な寝台の上で(それか、ハンモックの上で!)、明日着くかもしれない港や新しい土地のことを夢見る……


「リリィはメアリーか好きかい?」

 アレックスが不審な表情をした。

「ええ、好きよ。たまに我慢ならない時もあるけれど、彼女って素晴らしいもの!」

 リリィが迷わずに言う。

 不意に、アレックスとメアリーは最近何かあったのではないかと心配になった。喧嘩でもしたのではないか。でもアレックスだってよっぽど真剣に取り合わないというのに。

「我慢がならないって。いっそ彼女は城の地下牢に捕らえておくべきだよ。なんたって九歳の頃から魔女と取り引きするような子だ。あれじゃあ、母親もさぞ苦労するだろうな。将来魔女になったっておかしくない」

 アレックスらしくない、攻撃的な口調だ。リリィもそれは言い過ぎだと思った。魔女になるなんてありえない。どうしてアレックスはメアリーのことでこんなに腹を立てるのだろう。

 

 小島の苫屋とまやに暮らす魔女のもとに行って秘薬をもらうのには、メアリーにだって勇気の要することだった。当時からわがままで、規律にも従わず、周りを困らせていた。だが、そんなメアリーも、何か人智じんちを超えたもの、神秘的といっていいものには、本能的な敬意と恐れを感じていたのだ。


 魔女は一人暮らしで、胡散臭うさんくさいお婆さんだった。肌は灰色で、何重にも刻まれたしわのせいで老木のように見える。メアリーは心の中で魔女を嫌悪した。

 なんて醜いんだろう。私だったら、こんな姿でながらえるくらいなら死んでしまうわ!

 その頃、老いや醜さとは不気味で得体の知れないものでしかなかった。


 魔女はどんな髪も美しい金髪にしてくれるという秘薬に法外な値段をつけた。

「無理よ。私子どもなのよ。そんな値段、払えるわけないでしょう?」

 メアリーが言い張る。

 魔女は低い声で笑って、そうはなるまいと言った。メアリーが癇癪かんしゃくを起こしかけても、魔女は笑い続ける。老婆の歯は全部で二本しかなかった。他に笑った口の中に見えるのは紫に変色した歯茎はぐきと黒い空間だけ。


 もう少しで癇癪玉かんしゃくだまを爆発させて、シワシワの婆さんのよこつらを張るところだった。

 だけど、いきなり魔女が恐ろしくなった。この不気味な小屋の中に囚われて、もうイリヤ城に、アレックスやリリィのもとに戻れないかもしれない。そう思うと身がすくむのだ。

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